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矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月に対する覚書-天皇親政にあらずとも象徴の立場から動歩した平成天皇

 ※-1 日本の天皇・天皇制のなにがどのように問題になっていたのか

 この記述の話題は,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年10月は「日本国」天皇・天皇制に対する『批判の書』であったはずだ,という事実をめぐり討議する。

 なお本稿の初出は2014年11月10日であって,その後なんどかの改訂を経て,本日(2023年7月8日)にさらに更新するかたちで,公表することになった。
 付記)冒頭の画像は『国立公文書館ニュース』ホームページから借りた。

 矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』2014年は,日本の知識人・識者にあっては,その双肩・頭上に亡霊のようにのしかかっている「天皇・天皇制」の現状を,真正面から批判し〔それをとりあげて議論し〕た本である。

 ただし,結論部では天皇制度のなかに居る平成天皇夫婦をかばうかのような論旨にまとめていた。この点に鑑みれば,天皇制度に向けた批判にまでは,その矢を継ぐことは,あえてというまでもなく,していなかった。

 いわば,矢部・同書の基本に蓄蔵されていた本来的な限界・制約は,どうしても除去するわけにはいかない特徴として,正直に表出されていた。

 もっとも,天皇という存在は,制度的な特性面から批判されたなんら問題はなく,天皇個人に対する直接の批判でなくてよい。だが,天皇自身もまたただの人間であり,しかも憲法に規定された「生ける象徴天皇」として存在し,生活もしているとなれば,

 そこには,日本国憲法が制定された根源から誘出されてくるほかない,「人間存在としての天皇」の問題そのものが,どのような方途であれ,本格的に討究されないことには,この国の本質を理解できない。これは自明と判断してよい問題意識であった。
 

 ※-2 矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル,2014年10月の意図

 本書の内容は,つぎのように疑問符のついた文章を並べて説明されていた。

 なぜ,戦後70年経っても,米軍が首都圏上空を支配しているのか?

 なぜ,人類史上最悪の原発事故を起こした日本が,再稼働に踏みきろうとするのか?

 なぜ,被爆した子どもの健康被害が,みてみぬふりをされてしまうのか?

 なぜ,日本の首相は絶対に公約を守れないのか?

 誰もがおかしいと思いながら,止められない。日本の戦後史に隠された「最大の秘密」とは?   

 本書の目次はこうである。

  1 沖縄の謎-基地と憲法-
  2 福島の謎-日本はなぜ,原発を止められないのか-
  3 安保村の謎1-昭和天皇と日本国憲法-
  4 安保村の謎2-国連憲章と第2次大戦後の世界-
  5 最後の謎-自発的隷従とその歴史的起源-

 著者の矢部宏治(ヤベ・コウジ,1960年生まれ)は,慶応大学文学部卒,(株) 博報堂マーケティング部を経て,1987年より書籍情報社代表。

矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』目次

 本書は,戦後70年経つのに,なぜ米軍基地が日本中を支配しているのか。未曾有の大事故を起こした原発を,なぜ止められないのか。米国公文書の資料などの実証をもとに,戦後日本の「謎」を解きあかしている。

 本ブログは,それまでの関連する記述をもって,おおよそつぎの論旨を提示してみた。

 「敗戦したこの国の帝王となったマッカーサー」のもと,「日本帝国に勝利したアメリカ」は「敗戦した帝国臣民」を「終戦した昭和天皇」とともに終始一貫,「『終戦』観念に生きていく国家観念」を保持させる工作に,いちおう成功してきた。

 そうだったとなれば,「その幻想性のまやかし」すら十分に意識できないまま,21世紀の現在までも,それもなんとはなしに逢着しえたかのように生きてきた「日本という国とこの民たち」は,

 国家意識の次元において戦前体制を完全に払拭しえたという体験をなしえなかったり,あるいはそれへの冷めた認識をえられなかったりであったとしても,それにはいたしかたがない一面があった。

