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INFJの適職・天職について考えたこと 回顧録となってしまい長文です

note内でINFJ巡りをしていたら、就活にお悩みのINFJさんと、それに回答する方たち。これは読みふける。

質問① 現在、どんなお仕事をしていますか?そのお仕事とどのように出会いましたか?

質問② 現在のお仕事は、自分に合っていると思いますか?また他にやってみたお仕事がある場合、どんなものは自分に合っていて、どんなものは合っていないと感じましたか?

質問③ 就活生の時に、苦労などはありましたか?具体的に何が辛かったなどあれば、知りたいです。

上記記事より

Nariさん、良い質問! 思わず皆、自分を振り返って長い解答になってるの気持ちわかる。①②③でわけて解答しようとしたけど書き始めたら長くなりすぎた&就活らしい就活はしていないので、もう長文のまま記事としてまとめて解答します。年をとると自分語りが長くなってしまうわぁ……。これは私にとってもいい機会でした。お時間あるときに。なにかの参考になればいいのですが。


私が今の仕事、働き方に至った道筋について思い出して、その経験からINFJの適職について、こうかな?と漠然と考えていることを導き出したいと思います。

いま現在、私は働きたくないね〜と歌いながら、しぶしぶ夫の親戚の資産管理会社(不動産賃貸業)の雇われ社長と非常勤麻酔科医を週に1回の二足のわらじ状態をしています。



医学部に至る経緯


小学2年生のとき、将来どんな仕事をしたいかという作文の宿題が出た。全くこうなりたいというものがなくて困ったのを覚えている。母に何書こうと相談したら、看護師さんになりたいと書きなさい、とアドバイスを受けてそのとおり書いた。

母は高卒で都会に出て、銀行員として働いて数年で同僚の父と結婚することになり専業主婦になった。昭和の高度成長期の一般的なモデルだ。銀行で働くのはしんどかったらしい。結婚が決まってすぐに辞めていったん実家に戻りしばらく地元のJAで働いたとか。

母の妹は看護師で、資格を持つことの良さを横でずっと見てきたようで、「これからの時代は女性は資格を持つのがいいと思う。家庭に入っても仕事を続けやすい」みたいな母の思う教訓?後悔?をよく聞かされました。

子どもが小さいときは内職の仕事をして、私の4つ年下の妹が小学2年生の頃から事務職のパートで家計を助けていた母は資格があればと何度も思ったみたい。父が、若い頃は穴の大きなザルのようにお金を使ってしまう人だったから、母は苦労してた。まあ大量の本を買ってもらっていた私は父に文句は言えまい。

私は看護師になるのかぁ、とそのまま漠然と思っていたけれど、母ほど世話焼きでもなく細やかに気が利く性格でもないと自覚した中学生の頃からは看護師はちょいと無理だな、と思いはじめた。

高校生でそろそろ大学どうするか決めなくてはの頃、私は薬学部に行くのが向いているのではないか、と思った。母の望みの医療系資格でもある。成績はまずまずよかったしガチ勢ほどではないけど理系科目が得意だった。資生堂のような企業の静かで整然とした研究室で化粧品を作っている自分の姿をふわっとイメージしていた。

田舎に皆で集まったとき前述の叔母に相談しました。

叔母には、

「薬剤師さんかぁ……。ドラッグストアでパンパース売ることになる可能性もあるのよ……。もし受かるなら医学部の方がいいかも」

と言われました。

厳しい世の中の現実の一面を予言されて私は考えた。きっと私は結婚して子どもができたらバリバリ仕事を続けるタイプではない。母のようにいったん家庭に入り、子どもの教育費を稼ぐためにまた働き出す頃は確かにドラッグストアの可能性は高そうだ。のんびりマイペースな私には、レジ打ち、できる気がしない。ガヤガヤした狭い店舗でたくさんの人と一緒に過ごすのもしんどそう。

まあ、叔母の言う通りにしよう、そう思って医学部を目指しました。

でも今思うにやっぱり薬学部の方が向いてたようにも思う。漢方薬局でお客さんの話に親身になりながら働けてたような気がする。まあ母のお金の苦労を助けられたからいいか。

まだバブルの余韻もあって医学部は今ほど人気はなかったので、一浪して国公立のとある医学部になんとか入れました。ラッキーだった。今の時代だと私の学力では無理だったと思う。

