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映画を観た「余命10年」

一人で映画館に行った。

昨日、スマホで別のことをやっていたら、この原作本「余命10年」がAmazonプライムで無料で読めるという案内が出てきて、「小松菜奈が映画やってるらしいな〜」とネットニュースか何かでトピックのみ目にしていたためどんなもんか少し興味が出て、軽い気持ちでタップしたのが始まり。

(こう書いていると、広告・宣伝にいかに消費者が簡単に乗せられるかということが改めて分かって、自分で驚く。)

本はかなり長かったんだけど、そのまま時間をかけて全部一気に読んでしまった。

(今回初めて知ったのが、Kindleで「この章はあと何分で読み終わる」という案内が出てきて、それがほんの数分の表示なので、つい「それならばあとちょっと」と読んでしまう。これも宣伝のすごい工夫であり恐ろしい。)

それで何度も心が抉られて、涙が搾り取られて、ものすごい感嘆というか溜息というか、「ああ読んで良かった」と思った。


何しろ情報量が多い。

自分が病気になったら?悲しいだけじゃない。悔しさ、嫉妬、恐怖、絶望、希望、ありとあらゆるものが襲ってくる。

フィクションだけれど、著者が実体験を持つ方ということであり、その心情は恐らくとてもリアルな記録でもあるのだろう。

場面ごとに、主人公の心情がとても繊細かつストレートに書かれていて、外から見ただけでは分からない人間の隠したい部分、目を背けたい部分がその気持ちも含めて正直に書き残されていて、「それが人間なんだ」と吐露するような、でも慈しむような、著者の気迫がこれでもかと伝わってきて、ものすごく響いた。


私は特に、同世代の友だちに嫉妬するところと、家族に心で悪態をついてしまいながら同時に謝罪する気持ちも併せ持つところがとてもリアルで、そして色んな葛藤を経て後半で「欲しいと思っていたものはもう既にそばにあったんだ」と気付くところと、新しい命によって凄まじい希望を与えられるところが響いた。

それらは自分にも心当たりがあったり、自分を再構築する上で学んだりしたことだった。

そして、死の恐怖に関して実体験を語ってもらえたような気がして、今まで知らなかった自分はすごく怖くなったけど、同時に自分に「その時」が来た時に「あの人も言っていた」と小さな気づき、支えになってくれる気がした。


(ちなみに、なぜか「小松菜奈といえば相手は菅田将暉」という盛大な思い込み(ニュースを深く知らずに混同しすぎ)で、主人公の相手役をずっと菅田将暉だと勘違いしたイメージで読んでいて、「いや〜〜めっちゃ似合うなぁ、かっこいい」とかなりしっくり来て、恋愛の場面もティーンの頃のようにドキドキしながら見守っていた。)


全部読み終わり、涙を枯らしたあとで、なんとなく愛着が湧いてもっとこの世界に触れたくなった。

映画がまだやっているか調べ、菅田将暉ではなく坂口健太郎だったことに気づいて少しガッカリしつつ、宣伝や口コミを軽く見ていくと「割と好評&内容設定は少し変えてある」とのことだったので、どういうものなのか楽しみにもなり、映画も観に行ってみることが自分の中で決まった。


というのが先程までの話である。

今は映画を観て終わり、帰路に着いているところ。


感想としては、うーーん何か違ったな?というものであった。

何が違ったのか。

作った人たちをなにか批判したい訳では全く無い。不満というものでもない。そこは悪しからず。


私が求めていたのは、主人公の気持ち、そこを起点とする行動、それで起こる他人との化学反応のようなものだったのかもしれない。

原作本と設定が変わっているところは、映画で二時間にまとめるために「なるほどここをこうしたらシンプルに分かりやすくなるのか!」と思えた。

じゃぁ何が違ったのか?

なんか、原作本で読んでいた「主人公の気持ち、そこからの決意、そして行動」のポイントがあんまり感じられかったような。

例えば「泊まり旅行から帰るときに主人公が余命の告白と別れの宣言をする」場面。

主人公は相手に気付かれないように出て行く。でも相手は気づいて出てくる。そこで主人公が告白する。

告白は「主人公がすごく悩んで覚悟をもって決めて起こした行動」だと思って原作を読んでたけど、映画では、これって相手が気づかなかったら起こらなかった偶然の場面。もしそれが起こらなかったら、どこか違う場面で行動を起こそうと思ってたのかな?

という小さな違和感。

でも、映画のその「場面」はとても大事で、感動的で、素晴らしい演技で演出で「良かった」んだよなぁ〜。

それにケチをつける自分がきっと捻くれてるんだろう。そんなこと言い出したら映画として話がまとまらないし、場面が作れないんだろう。

そういう意味での「何か違う」がたくさん積み重なって、結論が「何か違う」だった。


きっと映画は素晴らしかったんだと思う。

でも私が原作本を読んで感動した「人間らしさ」は映画で場面を魅せるには表現方法が違ってて、求めるこっちが違ってたんだろう。

何はともあれ色んな経験が出来た。


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