 という前提をしったうえで,ここではたとえば,「安倍晋三の『美しい国』に『あってはならない』のが,『過去の従軍慰安婦問題』であったこと」などいった論点が挙げておけば,以上の記述がいわんとする点は,理解してもらえそうである。

 本ブログ筆者が「この国はいまだにアメリカ帝国の属国」であると言及したつもりの論点が,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』によって要領よく解明されている。

【参考画像資料】-在日米軍基地地図-

在日米軍基地の分布
地震国のなかの原発

 矢部が同書のなかで言及する中身には,いままで日本の政治学者たちが正面から触れるのを恐れ,避けてきた内容が盛られている。いわば,日本の《菊のタブー》を介したアメリカの《星の禁忌》にまでを標的に定めて,まとも挑戦する社会科学者が,ほとんどいなかった。

 矢部は学究ではなく出版業界の人間であるが,関連書物の発行を企画・刊行し,みずからも執筆するうちに,今回のごとき著書を公表することになっていた。

 矢部はこの著書『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』を完成させるまでには,いろいろの驚くべき日本国の諸事情に気づいたと述べていた。

 だが,そのように矢部にいわせる背景事情には,実は,日本の諸学界側においても「なんらかの特定的である問題性」が伏在していた。

 ただし,本ブログ筆者は,日本におけるとくに社会科学諸界がそうした陋習・旧弊に囚われており,理性以前の生活次元において「天皇神聖視」に直面・対峙させられ,いちいち躊躇してうろたえている現状をいっさい超克したつもりで,遠慮・容赦のない検討・批判を天皇・天皇制の問題領域にくわえてきた。
 

 ※-3 矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』の結論

 本書の最後において矢部は,「昔もいまも日本社会のかわらぬ最大の欠点」は「政府のあらゆる部門に対して,憲法によるコントロールが欠けており」,その結果,「国民の意思が政治に反映されず,国民の人権が守られない」ことにみいだせる,と指摘した。

 そして,その最大の原因は,やはり天皇制という制度(システム)のなかに,憲法を超える(=オーバールールする)機能が内包されているからだとことも判るともいっている。

 すなわち,戦前の日本では,裁判所(=司法)が「天皇の意思」の代理人である検察(=行政)によって支配され,立法も「天皇の命令(勅令)」という形式で官僚(=行政)が自由におこなえるようになっていた(大日本帝国憲法第9条)。

 補注)ここでは,以下の著作を参考書として挙げておきたい。

  樋口英明『私が原発を止めた理由』旬報社,2021年。
  岩瀬達哉『裁判官も人間である-良心と組織の狭間-』                         講談社,2020年。

  瀬木比呂志『絶望の裁判所』講談社,2014年。
  新藤宗幸『司法よ! おまえにも罪がある-原発訴訟と官僚裁判官-』                講談社,2012年。

  新藤宗幸『司法官僚-裁判所の権力者たち-』岩波書店,2009年。
  安倍晴彦『犬になれなかった裁判官-司法官僚統制に抗して36年-』                 日本放送出版協会,2001年。

 補注)大日本帝国憲法第1章の第9条は,天皇の命令に関する規定である。こう書いてあった。

 「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」。 

 しかも,そうした憲法よりも上位にあった「戦前の天皇」の位置には,敗戦後は「天皇+米軍」という新しい国家権力がすっぽり収まったこと,そして昭和天皇が亡くなるとそこから「天皇」が消え,米軍と外務・法務官僚が一体化した「天皇なき天皇制」が完成したのである。

 以上を図式に表現すると,「日本の国家権力構造の変遷」はこうなる。

  ◇-1「戦前(昭和前期)」は
       『天皇』+日本軍+内務官僚

  ◇-2「戦後:1(昭和後期)」は
       『天皇+米軍』+財務・経済・外務・法務官僚+「自民党」

  ◇-3「戦後:2(平成期)」は
       『米軍』+外務・法務官僚

 補注)ただし,◇-3の「外務・法務官僚」にはやはり「財務・経済」を据えておく余地が確実にある。自民党が抜けている点は同じであっても,そのように,あらてめて補正しておく余地があった。

