【閲覧注意】個人的な天使問題

標記について書くかどうか迷った。
流産死産を経験した人の感情を揺さぶらずに淡々と読めるような記事を書こうと他では心がけているつもりだが、本記事ではできない。タイトルも良いものが思いつかず、直接的な言葉を選んでいる。

私の考えを知ったら心の拠り所をなくしてしまう人もいるかもしれない。タイトルからそうなる可能性があると思う人は読まないで。ただ、流産死産後に無事に出産した人及び流産死産をした人を慰めようとしている人には少し読んでほしい。

自分が流れる側になる可能性が高かった人はこんなこと思ってしまうかもしれないな、くらいに思ってほしい。自分のもやもや感を少しでも解消するために書く。




背景

"天使ママ" という言葉があるそうだ。
生きて産まれることができなかったり、産まれて間も無く亡くなってしまった子を天使と呼んで、その子達のお母さんは天使ママらしい。
さらにその子はまた戻ってくると言う人もいる。
私はこの言い方にぞわっとしてしまう。元気付けようと言ってくれる人には申し訳ないが、私は自分の息子を天使と呼んだ奴には喰ってかかる勢いで否定する。正直にいうとあまりにも腹立たしくて我慢できない。
こんなことを書いてもいい思いをする人は1人もいないリスクを負いながらでも、兄弟の流産死産と息子の死産のどちらも経験した私が感じることを書きたい。
もし共感してくれる人が1人でもいてくれたら私は安堵できると思う。

天使にぞわっとする理由

息子に思うこと

私は死んだ息子を天使と思えない。神の遣いを自分の子供としていいものか、と思っている。何かしらの理由で生きて産まれることができなかっただけで、その何かしらの理由を排除しきれなかったことを悔いている。私に何かを伝えにきたわけではない。私が実の両親を見離すことを決めるきっかけになったものの、いずれそうなるはずだったことを早めただけである。
彼は1人の生きていた人間であったことは間違いない。人間であり、娘になって戻ってきてもいないと思っている。生き延びてほしかったけど、人間として生きていただけで充分偉い。また、娘を息子が戻ってきた存在だと思うのは私にとってはホラーであり、娘に対しても勝手な思い込みをするのは失礼だと思う。

スピリチュアルな話に対する経験

上記により "流れた子は天使"、"流産死産後にまた戻ってくるよ"、という慰めを言われても複雑な気持ちになる。さらに、自分の兄弟のことを思うと天使と考えるのが私にとってはかなり難しい。

私の後に母が妊娠していた子供達は誰も戻ってきていないし、私の前にも1人いたようだけれど、私はあの毒親の元に2回も行ってやったつもりはない。他の子達と同じように死んでおけばこんなに苦しまなかったのに、と何度も思ったことがある。私の兄弟が天使だというのなら、兄弟達には某世界名作劇場のラストの如く私を連れていってほしかったくらいだ。

同様にスピリチュアルな話で、子供が親を選んで産まれてくるというようなことも聞くけれど、そうであれば虐待される子はそんなにいないはずだ。その親を選んだ子に見る目が無かったということになるのだろうか。その子に対して失礼だろう。所詮、毒親持ちの私も見る目がないと思われるのだろう。

この手の話は都合よく使われていて、個人的に気分いいものではない。

詐欺に近いと私は思っているが、天使という言い方は人によっては良い効果があるだろうから悪いとは言えない。
ただ、産まれてきた側にはとても違和感がある。親側に都合が良い考え方で、まさに死人に口無しだと思う。
また、極端なことと思われるかもしれないが、亡くなってしまった子を天使と呼ぶのを見聞きすると、兄弟の中で私だけが天使のなり損ないだと言われているような気もしてしまう。実際、私が胎児のとき、内臓に穴が空いていると医師に言われ、産まれても生き延びることができないと思われていたらしい。もし私が "天使ママ" を名乗るのであれば、同時に "天使のなり損ない" とも自称することになる。

個人的な願い

上記により私は流産死産経験者と流産死産について話すことができない。"天使" や "天使ママ" という言葉を出されて、それに対して自分が不要な言葉を発してしまうのが怖い。何を信じるかは人それぞれだから、他の流産死産経験者の考えを否定したくない。

ただ、流産死産後に産まれてきた子に対して、"兄弟に天使がいる"、"あなたは上の子が戻ってきた存在だ"、などの個人の解釈を言ってほしくない。自分に別の人間の影を重ねられるのを居心地悪く思う子もいるだろう。そこにいない別人を想起させないで子供個人を尊重してあげてほしい。その子個人を尊重していることをアピールしてほしい。
ただ、親や周りの人間全てが "全く" "何も" 伝えていないのに、子供自身から戻ってきたというような話をされる場合はこの限りではない。私の周りではそのような話を聞いたことがないけれど興味はある。

また、子供を亡くした人の中に天使呼びすることに違和感、不快感を覚える人がいる可能性を慰めようとする人達に考慮してほしい。私ほどこの言い方を恨んでいるような人はいないかもしれないけれど、"天使" という言葉を不用意に使ってほしくない。私とは全く違う理由で "天使" 呼びが苦手な人もいるかもしれない。

補足

こちらも親側に都合の良い話とは思うが、天使よりも賽の河原の石積みの方が個人的には受け入れやすい。私も詳しくは知らないが、気になる人は調べてほしい。
息子は今も石を積んでいるのか、さっさと解放されていると良いけれど、と考えることもある。石だとつまらないかもしれないので、一番くじで入手したエントリーグレードのガンプラ(一般的なガンプラよりも簡易なガンプラ)を息子に供えていたこともある。
親からしたら子供に罪はないと思うかもしれないが、賽の河原の石積みは、"親より先に死ぬ" こと自体が罪であるというルールに則っているらしい。可哀想ではあるが、お地蔵様という救いがあるので、私は兄弟も息子も大丈夫だろう、と思うことができる。単純に "死ぬ" のではなく、 "親より先に" ということが問題であるのなら、現世にいる親がさっさと回復しないとますます子供の罪は重くなるのかもしれない。したがって、子供のためにも親は早めに回復した方が良いと思っている。
子供を亡くした親のメンタルを回復させようとするのであれば、よりうまく説得できる話だと思う。

前に書いた水子供養の記事には神社のことしか書かなかったが、賽の河原にいるかもしれない我が子を思うなら、お地蔵様にお願いごとをしてみても良いと思う。

結局のところ、信じるものは人それぞれなので、天使の話をされても軽く流せる人になりたい。

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