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とくべつ

「他の人よりも大事に扱われる」といった「特別扱い」を受けたら、やはり嬉しさや誇らしさを感じるだろう。
たとえば飲食店で、あるいは旅館やホテルで
「いつもありがとうございます。こちら店長からサービスのお料理です。」
「本日は当館でもっとも景色の良いお部屋をご用意させて頂きました。」

……良いな……。

もっと日常的なことで言えば恋人やパートナーといった存在も「他の人とあなたは違う」という位置付けの「特別扱い」の1つであろう。

…素敵だ…羨ましい。

それはさておき。
病院での患者さんはどうだろう。
「こちら、院長からサービスの点滴です。」
「いつもご利用頂きまして…病院食は旬の食材の懐石料理をご用意させて頂きました。」
というワケにはいかない。

しかし患者さんにも「特別あつかいをしてほしい」といった気持ちは少なからずあるのではないだろうか。
看護師から見れば大勢いる患者さんのうちの1人でも、患者さんからすると「自分という大切なただ1人」である。

「私のところには先生がマメに来てくれる」 「看護師さんはいつでも真っ先に来てくれる」
「他の人よりも手をかけてもらえている」

もちろん、疾患や症状の程度によって患者さんへの対応にはどうしても差が生じてしまう。
優先順位を決めて動かねばならない。
全ての患者さんを同時に「1番に」「特別に」というわけにはいかない。

そして「特別に目をかけてもらえている。」の反対側には「他の人と比べて目をかけてもらえない。」「放っておかれている。」という「望ましくない特別感」も存在する。

コロナ禍で「面会」がほとんど禁じられている中での患者さんの孤独感や不安感は計り知れない。
患者さんと1番かかわることが出来る私たち看護師が、患者さんの孤独感や不安感を強めてしまっては元も子もない。

そうした孤独感や不安感を軽減するために心掛けていることがある。

患者さんの名前を呼んだ上で声掛けすることだ。

たとえば4人部屋のAさんの処置に行ったとする。BさんCさんDさんは他の看護師の担当だ。

それでもAさんの処置が終わったあと、Aさん以外の3人それぞれにも「Bさん、変わりないですか。」「Cさん、トイレ大丈夫?」「Dさん、もうすぐゴハンですよ。」と、名前を呼んで声を掛ける。
掛ける言葉はどんなことでも良い。
なんでも良い。

大事なことは「私はちゃんと皆さんのことをみていますよー。」「心を向けていますよー。」と患者さんに伝えることだと思う。

名前を呼ばれるのは嬉しいものだ。
患者さんは望みもしない「患者」という役割を、ある日突然おしつけられる。
それまで当たり前だった日常や社会生活から自分だけが置いてけぼりにされたような気持ちになる。
名前を呼ばれることで「自分という存在がきちんと認識され、周りから大切にされている。」という安心感に少しでも繋がれば良いなと思う。

「特別」とは決して大袈裟で大掛かりなものとは限らず、もっと簡単で些細なことの中にも存在するのではないだろうか。

そして私も「看護師さん」と呼ばれるよりも名前で呼ばれることが嬉しい。
精神科は患者さんとの付き合いが長くなることも多く、古くからの患者さんは私を下の名前の「ちゃん付け」で呼ぶ。
「かをちゃん!ちょっと来てくれー!」
「あいよ!ちょいと待たれい〜」
毎日こんな調子である。

今日も患者さんの名前をうるさがられるほどに呼び、孤独や不安など感じる暇がないほど患者さんのそばにいようと思う。


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