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「揺るがない自信」を作るには

みなさん、こんにちは。Naseka です。
私は 哲学者・エッセイスト として、
自らを定義しています。

つい先日、機械設備の仕事でドツボに嵌ったのよ。

なかなか狙ったとおりの結果が出ずに、
「やっぱり自分、この仕事向いてないわー…」
とか、何の役にも立たない愚痴をこぼしながら
心が折れそうになってたわけ。

お客様の工場へ行っての仕事だったから、
終わるまで帰れないし…

結果的には 自分の力で解決できたのだけれど、
終わって ホッとしたら考えてしまったのさ

「何で自分は困難にぶち当たると、
 こうも弱気になるんだろう」
「なぜ、自分は『揺るぎない自信』を
 持てないのだろう」

今回は、そんな自省録からの話。


自信が揺らぐとき

私は経験上、自信が揺らぐときは
自身でなんとなく分かっている。
・物事がうまくいかないとき
(特に感覚的なことじゃなく、
 理詰めで進める物事に手こずるとき)
・「時間はかかっても、これでうまくいくはず」
 という確信が持てないとき
・絶対に失敗が許されない(と思っている)とき

当然といえば当然だけど、
物事がうまくいっているときに
自信が揺らぐことって まずない。

うまくいかなくて、
うまくいく見通しが立たないとき、
プレッシャーに押しつぶされそうなとき、
「自分ってダメだなぁ…」と弱気になってしまう。

絶対に揺るぎない自信もある

一方で、前述のような状況にあっても
絶対に揺るがない自信もあることに気付く。

それは
「やり方・考え方は、これで絶対に合ってるはず」
と思っているとき。
それは 確たる物理法則に基づいて
物事を進めているときや、
いつもは同じやり方で成功しているときなど

もちろん「合っている『はず』」が合っておらず 
見落としや勘違いにより失敗することもあるけど、
案外それは 気付いた後に
「あ〜、そうだったのかぁ…」
と苦笑いするくらいで、ダメージは少ない。

少なくとも私個人の場合、自信の揺らぎは
単に失敗するかどうかだけで決まるものではない。

どうもこのへんに、ポイントがある気がする。

トレーニングという名の「背骨」

「はじめの一歩」に見る「自信」の持ち方

そんなことを考えていたとき、ふと昔読んでいた
「はじめの一歩」という漫画のエピソードを
思い出した。

それはファンの中でも人気の高い試合、
「鷹村守 VS ブライアン・ホーク」より。

世界チャンピオンのホークは
天性の才能を持っており、
さほど練習もしないで遊び歩いていても
世界一になってしまった。
とにかく破格の強さだ。

挑戦者の鷹村も もちろん才能はあるが、
厳しい練習と減量によって
ついに世界戦のチャンスを掴んだ。

試合は序盤こそ 鷹村に勢いがあったものの、
ガス欠気味となった鷹村に
ホークの容赦ない反撃が襲いかかる。
…が、さらに覚醒した鷹村が押し返して
次第にホークが劣勢になっていく。

そんな中、それまで自信満々だったホークは
徐々に弱気になっていく。

ホークは才能だけでここまで戦ってきた。
「彼には辛く苦しい練習を重ねてきたという
 背骨(バックボーン)がない」
「今の(劣勢で弱気になっている)ホークの
 なんと薄っぺらいことだろうか」

(原作から Naseka の記憶を基に引用)

手元に単行本があるわけではないので
台詞の一字一句は異なると思うが、
ホークのトレーナーによる分析は
このようなものだった。

それとは対象的に、挑戦者の鷹村は
「辛く苦しい練習を耐え抜き、ここまで来たのだ」
という確固たる自信があるからブレない。

(※ ちなみに)
ネット上で「すべからく」の誤用の
代表例のひとつとされる
「努力した者が全て報われるとは限らん
 しかし!
 成功した者は皆すべからく努力しておる!!」

という鴨川会長の名台詞も、
この一戦のエピソードで登場している。
言葉の用例としては ともかく、
このシーンは私も読んで心が震えた。

 

自分の中に「背骨」があるか

そう、自信が揺らぐか否かは
「『背骨』がしっかり通っているか」
で決まる。

私の場合でいえば、
向かっている対象(機械やトラブルなど)に対して
知識や理解を「確信」レベルで持っているか

と言い換えられる。

たとえ専門家相手だろうと
自信を持って説明できるレベルで
理解しているものについては、
どれだけドツボに嵌っていても 自信は揺るがない。
(何か見落としてないか?とは考えるが)

対照的に、
ちょっとでも知識やスキルに自信がないと
「本当にこれで合ってるのかなぁ...?」
と不安が顔を覗かせてくる。

つまり逆説的に言えば、
不安を感じることというのは
自分が完全に「モノにできていない」ということ。

図らずも直面している困難が、
その確度を測るリトマス試験紙になっているのだ。

まとめ

余程 謙虚な人でもないと、9割 知ったところで
「私は完璧に理解した」と慢心してしまいがち。

でも、あなたが ないがしろにしている
その「残り1割」が、実は非常に重要なのです。

かの ソクラテス の「無知の知」のごとく、
「ここまでは知っているが、これは知らない」
謙虚に生きていきたいものですね。

そうすれば自ずと 知らないことを知ろうとするし、
いつしか 自身の中にも
「揺るぎない自信」ができあがることでしょう。

お読みいただき、ありがとうございました。

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