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ちょっくらシルクロード横断してきます〜中東・アジア旅行記ep 75〜

第八章 イエメン編
三十路センチメンタルジャーニー
ep75インドとヨーロッパを繋ぐかつての貿易の要衝でサモサを喰らう 

 やってきました、久しぶりの大下痢デイ。どうして僕はこんなにもおなかが弱いのか・・・一緒にいる男前R氏は同じ物食べているのにぴんぴんしている。男前で元世界でも最大手の製薬会社の営業で、日本に帰国後には自分で立ち上げようとしている夢も持っているという、神はなぜにこんなに不公平なのかと苛立ちの思いとお腹がキュンキュン締まるような痛みも相まって絶望しかない。下痢といえばの伝家の宝刀イモディウムと現地下痢止めをがぶ飲みして死んだようにして昼を過ごす。水便の排出とベットの行ったり来たりを繰り返す。

 しかしさすがは伝家の宝刀イモディウムの効果発揮で夕方には完全復活を遂げることができた。その晩、晩飯の支度をしていて鍋に水道水を入れて煮沸していると、なにかが水の中を動いている。目を凝らしてよく見てみると蛇口から出てきた小さな虫たちが、ピョンピヨン鍋の中ではしゃいでいる。
ああ、僕のお腹は彼らが住んでいるのね・・・と何となく今回の下痢の原因が分かった気がした。それにしても同じもんくってぴんぴんしているR氏のお腹って・・・

 翌日にはすっかり下痢も収まり、イエメン最南端の町アデンに向かう。このアデンは南北にイエメンが分断されていたころの社会主義陣営のキャピタルシティだった場所。海に面していて場所柄貿易には適している。今でもいろんな国の船舶が停泊している港湾都市である。タイズから乗り合いタクシーで約2時間半。

 たった2時間半の移動だが気候の変化を感じる。湿気はないが気温がグングン上がっていく。雨が降るような湿地帯からサバンナに変わり、そこから辺りは岩だらけになり、ついには砂丘まで見えてきた。さらに砂漠を抜け街に着くまでには何度か、かなりしっかりした検問所もあり、そこで働く軍人も、これまで見てきた民兵のような兵隊たちとは全くの質が異なっている。

 彼らはキッチリと軍服を着て、装備もまたこれまでの民兵とは全く異なっていた。それもそのはずで、2000年には軍港に停泊中であった米海軍ミサイル艦コールがウサマ・ヴィン・ラディン率いるアル・カーイダの人間に自爆攻撃された場所でもある。アメリカから多くの援助があるイエメンにとって2度と同じことがあってはならないわけで、政府も兵士もこれまでとは違って当然なのだが。

 街に着き今度は乗り合いバスに乗りかえ、そこから宿まで歩くこと15分で今夜の宿についた。こちらの宿はとても清潔でいい感じだ。早速シャワーを浴びて、夕方から夜にかけて散歩がてら屋台の食べ歩きをした。かつての海のシルクロードの兼ね合いで海上貿易路の重要な要所であったアデンは、かなり古くからインドとの海洋貿易が盛んだったらしい。そのためか、インドのサモサなんかも屋台に並んでいる。サモサやコロッケなど胸焼け万歳なメニューをおいしくたらふくいただき、パンシロンを飲んで今夜は就寝とした。

読んでくれた人へ
 今後、定期的にシルクロード横断日記や行きたいけど行けないという悶々とした気持ちで書いた、脳内妄想旅行の計画などをアップする予定です。お暇なときにでも、そちらも読んでやってください。ありがとうございました。スキをしてくれると僕のテンションが上がります。ファローしてくれたらうれション状態です。よろしくお願いします。人生の無駄遣い万歳^_^
HPやってます。いろいろな旅行関連記事を書いているのでよかったら寄ってみてください(^^)

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