見出し画像

今の次の今はピザ

「未来」という言葉は漠然と、ずいぶん先のことのように感じる。

遠く遠く遥か彼方の未来は見えない。
けれども目の前の未来は見える。
目の前の、1番ちいさな未来とは私の足の下にある「今」の次にやってくる「今」のことである。
たとえば右足の下に「今」があるのであれば、次に左足をおろしたところが「次の今」であり「目の前の未来」だ。
その未来くらいなら、はっきり見える。
どこに足を下ろすか決めることもできる。
行く先を変えることもできる。


だが「今」というものは休むことなく次から次へとやってくる。
ちょっとも待ってはくれない。
だからいちいち「今」「今」「今」と意識して生きることは難しい。

「今」が積み重なってゆく先にあるもの、あるいはその無数の「今」で出来た長い長い道こそが「未来」と呼ばれるものなのだろう。

となれば。
遥か彼方の未来のために何か出来ることがあるとするのならば、それは「今」を大切にすることだろう。

「今」を疎かにし、自分の心の声に耳をすますことなく「今」を重ねて行った先には、きっと空っぽでとても脆い「未来」が出来上がってしまうように思う。

私にとって「今」を大切にするということは家族や友人と美味しくご飯を食べ、たくさんの言葉や想いを交換し、たくさん笑い、そしてよく眠ることだ。
そして患者さん1人1人と丁寧に「これが今の私のもてる最高の力だ。」と自分が納得できるところで関わり、それを新しい世代へと繋いでいくことだ。

好きな人たち、風景、物語や音楽、映画などに触れ、自分にとって心地よいものに囲まれて過ごす。
そして、どうしても受け入れることの難しい仄暗い人や物とは距離をとり、無理に折り合いをつけることはしない。
大切な私の「今」を傷つけたり、嘘で捻じ曲げるような人や物と関わる必要は全くない。

私が未来のためにできることは「今」を少しでも楽しく、幸せに過ごすことだと私は思う。

私は今日も、遥か彼方の「未来」のために「今」という小さな小さな目の前の「未来」を大切に慈しみながら歩いてゆきたい。

素晴らしい未来のために、取り急ぎ今夜は大好きな家族と大好きなピザを食べようと思う。


#未来のためにできること

この記事が参加している募集

今こんな気分