小中高と公立で、一年予備校に行っただけで国公立の医学部に入れるなんてリーズナブルだと言われたことがある。私が高校生の頃に父は転職したばかりでさらにお金がなく予備校代は母方の祖父に出してもらい、大学の入学金も母方の叔父叔母からのお祝い金で賄い、2つの無利子の奨学金を借りて塾と家庭教師のアルバイトをして6年をなんとかやり過ごした私にとっては、結構お金かかったしリーズナブルというほどかな?と思ってたけど、子どもの夏期講習代に30万かかるとぼやく外科医の話を聞いてるとたしかにリーズナブルだったかとも思う。医学部には課金された勢の方が多い。親ガチャは確かにある。まあ羨ましがっててもしょうがないんだけど。上を見ればキリがない。それに私も充分恵まれている、感謝せねば。


麻酔科を選ぶ

麻酔科を選んだ理由は、麻酔科学の授業が薬理学に似ていて面白かったこと(やっぱり薬学は好きだった)、医局の雰囲気が良かったこと、産休育休のありうる女性医師として細く長く続けやすいのは1日で業務の区切りがつく麻酔科だと先輩に熱く語られたからです。

正直、一人前になるまで大変だった。逃げたくなるくらいしんどかった。のんびりマイペースでポンコツな私を1秒を争う緊急事態になんとか対応できる体に無理やり組み換えることができたのは諸先輩方の鬼指導のおかげ。患者さんや一緒にはたらく人から教わることも多々あった。

資格があるだけではどんな仕事も一人前にはできない。いま非常勤で働けているのは、その経験で技術や実地の知識を身につけられたおかげ。そうやって受け継いだものを少しだけでも還元せねばと思っている。仕事が自分に合っているかと言われれば、合っている面もあるし合わない面もある。合わせていくものかもしれない。


不動産賃貸業の雇われ社長になる

子育てとの両立につまずいて、苦労して取得した専門医資格の維持の道を捨てて週1回の非常勤医師となり、幼稚園の延長保育資格の維持のために親戚の会社を手伝いを始めたらいつのまにか責任ある仕事は全部押し付けられて(何も考えずホイホイ引き受けた私も悪い)なんとか現状を変えようとしているのが今です。

会社を辞められたら困るのは向こう、こっちは辞めたって食べていけるという強気な気持ちがあるから変えていけると思う。仕事自体は経理を主体として事務はなんでもやるといった感じです。古びたやり方を改善していくのは面白いとも思った。

嫌だった点は雑然とした事務所、一緒に行動を強制されること、繰り返されるしょうもない雑談や個人的な相談、カモにしてこようとする営業の面談に付き合わされたり、やる必要のないことをやらされること、時間を奪われること。このまま続けるにはかなり大きな借金が必要で連帯保証人となりそうなこと。あり得ん。この1年でやっと嫌なことは嫌だと拒否できるようになった。結局、人です! 気の合う人となら一緒に働きたいけど、マウントを取ってきたり依存や搾取してくる人だと離れたい。気の合いそうな人が多く働いてるところがいいと思う。どんな仕事内容でもある程度は好奇心もあるからなんとかなる、と思う。


INFJの適職について考えたこと

さて、振り返って適職について考えてみると、

  1. 働く環境の人間関係や家庭環境に左右される性格なので、その職場を離れても再び同じような職・収入を得られる仕事、フリーランスや派遣でも働けるような仕事が良いと思う。好きだと思っていた仕事でも働く環境・人が変わると嫌になりうる。公務員や大企業だと逃げ場が少ない→技術を持つ資格職だと資格を活かして違う場所に行きやすい。違う場所に行けるぐらい技術を持つ一人前になるまではできるだけ頑張ってみる。

