全部が好きなのだ
「セカオワのどういったところが好きなの〜?」
友人からの何気ないこの一言で私はまるで面接試験を受けているかのような緊張感に襲われる
何故このような緊張感に襲われるかというとそれは「答えが自分でも分からない」からだ
( 面接では分からなくても「分かりません」とは答えてはいけない……! )
そう思った私はいつも「う〜ん、、全部!」
と答える
勿論、面接官の友人はそんな答えじゃ納得出来ないと言わんばかりの顔で「そうなんだ〜」と言う
そうなのだ
私もこの「全部」という言葉に納得していない
何故なら私はSEKAI NO OWARIの全てを知っているわけでは勿論無く、彼らの伝えたいことやメッセージを正確に全てキャッチできているとも思えない
けれど、本当に「全部」が好きなのだ
私がセカオワを好きになったのは紛れもなく「彼らの音楽」がきっかけだった
テレビから流れてくる今にも歩き出したくなるような軽快なメロディとキラキラと輝きながらもグッとくる歌詞に心を奪われた(RPG)
それからというものCDを初めて自分で購入したりライブDVDを見漁ったり雑誌や彼らの過去の記事を買い集めたりとズブズブSEKAI NO OWARIの沼に足を踏み入れていった
そしていつしか「音楽」だけでは無い、SEKAI NO OWARIを始めたきっかけや彼ら4人の関係性、ライブの世界観、音楽以外の活動、雑誌やラジオでの言葉、過去、可愛らしい見た目、仲の良さなど、何もかもが好きになったのだ
好きになってからの数年間は、私生活で幾度となく辛いことや悲しいことが沢山あった
その度に彼らの音楽や言葉、はたまたその存在に何度も助けられ、生きる意味や楽しみを貰い続けてきた
彼らはSEKAI NO OWARIという「バンド」であることは紛れもない事実であるが、私にとっての彼らはバンドという枠を超えた
「世界一大好きな人たち」
なのである
そんな私が彼らの好きなところを聞かれたらどう頑張っても「全部」という言葉しか出てこないのだ
いや、きっと私は自分の知らない部分も含めたSEKAI NO OWARIの全部が好きなのだろう
そんなことをつらつらと考えていたらまだ納得してない顔をしたままの友人がこちらを見つめていた
そんな彼女の顔を眺めながら私は「ニヤッ」と微笑み、声には出さずに私は頭の中で話を続ける
(「ライブコメンタリーで下ネタばかり言いすぎてピーだらけになっているところも、ライブ中止発表のお知らせをリアルタイムで自分たちの口からファンに伝えてくれるところも、寝ぼけて質問タイムをして朝起きたら消しているところも、SNSの更新が滅多に無いところも、テレビに出ると毎回仲のいいエピソードを嬉しそうに話すところも、全部、全部が、好きだよ!!」)
と
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