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①物事への取り組み方、②物事の習得や成長の仕方、③アイデア等の具現化や展開に関しての各有識者や実務者等との関わり方について


自分自身の表現欲求のためと、また自己の性質や考え、アプローチ等を示すことで、他者においても何かしら活用できるものがあればと思い、以下を示す。




【①】物事への取り組み方について

★★★★

「物事への取り組み方の全体的な流れについて」



私の物事への取り組み方について示す。

フォーカスした物事、または目標に対して、それを成すこと、また特定の自分の望む状態に至るまでを意図する。
また、意識的に行わずとも、何かのきっかけによって自然と強く想うということが生じたりする。

そうすると、意図をしたその場か、もしくは少し時間が経った後に直観が来る。
直観は目的を成すための、その時点でのアイデアやその全体像、取り組みの流れ、構成、工程、アプローチ、など。
また感覚的、抽象的な取り組みの流れなどに関しては、それを担う具体的な構成要素となる対象や事象などについても、何が適しているか、どこに行くと良いか、などと行った形で来る。
それら具体的に来たものに関しては、タイミングであったり、感覚的な流れ、感覚的な期間的なリミットなども感じられる場合がある。

またフォーカスした物事について意図してから少し経ったり、翌日朝起きた際などに、意図したことと直接関係ないが、何々したい、どこどこに出かけたい、など、そういったニーズが急に生じる場合もある。
(直接関係ないが、感覚的、経験則的にこれを行うことで、直近で意図したことの達成や進展に繋がることを得られるということは把握できていたりする。)

それら直観できたものに沿って動く。
そこでいろいろな気付き、情報、など、目的に繋がる何かしらを得られたりする。

何かしら得られたものやことから、さらに上記に示したような直観が生じ、
次のアクションの流れが生じる。
そして、それを実行していく。

これを繰り返していくことで、目的の達成に至る。
フォーカスした物事や目標が大きめのものであると、それに繋がる小目標などが見出され達成されていくことが繰り返されるなどして至る。



「目的達成における、直観に基づくアクションと全体像や取り組みの流れを更新しながらの進展」



この目的が成されるまでの過程では、ある時点で見出された全体像や取り組みの流れ、アイデア等が更新されて行きながら、目的に向かっていく形になる。

直観により抽象的な全体像や取り組みの流れが見いだされ、それを進めるための具体的なアクションや取り組みの流れも見いだされる。

具体的な流れを進めるために、一つ具体的なアクションを行うと、様々な気付きが生じたり、情報を得たりして、自分の意識や状態も刷新されたりする。
それに伴い、より望ましい具体的な流れ、抽象的な全体像や取り組みの流れが見出されたりする。

その場合、新しく生じたものの方を優先し、過去の具体的、抽象的な流れ等にはこだわらない方が、目的を進めるにあたって、スムーズに取り組むこと、進めていくことが出来る。

ただ、大枠での抽象的な流れや全体像に関しては、一つの具体的なアクションを複数回行っても、多少の修正等はあっても、新しいものが生じたり、根本から刷新されたりということは少ない。
ある時点で直観等によって来た全体像や取り組みの流れが、大枠のものや抽象的なものである場合、ある程度その方向性は保たれたまま、行動していくことになりやすい。
しかし、具体的な計画、特に中長期的な具体的な計画の場合、進んで行く過程で、目的に対してより望ましい全体像や取り組みの流れ等が見出されたり、体感される取り巻く空気感や流れ、風向きの変化等によって、具体的な計画等は途中で別のより望ましいと感じられる方向性に切り替えられ
(またはどうしても新しい方向性に引っ張られてしまったりし)、成されなくなる可能性がある。

また直観から来るアクションを行っていくことで、ある時点で見出された抽象的な流れや全体像にそこまでフォーカスしていなくとも、自然とその内容が進んでいたり、進んでいることに気付けたりする。



「取り組みの流れにおける、実行のためのワンアクションを生み出したり実行するための、具体的な取り組みの流れ等のトリガー化」



具体的な取り組みの流れ、アイデアに関しては、途中でより望ましい別の取り組みの流れやアイデア等の方に移っていってしまう場合がある。
なので、具体的な取り組みの流れやアイデア等(時に抽象的なアイデアや取り組みの流れ等も)は、より根本の目的達成への流れを進めるための、一つのアクション(ワンアクション)を生み出したり、実行するためのトリガーとして位置づけている。

そのワンアクションを生み出したり、実行するために、状況や流れによっては、具体的な取り組みの流れ全体の内容を実行できるように詰めておく場合もある。
ある程度詰めておいた具体的な取り組みの流れ、計画は、新しい流れやアイデアが見いだされたことによって実行されなかったり、活用されない場合もある。
しかしこれは、具体的な取り組みの流れ等を詰めておくという行為によって、自分自身、または全体の流れの変化を生み、それによって新しいアイデアや流れが生じて来ているものと思われる。
そのため、具体的な取り組みの流れをせっかく詰めたとしてもそれにこだわらず、こちらもより望ましい展開へのトリガーとして位置づけて、より望ましい新しい流れやアイデアの方を取るようにしている。



「直観的に動くこと、別のより望ましい方向性に切り替えること等に対する、イメージング等を用いた内的感覚に働きかけるアプローチについて」



上記に示したアプローチは基本的なもの、ある種の望ましいパターンであり、実際はある時点で来た具体的な取り組みの流れや全体像などを進める過程で、より望ましいと思われるものが出てきた際、それに切り替えたり、取り組んだりすることが気持ちの面や感覚的にも、やりずらい場合もある。
その辺りを、今回はあまり詳しくは説明できないが、いろいろな手立てを使って対応対処、判断していったりする。