補注としての指摘

 こうした事実上の行政独裁体制は,短期間で大きな国家目標(明治期の富国強兵や昭和期の高度経済成長など)を達成することができたが,その反面,環境の変化に応じて過去の利権構造を清算し,方向転換をすることができない。

 外部要因によって瓦解するまでひたすら同じ方向に進みつづけていく。それが日本人全員に大きな苦しみをもたらした第2次世界大戦や,地震大国における原発再稼働という狂気の政策を生む原因となっている。

 註記)以上,矢部『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』282-283頁。補注はもちろん引用者の挿入。

 上記の◇-1・2・3は,平成天皇の時期に進むとこの「天皇(明仁)」自身が外されている図式的な表現を採っている。この点は,平成天皇のみならずその妻や長男たちが,たびあるごとに「憲法を守る」旨をしばしば表明してきた事実に注目して,観察したほうがよい事象といえる。

 かといって平成天皇が,自身の考え方に即して,しかも憲法を最大限に遵守する方途でもって,それも配偶者の美智子とも相当深く相談しての行動と推測できるが,自分なりに「天皇像の新しい形成」に注力してきた事実は,平成の時期から観察できる。

 しかし同時にまた,前記の◇ー2の時期における昭和天皇裕仁が,敗戦後体制に対して憲法の枠組など完全に無視したかっこうで,敗戦後史の形成には実質的に憲法をないがしろにした行為を重ねてきた事実も,けっして忘れてはいけない「歴史の事実」であった。

 昭和天皇が敗戦後史のなかでとくに,サンフランシスコ講和条約が締結されてから,徐々に憲法違反の政治関与を思いしらされるようになっていた。その点はたとえば,かなり微温的な言及でしかないが,NHKの報道がつぎのニュースでも伝えている。ここには直接引用せず,住所(リンク先)を註記するに留める。

 本ブログは,明仁天皇だけでなくその息子や妻までが,現行の日本国憲法を守る旨を機会をとらえては婉曲ながらも明言してきた事実を,注意して指摘している。なお,以下に表記されている日付は,過去に一度公表したさいのものである。備忘の付記としておきたい。

 ☆-1 「2014年02月23日」 「皇太子徳仁が誕生日に『日本国憲法を守る』と発言した意味」「いわずもがなのことがらに言及した徳仁の真意-『皇室生き残り戦略』の一環としての,皇太子の政治的な発言」

 ☆-2 「2014年05月04日」 「平和憲法だという日本国憲法,米軍基地に守られた憲法,この本当の意味」「第9条を語るが,第1条から第8条には触れえない」「『不思議な国』」の憲法論議,その『秘密』」
 
 ☆-3 「2014年03月31日」 「皇室を高揚するための修辞学(言語表現法)-明治学院大学教授の学風:高橋源一郎の事例-」「なんのために〈天皇の妻〉の発言を賞美するのか?」「天皇家を賛美する明治学院大学の教員:高橋源一郎」

 いまの天皇一家(ここでは平成天皇のことであったが)は,《現憲法を守ります》と必死の思いをこめて唱えている。とくに最近(2014時点での話)では,彼ら1人ひとりが自分の誕生日を迎えたさい,恒例になって設けられている記者会見の場では必らず「憲法遵守の基本精神」を,わざわざ強調しながら表白している。

 なぜか?

 「そうした彼らの態度表明・意見開陳」は,敗戦後の「日本国」を戦争責任問題のいっさいを問われずに済み,そしてつつがなく生き延びることできた「昭和天皇の時代」において,「日本の支配層が構想し実現させてきた」「戦後体制」(安倍晋三流に形容すれば「戦後レジーム」)を,

 「平成天皇の時代」になっていてもなお,日本の政治体制のあり方だと遵守すべきだと,国民・国家・体制側に向かい「象徴天皇の立場」からであっても,懸命に訴求してきたわけである。

 昭和天皇がアメリカ側にみずから伝達した『沖縄メッセージ』(1947年9月19〔20〕日)が非常に重要な歴史的意味をもっていた。このメッセージについて本ブログは,つぎの記述で触れていた。なお,日付の点は同前に断っておきたい。