  2. 一対一の仕事。オンオフがはっきりしてる仕事。塾の先生よりも家庭教師の方が断然向いてた。医師でいえば、麻酔科医も一対一に近いと思う。わりとINFJぽい人いる。違う場所で同時発生するいろんな仕事を次々処理するのはしんどい。外科や内科は次々こなす感じでちょっとしんどそうだった。家でくつろいでるときに四六時中、電話がかかってくるのも嫌だ。病理医はありだと思う。精神科医は共感・同情しすぎてしんどくなりそう、ある程度心理的距離を上手に置ける人の方が向いていると思う。そういう意味ではINFJにおすすめされているカウンセラーはちょっとしんどい面があるのではないか? 特に病院やクリニック勤務の場合。学校の相談員とか法務省の心理職はまだ良さそうだけど……? いずれもやってみないとわからないけど。

  3. 子育てや自分の体調不良などで続けられなくなったとき、リモートでも働ける仕事、時間の融通が効く仕事、あるいは週1回でもいい仕事(家族や親戚の協力を得られる環境があると良い)のように細く長く続けやすいか?と考えるのもいいと思う。

  4. 副業の選択肢。割り切って激務ではない会社員となって、物書きやものづくりの仕事を副業とする。副業によさそうな整理収納アドバイザーとコーチングは、独立したいワーママや子育てが終わった主婦もわりと資格を取りにきてた。オンラインで講師業はありかも。公務員も副業できる余地がある。最終的に副業=個人事業主となって食べていけるぐらい稼げて一人でできると最高な気がする。

  5. 投資。山崎元さんの著書を読んでやるべき。仕事を辞めてもなんとか食べていけるぐらいになると色々と楽になると思う。


やってみないとわからないので縁と直感も大事に


こうやって書いてるけど、私自身は自分で考えて決めたというより周りの助言を受け取ってそうかぁ〜と流れるままに縁のある場所で働いてきてます。直感が鋭いからか危険察知能力が働いてなんとなく自分にとって居心地良い場所に今のところ収まっていけてます。ちょっとぐらい居心地悪くてもなんとなく働きかけて居心地よくする才能もあるように感じる。

なので、こんなふうにnoteで色々情報を吸収したあとは、ある程度自分の直感を信じて動いて大丈夫なんじゃないかな。世間の皆が常識的にこうするべき、に嫌な気持ちを押し殺して従う必要はないと思う。だってすごく少数派ですよ、我々。普通の公立小学校の仕組みにすんなりとは合わなかった人は、世間の常識の大企業の仕組みにも合いにくいよきっと。

いずれにせよどこに行ってもしっくりとは来ない可能性が高いなら、希望と違ったとしてもどこでもいいという考えすらある。新卒カードは強いとは思うけど、最初から完全な当たりに出会うとは限らない。それよりも自分の都合に合わせて辞めたり転職しやすいように、よくよく考えてどんなものでもやってみて、いずれくる何かわからないけど何かのための準備だと思って、頑張ってなんでも早めに習得するのがいいんじゃなかろうか。やってみてはじめて向き不向きが見えてくる。どこか企業にいったとしても、もしやめて転職するときに通用する技術とは何かを見極めるとか。チャンスがあればどんどん経験を積むべく仕事に立候補するとか。ミニマリストみたいに生活費を少なくする方向もありだと思う。


参考 資産形成と天職について


参考としておすすめ↓

資産形成や節約については熱海たいやきさんの記事が私は好き。この迷いのなさ、いさぎよさ、ついていきたくなる。


そして、諦めきれない天職について、ひとつの解答を見出せたのがこの本。私の今しぶしぶやってる会社はある意味で天職なのだよね、きっと。子育てもね。育てにくい子を授かったのもなんかの縁でしょう。どちらも私がやりたいではなく、求められてやってるもの。

すなわち、天職とは本来、自己を内省的に振り返ることで見出すものではなく、人生のあるときに思いもかけぬ形で他者から与えられるものではないか、ということです。  これは「自分は世界に何を求めているのか」という、我々がいつも抱えている問いを、「世界は自分に何を求めているのか」という問いへと 180度切り替えることを意味します。

—『仕事選びのアートとサイエンス~不確実な時代の天職探し 改訂『天職は寝て待て』~ (光文社新書)』
山口 周著


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