例、
イメージング等を活用しての自己の状態を整え判断するなど。

※参考記事①:
見えない何かしらを感知する能力に気付き高めるアプローチについて
https://note.com/brainy_quince591/n/n61ac8188099b

※参考記事②:
意識、状態、感覚等の指し示すものの整理と、関連性、レイヤー構造について
https://note.com/brainy_quince591/n/n0efcfa877d9b

※参考記事③:
状態や記憶、イメージング等を活用したエネルギーアイテムの作成について
https://note.com/brainy_quince591/n/n14aa68d0fa25



また新しい流れの全てが、当初意図したことを進める、成すにおいて
望ましいものかというと、必ずしもそうではないと感じる。
そのため、それら新しいアイデアや流れ等の見極めや、内容の修正等も
行いつつ、実行していく。
ここでもイメージング等により状態を整える。
特に自分の状態が何かしらの影響によりズレた結果、新たに来たアイデアや流れである場合もあるので、イメージング等を駆使して外部の影響を一旦排して、来たアイデアや流れ等を判断することも重要と感じる。
自分の状態を整えた上でアイデア等を感知すると、感じられ方、心身の反応の仕方が変わるので、それを元に判断したりする。

またそもそも直観で動くという際も、動くために自分の状況や環境、生活のことなど、身の回りのことを加味して、どのように動くかを判断する必要がある。
この判断も直観のままに動いて行けると目的に対しては望ましい形で展開していくが、その場合個人的には身体等に負担や影響が生じてしまう場合がある。
そのため、思考での判断も多少織り交ぜて、バランスをとって直観できたものを実行していくが、これも思考的にバランスが良い、望ましいと感じる手順や構成で進めていこうとすると、直観できたものが持ち合わせている実行に関する流れのようなものから、切り離された感覚になってしまい、目的に対して望ましい形、流れで進めていくという点からは、感覚的にズレてしまう場合がある。
なので、そうならないように感覚的な流れはせき止めずに、身体や生活のこと等も考慮した手順や展開で実行していく。
これらは、イメージング等を駆使したりして、状態を変化させたり整えたりしながら、実行をサポートし行っていっている。

例、
朝起きた際の流れの感覚をそのまま継続しながら動いて行けるようにするイメージング。
生活に関することも加味した上で直観で来たものを実行していけるようにするイメージング。
実行時に頭や身体が重くなったり、身体が硬直してしまったり、やる気が無くなったりした際。
何かしら周囲やエネルギー的な影響を受けている可能性もあるので、除霊系やバリア系のイメージングや特定の自己の状態を再生させたりするイメージングも適用する。
それにより、心身の状態を回復させ実行を妨げるものを取り除き、動いて行きやすくできる。
また各種除霊系、エネルギー系の動画(音声)などを流しながら作業するなど、エネルギー的な作用のあるものを活用することでも、スムーズに活動していきやすくなる、など。


【②】フォーカス対象や物事の習得や成長の仕方について

★★★★

「フォーカス対象や物事の習得や成長の際の傾向について」



フォーカス対象や物事の習得や成長の仕方について示す。

個人的なフォーカス対象や物事の習得や成長の仕方について、基本的には物事への取り組みの仕方を土台としている。
フォーカスする物事に対して、意図し、直観を得て、それに基づき動き、その際に様々な気付き等を得る。
そしてまた、直観を得て、動いて行く。
これを繰り返していく。
これらの流れを土台として、フォーカス対象や物事の習得や成長等を行っていく。
またこの際に物事の取り組みについての項で示したような、直観で動く際に自分の状態を整えて判断したり、生活のことも加味して動いて行けるようにするなど、様々な点を考慮したり、イメージング等を駆使して実行をサポートするなども行っていく。

こうした物事等の習得や成長を行う際、一般的にはなぜというようなアプローチをする傾向がある。
個人的に、フォーカス対象や物事等に対して自らの深い領域が望むある段階や程度に至るために、自分にとってフィットした成長の仕方や、そのためのその時点でのアクションを直観的に把握していたり、感じていたりする。
その成長の仕方や、アクションを実行できるほど、自らにとってより望ましい形、スピード感で成長できる。
そうした成長の仕方等に気付いているが取り組めない時、成長の仕方等の程度が望ましい状態からは何段階も落ちてしまう。
ただ落ちるだけではなく、至れる地点へのラインに到達することが厳しくなる。
それがいくら時間をかけたとしても。

そのため、自分が気付いた自分自身の成長のさせ方に沿った動き、アクションを、他者や常識、何かしらのエネルギー等の影響を受けずに取り組める程、至りたい地点に素早く至れる。
ものによるが、基本的にはこの望む地点は数日から一週間程度、長くても数週間で至れたりする。

この至る地点の内容も、何かしらの資格を取るなどの具体的な内容ということはゼロではないが少なく、独自テーマ、独自目標等での能力や状態の獲得や習得、気付きの習得など、何かしら教科書的なものがあるものではなく、道なきものであることが主である。



「フォーカス対象や物事の成長の仕方について(一つのパターン)、気付き群の入手、意識や状態の獲得深化、認識と認知や体感とのジョイント(身体化)など」



個人的なフォーカス対象や物事の成長の仕方として以下のようなパターンがある。

一つの気付きが複数生じ、それがいくつか生じてくると、それらの気付きの影響を受けて、より抽象度の高い、体系的なモデルを直観で得られるようになったりする。
そうしたものがいくつか得られることで、さらにそれら体系的なモデル的認識の繋がりが生じ、より全体網羅的な認識が得られる。
それと同時に自分の中でのそのフォーカス対象や物事への認識、意識が刷新され、その対象や物事それ自体の捉え方、感じ方、見え方自体の質が変わる。
自らの物事に対する意識や状態自体がアップデートされる。

