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成長するって喪失だなぁと思った話

成長は、外見の変化にせよ内面の変化にせよ良くなることや改善されることだけれど、同時に失うものもある。

ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」では、主人公が成長するたびに大切な記憶を失っていく。主人公の望むまま見目麗しくなり、強さを手に入れ、賢さを手に入れ、何事も恐れず、人に畏怖を与える権威を手に入れどんどん変わっていく傍ら本人の気づかないうちに家族や友達との記憶、過去の自分自身の記憶が次々と消えていき、最終的には空っぽになっていく。

現実の私たちは魔法のように記憶が消えるようなことはないが、以前の自分を長い時間をかけて忘れていく。

新入社員時代、こんな先輩にはなりたくないなと思っていたのに5年後10年後には気づかないうちにそんな先輩になっていた、とか。

子供の頃嫌っていた大人の姿に気づいたらなっていた、とか。

私が失ったものは「寂しさ」だった。

遠距離恋愛を始めてもうすぐ2年が経つ。最初の頃は寂しくて毎日泣いていたし、離れる前日など号泣して手がつけられなかったのに、それが辛過ぎてもう嫌だと願ったり、日常を回すために寂しさという感情を押し殺し空っぽな気持ちで過ごすようにした結果、寂しいと思うことはなくなり、寂しいってなんだっけという状態になっていた。

最初から気づいていた。
同様に単身赴任されているご夫婦の冷め切ったエピソードをたくさん聞いていたから、長く続けば続くほどきっと自分もそうなるんだって思っていた。思っていたのに、寂しいと泣く日々、胸を刺すような痛みが辛くて抱えきれなくて投げ捨ててしまった。

その結果、離れていることが当たり前と思うようになり、寂しいと泣いていた私は変わってしまった。

こんなことは恋愛に限らない。

幼い頃の辛い思い出を消えろと泣きながら望んでいたら本当に詳細を忘れてしまった。頑張り屋だった私は適度に力を抜く方法を知ってやる気を出せなくなった。運動嫌いだった私が必要に迫られて習慣化したことで、運動嫌いな友達の気持ちに共感できなくなった。浮気や不倫する人の気持ちが分からなくて恐れを抱いていたのに、身近にそんな人が溢れているために動じなくなったり。

変わってしまったなぁと振り返るとき、過去の私をちゃんと愛してあげれば良かったなと思う。そして、今の私を愛せない自分もいる。

生きる時間が長く続けば続くほど、今後もいろんなものを得て、同時に失っていくと思う。その変化を自由に操作することはできない。ただ、見届けることしかできない。


ミヒャエル・エンデはドイツの児童文学作家で、「モモ」もおすすめですので読んでみてほしい。

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