 ☆-4 「2014年03月02日」 「アメリカ占領下の昭和天皇,その裏舞台での政治的な行為」「日本国民をコケにしていた天皇裕仁の,アメリカへのご注進ぶり」。

 ☆-5「2014年6月23日」「沖縄戦が終わって69年目の日,天皇たちの戦争責任『再考』」「オヤジが戦争を推進して,作り,出した『犠牲地・犠牲者』を,いまに息子夫婦が訪問したら,はたして『慰謝・慰霊できる』『本土と沖縄の関係史』が形成できるとでも考えているのか?」
 

※-4 アマゾン・レビューに観る特徴

 筆者は,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』をアマゾンから購入した。本書の発行日は2014年10月29日である。その時点まですでに,アマゾンのブック・レビュー欄には14件のレビューが寄せられていた。

 本日:2023年7月8日という日付において,更新することになったこの記述を書いているが,アマゾン通販を再度のぞいてみたところ,449件ものレビューが投稿されていた。以下はただし,2014年10月29日までに寄せられたレビュー14件にかぎった話題となる。

 --その評価の目安には,周知の点と思うが「最高点:5つ☆」が使用されている。

 「2014/10/23」以来,今日(同年11月10日)までで寄せられたレビュー14件のうち,13件が「☆☆☆☆☆(星5つ)」であり,1件のみが「☆(1つ)」であった。

 しかし,それらのレビューを読むかぎりでは,昭和天皇が敗戦後史にかかわっていた「ことの重大性・深刻さ」に十分に注意を払っている評者がいない。

 矢部の本書で指摘されていた論点,「昭和天皇の〈敗戦後史〉形成者」としての “のっぴきならぬ関与ぶり” については,これを不当に軽視する観方を採る矢吹 晋『敗戦・沖縄・天皇-尖閣衝突の遠景-』(花伝社,2014年8月)の見解もあった。

 だが,この矢吹の観点は,今回公刊された矢部の著作によっても批判されるはずである。そのあたりの論点については,これも現在は未公開だが,本ブログ筆者は書いていた。

 ☆-6「2014年10月24日」 「昭和天皇実録に関する政治学者の議論-敗戦後における昭和天皇の違法な政治介入行為の記録-」「敗戦後史に容喙した天皇裕仁の政治行為をどのように解釈するか?」「日米安保体制・米日軍事同盟関係史をどのように回顧するのか?」

 白井 聡『永続敗戦論-戦後日本の核心-』(太田出版,2013年)は,「1945年以来,われわれはずっと『敗戦』状態にある。『侮辱のなかに生きる』ことを拒絶せよ」と主張した。

 その表現の歴史的な含意は, 本日とりあげた矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』集英社インターナショナル,2014年10月の意図と,相互に補完する間柄にある。

 本ブログは,白井 聡については,つぎの記述のなかで関説した。いずれもまた未公表の状態にあるので,後日,再公表することにしたいと考えている。こちらでも,題名から含意を汲みとってもらえれば幸いである。

 ☆-7「2014年7月7日」「集団的自衛権認定は自虐史観の完成,みずから対米従属に服する安倍晋三政権」

 ☆-8「2014年8月13日」「『村山・河野談話』見直しの錯誤―歴史認識と『慰安婦』問題をめぐって』(安倍新政権の論点) 林 博史,渡辺 美奈, 俵 義文 (2013/4/25発行)」

 ☆-9「2014年9月15日」「敗戦した帝国臣民と終戦した昭和天皇」

 以上,矢部宏治『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』の問題提起を受けて,本ブログにおける関連の記述を多く紹介もする論及となったが,基本的に伝達した論点はなんとか叙述しえたと思っている。

【参考文献】-つぎの記述は矢部宏治の本を2015年発行と書いているが,間違えている。それはともかく,矢部の見解を大いに評価した書評的な文章である。

 ⇒ https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/30782/0111900101.pdf

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