それによって、得たモデル的な気付きやそれらの繋がり、それによる全体網羅的な認識や感覚等を、その対象の物事や事象、また日常のあらゆる事柄の中に見出したり、適用させることが出来る状態を体験する。
その状態と得た気付き群でもって、様々な事柄について、再解釈したり、創造的なアプローチを見出したり等のイメージを頭の中で行ったりする。
また日常のあらゆるシーンであったり、外出時等にて、得た状態と気付き群を適用させ認知や解釈したり、思考を展開させたり、様々な可能性や創造を見出したりする。
それらによって、得た気付き群が、目の前の実際的な対象や事象、モノ、コト、現象、知覚、認識、体感されるあらゆるものとジョイントされる。
気付きという認識と認知や体感されていることとがリンクし、さらにそこから思考展開をしていくことが可能な状態になる。
これを個人的に身体化と呼んでいる。

この身体化のフェイズまで至ると、一旦そのフォーカス対象や物事に焦点が当たっている状態からは抜け、また別の対象へと意識が移っていく。

この気付き群の入手や状態の獲得深化、それらの身体化は、ある程度期間が開いたり、別の状態になってしまうと、その物事に特化していた際の状態時のモノの捉え方や思考展開の仕方、直観の入手等ができる感覚から遠ざかってしまう。
だが、過去の自分の気付きのメモ等を見たりすることで、その状態に自然と切り替えることができ、また再びその物事に特化した状態で物事を捉えたり、気付きを得たり、思考展開したり、直観を得たり等が可能な状態に至れる。(期間が開きすぎていると、前のような鋭さでその物事特化の状態での動きに至るのに少し勘を取り戻すためのアプローチが必要かもしれない。)

これイメージングや記憶の再生等のアプローチを行うようになる前に、主としてやっていた物事の習得の仕方なので、物事に特化した状態をイメージング等を活用して再生させたり、もっと活用したり等、いろいろ応用とか発展させることが出来ると思われる。
(物事に特化した状態にイメージングや記憶の再生等で素早く至ったり、物事に特化した状態同士を合成したりなど、物事の取り組みの質をさらに独自に高めることが可能と思われる。
今はフォーカスしていないが。)



「成長の仕方に関する、想定される具体例について:~意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチを例にしての説明~」



上記の成長の仕方に関しての例として、以下がある。
今時点だと意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチを自分の中でもう少ししっくりくるレベル感で得たいと思っている。

ゲーム等にて、特定のシステムやギミックを設けることで、プレイヤーの内面で特定の認知や認識、判断が生じ、また感情や感覚が傾向として生じる。
それを別のギミックやシステムと組み合わせることで、さらにより深い感情や感覚を生じさせる、等のアプローチができる。
このアプローチは文化、芸能、芸術、ゲームやビジネス、社会システム等、
あらゆる全ての物事や対象に適用できるアプローチである。

これの習得する際のイメージとして以下のようなものが想定できる。
直観として来ているものとして、まずおもちゃ屋に行く。
先に示したゲームやIT系のシステム等から学んだり、それに関するシステムデザインのような書籍等もあると思われるので、そこから学んだりすることが効果的と思われる場合もあるだろう。
ただ自分の場合はまず直観としておもちゃ屋に行く、行きたい、というのが来ているので、これを優先させて動くのが最もスムーズかつ効果的に習得することに繋がる。
また、このおもちゃ屋に行くことを選択した際のイメージ時の心や身体の反応と、ゲームやIT系のシステム、またそれらの関連書籍等から学んだ際のイメージ時の心や身体の反応とをチェックする。
自分にとってより心や身体が好ましく反応する方、行きたい、やりたいと感じる方を選択する方が、より効果的だし、なによりその過程で体感できる喜びや幸福感等の質が全く異なる。
おもちゃ屋に行く際に調べたり移動したり等のその個々のプロセス自体に対し、より高い質の喜びや充実感、幸福感等を実感した上で実行することが出来る。
また、そもそもおもちゃ屋に行くことに惹きつけられる。
こうしたニーズに沿って動くことを行う。

またおもちゃから気づきを得るのなら、ネット上の情報からでもいいのではないか、むしろそちらの方がより多くの情報を素早く幅広く得られるのではないかと思われる場合もあると思うが、これも直観できた方、心や身体が反応する方を選択した方が、結果としてより望ましい結果になるし、その過程で得られる体感できるものの質が全体的に高まるので、直観できた方を選ぶ。
こうした判断時においては思考的な合理性よりも、直観や心や身体の反応の方を重視して判断するが、幸福感も高まるし、後々の結果も高まることに繋がりやすいと感じる。

おもちゃ屋に行った際に想定されることとして、特にどのおもちゃを見たい、見た方が良いなどは来ていないので、行った時の感覚に任せたり、その際に来る直観等に委ねる。
または何も考えず、ぼーっと店内を歩く。
そうすることで、目についた何かしらがトリガーとなり、意図していることの気付きを得られる。
それをすかさずメモする。

そのメモ、初めは些細な気づきで数行で終わるものである場合もあるが、
いくつか気付きのメモが生じてくると、スイッチが入るのか、その時点の自分にとって本質的で核心的と感じるような気付き、体系的なモデル的気付き等が得られる。
またどんどんスイッチが入ってくると、意図する事柄に関する様々な気付きが連鎖的に生じてくる。
それぞれ別々の内容だが、一つ一つメモするというよりも、その時点において全体的に一つの内容という感じで、別々の内容のものを行ったり来たりしながらメモしていく感じになる。
こうしたメモは集中して行うため、初めは数分くらいから、スイッチが入り複数の内容を一挙にメモする段階に入ると、数十分から1~2時間(時にはそれ以上)それくらいメモすることになる。
しかし体感としてはあっという間であったりするし、心地良かったりする。
来たものを全てメモすると、いったん区切りという感じになり、やり遂げた感に至る。
その数十分から1~2時間の間、店内の一か所にとどまってメモする形になる。

このメモが終わると、意図した内容に関して、その時点の自分の段階において、フィットしたものであり、かつ深い領域の内容、抽象的な法則や本質的な見解、認識等のため、その意図した物事、ここでは意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチについて、自分の中での意識や状態自体がかなり刷新されて深まる感じになると想定される。

ここで、意図した物事に関して、この時点の自分としては、もう必要とする、深い領域が望んでいた認識を得られたのか、また意図した物事に関する特定の意識や状態に至れたのかのチェックが入る。
その際、必要なものを得ていたり、必要な状態に至っているのならば、そこでその意図した物事へのフォーカスは終了、完了する。
これ以降もこの意図した物事への深まりは無限に深めていくことが出来、全く別のことにフォーカスしている時でも、たまたま何かしらキャッチしたりして、今回意図した物事に関する気づきを得られたりし、さらに深まるということもあるが、基本的にはこの時点の自分としては必要なものを得た形になるので、一旦の完了となる。
必要とあれば、また様々な事柄へのフォーカスや取り組みを得て、それらの蓄積を得た上で改めてフォーカスが回ってくるという形になる。

またこの数十分から1~2時間メモしたと想定した際に、ある程度の状態には至ったが、また必要としている状態ではない場合は、フォーカスが継続する形になる。
ただ、その場ではもう得るものは得た形になっているので、一旦その場を離れたい、別のところに行きたい、別のことがしたい等の状態になっている傾向が強い。
また舞い上がっている状態になりやすく、その気分の高揚を解放するためにも、その場にはもう入れない状態になっている。
この状態でも、意図する物事への気付きを得ることを続けていくこともできるが、自分の中で別のニーズが高まっていることや、一旦内的に区切りがついているため、ここは切り替えて、気分の高揚のままに、また新たに生じた、行きたいところ、したいことをすることに切り替えた方が、自分の内的な充実感や喜び等にとっても、意図することに関する習得等の効率についても良い。
次に取り組むのは翌日か、または一旦気分の高揚を行きたいところややりたいことをすることによって、満たしたら、また直観で何かしら、どこかしらに行きたい、やりたい等が生じるので、それに沿って動くことで、意図する物事に関しての気付きを得られたり、その物事の意識や状態を深めたり刷新することが出来る。
こうしたアプローチが意図する物事に関して必要な段階まで行われる。
それがものによっては一日~数日間、長くて数週間くらいで行われ習得される。
より大きな事柄の場合は、それを構成する小さな事柄が直観的に見出され、
それが個々に上記に示したような一日~数日間、また数週間くらいで習得されるというのが繰り返され、ある時点で至るというような感じになる。
また気付きを得たり、状態を習得したら、それをイメージ上や日常の中等で適用し身体化するプロセスが生じる。
これも自然と行いたくなり行われる。
これも含めて、一日~数日間、長くて数週間くらいで行われる。
またこの過程の中で様々なアイデアや可能性等も見出されたり、また得た気付き群や状態を身体化する過程で、直観ではなく思考よりのアプローチから
その意図した物事による視点での創造を行うというプロセスも成される場合がある。
それも身体化の一環として成されている面がある。
身体化により魂(潜在意識等)に得た意識や状態が刻み込まれる感じになる。
またフォーカスする対象が変わったり、その得た意識や状態にしばらく至らなかったとしても、その状態になって身体化したことにより、似た方向性の他者や事柄についてや、その方向性の様々な認識についてなど、感覚的に分かりやすくなっている。

またメモ後にその場を移動するとなった際には、おもちゃ屋に来ているわけだが、そこで何かしらがトリガーになり、気付きのモードに入っていることが想定される。
おもちゃ屋に来たが全てを回ったりしているわけではなく、状況によっては、入り口付近の何かしらがトリガーになっていたとしたら、そこで数十分から1~2時間立ち尽くしながらメモをし、それが終わったら、次の場所に向かう形になる。
せっかく来たのだが、意識は既に別のところに向かっているので、店内を見て回っても心ここに在らずになりやすい。
これは美術館や博物館、観光スポット、レジャースポット等であっても、遠出したとしても同様。
もったいなく感じる場合もあるが、直観や心や身体のニーズに沿って動いた方が、喜びや幸福感、充実感等を体感しながら、心地良く進んで行きやすい。
そちらの方が満足感、幸福感の質が高まる。




「新しい質の体験世界の創造構築、そのための基盤としての街型のプラットフォームにおける、意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチの重要性」



以下内容に関して参考になる記事を示す。

※参考記事①:
街型のプラットフォーム、革命を超えた革命と、その後の世界の流れ、内外的な新しい質の世界の完成
https://note.com/brainy_quince591/n/n4131b0ca0d32

※参考記事②:
①納得と抑圧、それの解放の世代間でのパターンにおける、展開やドラマの質や形態の常時ポジティブ化への引き上げ、②苦しいことがあったから成長できた、成功できた等の認識、感覚等に含まれる、カタルシスやドラマティック、それの常時ポジティブ化という形態変化への押し上げ、③他者や他存在との関わりに関してのアプローチ等、④私の方向性における、繋がりたい(提供シェアしたい)、リンクしたい人々について
https://note.com/brainy_quince591/n/n2f608a771a27

※参考記事③:
現象を受け入れることと、現象が生じるパターンを変えることの2つの方向性の関係性
https://note.com/brainy_quince591/n/n2e450d504464



余談だが、新しい質の体験世界の創造構築、そのための基盤としての街型のプラットフォームにて、様々な新しい質の試み、システムやサービスの展開を行い、人々の意識や状態をさらにより幸福な状態、新しい質での在り方が可能な状態にする、ということを示している。
これ人によっては荒唐無稽なことと思うかもしれないが、これを可能にするものとして、上記で示したような、意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチが重要になってくる。
上記のアプローチにより、外側のシステムやモノ等を通して、今の人々において一般的ではないような意識や状態、感覚、感情、認識等に自然と至れるように働きかけていくことが出来るからだ。
イメージング等といったアプローチなど、人間の心や意識の領域、エネルギー領域等への興味関心のあるタイプの人々による、内的領域の理解、またそれによる変化変容、各種能力の習得や開発等だけでなく、そういった内的領域等に対する興味関心があまり無い、また主としての役割で無い人々にも、
新しい内的な状態、意識に、無意識的に無自覚の状態で至りやすくすることが出来る。


外側のシステムによる働きかけは、各存在たちの個性やより俯瞰した際の役割を損なわないように個々や各属性グループを尊重し、その方向性を変えるような干渉にならないような形で深い領域での同意が成される形で行われるようにする。
特定の意識や状態に至りやすくするシステムや場、環境であっても、それを選択するかどうかは個々の存在が主体的に選択できる、それが奨励されるし、干渉しない程度でその点に関しては働きかけるようなそうした形にする。
こうした作用も外側のシステムの構成等の内側への影響や作用を組み合わせ、意識せずとも自然にこうした内的な状態、意識に至れるようなそうした構造を見出し、適用、採用するようにする。
こうした点でも、意識や状態、内側の感覚や感情、認識等を、外側のモノ、システム等を介して、他者に実感をもって再現再生させるためのアプローチは重要だ。

それにより、今までの人々の意識や状態、感性等では選ばれなかった、価値がおかれなかった、そもそも感知や体感できなかったような在り方で在れるようになりやすくなる。
そうした個々の集まりによって生じる新しい質の諸現象が生じ展開していくような、そうした流れ、場、環境をこの世界に創っていくことが出来る。


【③】他者との関わりにおける状態について、等

★★★★

「他者との関わりにおける状態について」



※参考記事①:
意識、状態、感覚等の指し示すものの整理と、関連性、レイヤー構造について
https://note.com/brainy_quince591/n/n0efcfa877d9b

※参考記事②:
見えない何かしらを感知する能力に気付き高めるアプローチについて
https://note.com/brainy_quince591/n/n61ac8188099b

※参考記事③:
状態や記憶、イメージング等を活用したエネルギーアイテムの作成について
https://note.com/brainy_quince591/n/n14aa68d0fa25



他者との関わりや指示の仕方などは、対等な感覚で行う。
この対等な感覚、言葉で言っているが、これは言葉がけや接し方という面というよりも、自分の内側の状態を、あらゆる他者に対して対等に捉える状態にし、その状態にフィットする接し方で接するということ。
他者に対して対等に捉える状態は、私個人が主観的に体感している感覚であり、また何段階もその程度や質が変化や進化してきた。
そのため、より一層その質が変化する可能性もあるが、現段階で対等に捉えられていると感じられる状態を指している。
この状態で、やり取りする際に自然とフィットする接し方、判断、言葉がけ、等を見出し、行う。

ある行為であっても、状態によって内面の感覚として、フィットするものが変わる。
優しい状態のときに激しい言葉は違和感や抵抗感を内側で感じやすいと思われる。
逆に力強い状態のときに優しい言葉や言い回しを使うと違和感があったりする場合があると思う。
自分の状態によってフィットする言葉(態度等も)が変わる。
活動時に他者と接したり、コミュニケーション(お願いや指示等)を取る際に、この対等に捉える状態で行う場合、それにフィットした言葉等をあらかじめ創っておくことで、自分の内面の中でズレていない快適な感覚でのやり取りができる。

自己の内側にとって望ましいと感じる状態を開発し、その状態に自らをし、その状態にフィットする表現や言い回し、認知や判断等を活用し、他者と接する。
これはこうしなければならないということではなく、こうすることで
内的に実感できる幸福の体感(納得感、しっくり感)がより高まるので行う。
動機を幸福を高めるということに置く。



「他者との関わり時におけるショックへの癒し」


こうした状態は自分の中での理想的な状態およびアプローチなので、常にその状態で接することが出来ない場合もある。
できなかった際に自分を責めるのではなく、大きな視点から受け止める。
この大きな視点から受け止めるということも、そのように言語表現するのが適していると感じられる状態があり、その状態を用いて行う。
大きな視点から受け止める状態を、何かしらの体験時や様々なアプローチの中で発見したり、創造、開発、習得する。
この状態に自らがイメージングや記憶の再生等を用いてなり、その大きな視点から受け止める状態で、望ましい対応が出来なかった自分自身を客体化し、理解するようにする、時に抱きしめるようなイメージを持つことで、
思考や直観に基づく理解が生じるというだけではなく、感情的、体感的に、癒されていると言えるようなものが生じる。
身体(ケースバイケースだが、胸あたりやみぞおちあたりなど)が
癒されているような感じで暖かくなる、感情が軽くなり抜けていく、慈しみや愛おしさなどといえるような感情等を体感する、などが生じる。

また望ましい状態で対応できなかった時の自分自身や、その出来事自体をイメージし、その際の自分自身やその出来事自体をイメージ上の両手で包み込むなどをして、癒したりもできる。

あまりにもショックや動揺が強い場合には、こうしたアプローチだけでは、
対応しきれないこともあるが、ある程度のものであれば、対応することができ、切り替えていくことが出来る。
基本的にはこうしたアプローチも組み込み、接し対応していく。



「関わりの際の関係性やエネルギー的なことについて」



今回は詳しくは説明しきれないが、自他において以下の点にも留意し、自ら視点からより望ましい関わりややり取りにしていきたいと思っている。

以下のような現象ではなく、より自他にとって望ましい関わり方、やり取りになるようにしていく。

同意したが本心ではなかった。(相手の心理やエネルギー操作の解除、対等で主体性を尊重、引き出してのやり取り)
不本意ながら正論なので飲んだ。(論理や正論の本質、また各人の感性との解離性、論理と感性の機能の違い、論理の原理的な矛盾の内包性による感性の尊重)
表層意識ではその通りだと納得したが深いところではそうではない。(個々の感性や役割の尊重)
本人は納得しているが深い視点で見ると、影響を受け引っ張られていたり、
言いくるめられているような感じなっていて、私視点から見て本人にとって望ましいとは言い難い。(表層と深層意識の乖離、無自覚での個々にとって望ましい方向性からのエネルギー的な引っ張られ)
など


また自分自身の性質や働きかけの特徴、影響性を考慮する。
自らの働きかけの特徴等を出しつつも、その際の質を上げていき、個々の領域を尊重し、個々の領域を犯さずに、個々の固有性をより発揮できるよう働きかけ、そして受け取れるような、そうした状態を開発しながら行っていく。
これはアイデアを具現化した際に、集団や人類に働きかける際においてもしかりである。

ただ感性や方向性によっては望ましくない反応を感じたり、望ましくない形で影響を受けていると感じられるよう状態になる方(集団、属性、グループ、方向性)もいるだろうし、私自身のその時点の段階での働きかけの性質、エネルギーとして合わない、望ましくないという場合もある。
その時点の自己としてできる限りを行うが(あえて進むためにダウングレードした状態でやる場合もある)、それでも合わない人(集団、属性、グループ、方向性)もいると思う。
自分自身もその時点で感知している自己の望ましい状態で行えない場合もある。
これも明示しておく。


【④】アイデア等の具現化や展開に関しての各有識者や実務者等との関わり方について


★★★★

「アイデア等の発生や生み出しについて」



アイデア等の発生や、それの具現化への自分にとって望ましいと感じるアプローチ、流れについて示す。

何かしらの情報に触れたり、何かしらの物事に取り組んだり、触れたり、どこかに訪れたり等を行った際、直観的にアイデアや構想、可能性等が見いだされる、生じる場合がある。

また何かしらの物事に取り組んだり、習得や成長を試みた際、物事に対する自分の中での本質的な理解、独自の抽象的な構造やパターン、全体像の把握が、その時点の自らにとって必要なレベル感で生じる。
物事への取り組みや把握、身体化は、自分の中である程度の感覚的な水準に達したら、自然と満たされる。
また現段階ではここまでで良いという感覚になる。
その独自の理解や把握の過程で、副産物として様々なアイデアや構想、その物事に関する更なる可能性等が見いだされる場合がある。
また物事の理解や把握に至った後に、その認識や状態を身体化させる過程での、思考展開やイメージ等の取り組みの中で、様々なアイデア等が生じる場合がある。

またこれは個人的なこととして、今まで蓄積してきた様々な物事や独自テーマに関する認識等を活用して、アイデア等を創造したいという欲求が生じる場合がある。
その取り組みの結果として、アイデアを生み出すということがある。

こうしたいくつかのパターンによって、アイデア等が生じる。



「アイデアの具現化可能性や実際性の確認について」



生じたアイデア等は、社会的に公認されたような各分野の専門知識等に裏打ちされているものではない。
私自身の物事の習得や成長の仕方は、各分野の専門知識を習得するような感じではなく、自らにとっての本質的と感じる形での理解や納得に基づく認識等を直観や気付き等にて得ていく、また各物事や独自テーマに関する意識や状態そのものを特定の領域にアップグレードさせる、至らせる、という形で行われる。
各分野の専門知識に触れる場合もあるが、それは自己の独自の本質的な理解を生じさせるためのトリガーとして、材料として活用している面がある。
そのため、各分野の基礎的な知識であれば取り入れることもあるし、全く触れないわけでないが、基本的にはそれらを習得するということに重きを置いていない。
根本となる本質的な部分を独自に理解したり、体系的に見出し、それでもって社会的に公認されているような専門知識を、その独自に見出した認識、理論、モデルなどで解釈できるようにし、把握する。
それにより、各専門知識(また技能等)を、具体的に全体網羅せずとも、
理解把握でき、またその発生や成り立ち、発展、これからの展望や変化変容、可能性も、感覚的に見渡せるように至ることを主眼に置いていた。
(こういった傾向は結構過去において行っていたことであり、今も各物事においてこのモードで取り組むことも可能だが、少しフォーカスの仕方が変わってきている。もっと表現や具現化の方向性にシフトしてきている。)

なので、自分の見出したアイデアや構想、可能性等は、自分独自の抽象的な理論やモデル等や、自分の至った状態、感覚に基づいている。
そのため、社会的に公認されている各分野の具体的な専門知識等に、必ずしも基づいているものではない。
アイデアを具現化する、その機能や作用の実際性を確かめるためには、アイデア等やその構成内容、具現化方法等を各分野の専門知識等に落とし込む必要がある。
アイデア等を具現化するアプローチにおいて、自らの内からアイデアが生じたら、次の段階として、そのアイデア等において、類似アイデアがすでにないか、具現化するにおいて実際に形にできそうか、実際に意図するような作用や効果が生じるか、内容そのものの質はどうか、資金面や労力面、法律面等はどうか、など、そうした視点での調査や検証等をある程度、自分の感覚的にしっくりくる段階まで行うことが本来的には望ましいと思っている。

ただ、現段階では、アイデア等を出すことをまず重視してやっていて、その後の類似のものの調査や具現化可能性の調査、実際性の調査、検証等は行っていない。



「アイデアの具現化可能性や事業化に関しての、各有識者、実務者等への確認や相談等について」



アイデア等を出し、それを自分の中である程度感覚レベルでOKが出るまで、様々な調査や検証を行う。
その際に、個人レベルでの調査、検証を行う場合もあるが、専門家や有識者等に確認や相談に行く場合も想定される。

その際、自分のアイデアの傾向は、型破りなものを好む。世の中にまだないものであることを好み、それでいて私の中で様々な点から望ましいと思うもの、またそうした色合いが入ったものを生み出すことを好む。
なので、アイデア等の具現化可能性や具現化方法を見出す際、どうしても常識や各分野の一般的な認識、アプローチ等がフィットしない場面も出てくることが想定される。

そのため、アイデア等の具現化可能性や方法について、有識者の方に訪ねたりする際、各分野の一般的な認識や事例、パターン、常識、過去の事例、既存の理論や研究結果、など、そうした視点から、具現化等はできないとか、厳しいといった反応や傾向になりやすいとも思われる。
これに対して私は、様々な視点や別分野、方向性での可能性やアイデア等を見出し、再度可能かどうかを確認や打診していく形になる。
私個人は基本的には、アイデア等に関連する各分野、各文化の具体的な知識や常識、慣習、パターン、事例などに強いわけではない場合が多い。
それを踏まえた上で、有識者等に独自の視点や認識でもって、可能性等について打診していく。
その結果として、自分の感覚の中でも具現化が厳しいと感じられたら切り替えるが、そうでないなら、具現化可能な方向性、形態が見いだされるまで、
有識者等とやり取りしていき、実際的な具現化可能なアイデア案を創出する。



「アイデアの具現化に関しての有識者や実務者等との関わり方について」



専門家や有識者等に確認や相談に行く場合とほぼほぼ同様だが、実際的に具現化可能なアイデア案を具現化するにおいての私のアプローチとして以下を想定している。

実際的に具現化可能なアイデア案を具現化する際、各専門家や有識者、実作業の担い手、実務者等とやり取りするにおいて、具現化するならばどのようなアプローチが見出せるか、ブラッシュアップするならばどういったところをどうするか、具現化の過程においてどのように実行していくと良いか、
参考になる情報は無いか、内容についての感想はどうか、実作業をお願いする際にこういった内容で行って欲しい、など、各有識者や実務者等に、それぞれの発揮の場を提供するという意識で、各種必要な内容を打診していく。

その際、独自の抽象的な認識、手法、思考の流れ等を活用して働かけや打診していく。
時に自らの抽象的な認識等に関して、具体例や例え等を用いて、打診等していく。
それにより、各有識者や実務者等の中に蓄積されている、各分野や文化、対象等の様々な専門知識、技術、理論、感性、経験、経験則、慣習、事例、パターン、などそうしたものがより効果的な形として引き出される、発揮されるようにしていく。
また、打診する内容に関して各有識者や実務者等の各視点や知識、蓄積された感覚、経験、感性等により、広がりや深さ、様々な可能性等を得られるようにも働きかけや打診していく。

こうしたアプローチによって、アイデア等を具現化させるための具体的、実際的なアイデアや方法等を得たり、また具現化のための実務等を実行し、具現化、創造していく。


各有識者や実務者等に対して、質問や打診、お願い等する際、各分野の一般論や常識、経験則からの回答や対応に従うというような動き方ではなく、自分のアイデア等を仮に形にする、形にできるならば、どういったアプローチが見出せるか、そのためには何が必要か、などを私自ら能動的に訪ねていくというスタンスで取り組む。
そこで得たフィードバックを元に、更に直観を得て動いたり、形にするための実際性等を得るために、得た情報や見解、気付き等を更に別の有識者等に橋渡し的に尋ねたり、調査や検証等し、そこから得た結果や何かしらを具現化の方向性に繋げ、形にしていく。

私が出す様々な各アイデアに関連する各分野や文化等に詳しい方でも、上記のようなアプローチ、やり取りが可能かつ、ご自身もこうしたやり取りを楽しんだり充実して行えるようなタイプの方とやり取りしていく。
これを私自身、また打診する相手自身にとっても気持ち良く行えるように、そうした相手ややり方を見極めてやり取りしていく。



「やり取りに関しての様々な視点での自らのスタンスについて」



どのタイプの人々もそれぞれ現段階での役割があり、個々で見たら相性等があるという認識で捉えている。
表層上ではある尺度で見た時の上下等は見いだせても、より深く本質的には皆唯一無二の個性と役割を担っているという認識と感覚で捉えている。
その上で、自らおよびその時点でのアイデア等との相性や適正として、自分にとって、また相手にとっても望ましい展開が生じうるかどうかを見極め、やり取りしていく。
そのために打診する各有識者や実務者の方は見極めていきたい。

やり取りに関して、各有識者や実務者等の方に、私の示す内容の全容の理解を求めたりはしない。
理解してもらえるならば、それは非常にありがたいし、個人的に嬉しい。そして、やり取りもやり易くなると思う。
ただ私のアイデア等はモノによるかもしれないが、一般的なものではない傾向が強い。
そのため、やり取りに関する範囲や程度において、相手の方の得意とする領域での理解や把握をしてもらえれば良いと思っている。
各人の得意とする分野や視点、方向性から、こちらの打診を力の発揮の場としてもらい、見解や情報等の提供や、実作業等を行ってもらえたらと思っている。
そうした形でやり取りを進めていく。

またアイデア等の具体的な形態そのものには、そこまでこだわっていない場合がある。
その形態がもたらす作用、コンセプト的なもの、生じるエネルギー的なものが重要で、それを具現化させ、人々への提供時に機能させることを重視している。
各アイデアの元になる作用の認識、コンセプト、エネルギーの方向性等は自分の感性から出て来ている。
その具体的な形態として、アイデアやその構成等(時に意図する作用やコンセプト自体も含む)は位置付けられる。
その時点での情報や体験等を元に、私の感性がその時点で具現化させた一形態である。
自分のそのアイデア等の核となる感性の方向性(抽象的な方向性、無意識領域に生じている意識化できないもの)と合っている、ズレていないものであれば、さらにより良い形態案(コンセプト自体やアイデア等の背後にある認識や論理等も含め)であれば、それこそ直観的にこれだ!、という感じの感覚や体感が生じる。
またこれだ!というものを感知した際の感覚自体を好む性質があり、目的(目的の背後にあるニーズや感性)からしても、この感覚が生じた案や見解等は、効果的であり、目的の充足に繋がると思われるので、積極的に採用していく。

そういった個々の各有識者や実務者等の独自や固有の案や情報、また仕事を提供(発揮)してくれ、またそこに物質的な報酬による喜びだけではなく、
精神的な充足もより体感できる(言葉に出さずども、こうした体感が意識的、無意識的に生じる感じ)、そのような関わりややり取りになるよう、努めていきたいと思っている。

各人の仕事に応じた物質的な報酬もしっかりと提供できるように努めたいとも思っている。
精神的な充足が生じても、物質面が充足していなければ、その点に引っ張られ、精神的な充足どころではなくなってしまいやすいため。

また、こうしたスタンスが私自身にとっても喜びや幸せ、快となる。
自分自身の働きかけのニーズや、目的の達成や進めるニーズを満たせ、他者が喜んだり、それを体感や感知するニーズも満たせる。
(恥ずかしいので基本は言葉には出せないが、ここではあえて明示する。
スッキリクリアにして進みたいため。)

こうしたやり取りを行うために、イメージングや状態等によるアプローチを
やり取り時に行い、自らの状態を整えたり、より充実感や幸福感、快等を感じられやすくしたりしている。
しなければならない、というような方向性の感覚から行っているのではなく、より幸福感を高めるためのアプローチとして行っている。
こうしたアプローチは人によっては必要ないだろうし、より望ましいと感じる別の方向性のものもあるだろう。
それだからこそできる体験や役割もあるだろうし、またより好意的に感じたり、フィットする人々もいるだろう。
それを踏まえた上で、私の現時点での個性の一形態としてのアプローチとして示す。

こうしたやり取りを通して、アイデア等のブラッシュアップし、具現化の方向性を見出したり、実際的な具現化等を進めていく。
更にその過程で直観等を得て、私独自の動き方で動いて行き、具現化に繋げていく。

こうしたやり取りの仕方、自分の動き方を土台として、具現化や提供等から、事業化した際の運営やその後の展開に関しても行っていく。



「具現化や事業化後のアプローチについて」



なお、もし事業化した場合は、ある程度軌道に乗るまでは私主導で行っていくが、その後は他者に任せて、別の事業の方に移っていこうと思っている。
後任の方は、事業の運営や経営等に充実感や幸福感を実感でき、ゼロから一を生み出すよりも、既存を踏襲する方を好むような人が望ましい。
能力的にも、事業化したものの運営や経営に対して、適性や相性が良い人が望ましい。
これは事業や組織そのもの、また後任となる方も含め、幸福な形で活動していけるように、能力的な適性も捉えていく。

そして、事業化したシステムやサービス等の理念やコンセプト、またこちらが意図する社会的、人類的な作用や機能、そういったものに対して、賛同していて、ある程度のレベル感での理解や実感のある方であることが望ましい。
理念やコンセプト、また意図する作用や機能を集団や社会、人類に適用させるための媒体として、事業を活用している。
そのため、理念やコンセプトが形骸化してしまったり、意図する作用や機能、エネルギー感が生じない、提供できないような動き方をされてしまうと、目的から逸れてしまう。
そうならないように、理念やコンセプト等を形骸化させずに、それらが機能する、適用できている形で、事業運営を行っていける人に任せたい。
後任者の性質として、理念やコンセプト等を材料として、それを人類に提供する、適用させるということに、幸福感や充実感、喜び等を感じられ、そこに運営等といった形で力を発揮できる方が望ましい。
理念やコンセプト等を形骸化させずに活用することが出来るのであれば、
その運営や経営時の、判断や展開のさせ方、かじ取りは、自由に望む形で行って構わない。
個人の色を入れていってもらって構わない。
上下関係や息苦しく感じさせるような関わり、干渉等が生じない形での、
関わりにしていけるように努める。

個人的に事業化したものから離れた後は、新たな事業を立ち上げると思われる。
分野は全く別物になる可能性も高い。
新規事業を立ち上げたら、その事業の特性と過去の事業の特性を元に、双方を組み合わせた、双方にとって望ましいアイデアが直観で生じる可能性がある。
それが生じたら、後任者等と掛け合って、何かしらコラボ等や提携、実験的な試み等を行っていくと思われる。
そうしたものを土台とし、様々な事業を組み合わせたりすることで、街型のプラットフォームやそれに繋がる環境や場等を創っていく。

※参考記事:
街型のプラットフォーム、革命を超えた革命と、その後の世界の流れ、内外的な新しい質の世界の完成
https://note.com/brainy_quince591/n/n4131b0ca0d32

過去の事業の後任者等にかけあう際も、対等な形で掛け合う。
保有する株式等を活用して圧力をかけるとか、そうしたことを行わないし,
そういったことにならないように、力関係も対等にした上で、理念やコンセプト、より深い意図や目的等を共通認識とした上で、後任者等と掛け合い,
コラボ等を行う。

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