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元号が平成から令和になっても日本の社会に特別変わった事象が起こる因果はなかったし,また明治謹製の「一世一元の元号」制に古(いにしえ)をこじつける理由もなかった

 ※-1「前論」-この国は天皇のための国か,国民たちのための国か,その弁別が明確ではありえないままの〈あいまい〉憲法を有する 

 a) 本記述は2019年4月2日に書かれていたが,その後5年近くが経った最近である。この5年ほど前に書いてみた文章の中身がどれほど妥当性・納得性・説得力がありえたのか?

 そのあたりを自分自身,意識しつつ今日,2024年2月1日に,あらためて校閲もくわえるつもりで更新作業をおこなってみるのもいいと思いながら,再掲のための作業をおこなうことにした。

 さて「世界に冠たるうるわしい皇室制度」を有すると,一国次元でのみ主観的にだが,大いに得意できるらしいこの国の『元号』が,とくに平成から令和にその名称を変えたのは,2019年5月1日からであった。

 ところで,ここでさきに挙げてみたい話題があり,休日(祝日)の国際比較を,さきに少しおこなってみたい。

 b)「立川の弁護士竹村 淳(オレンジライン法律事務所)」なる人物が,平成31〔2019〕年3月25日に執筆し」た「2019年5月1日と10月22日はなぜ『祝日』なのか」https://orangeline-law.jp/column/ という記述をおこなっていた。

 その「Last Updated on 2023年8月29日」における記述・主張が,天皇の代替わりにかかわって,以下のように解説をしていた。これをとりあげ,若干吟味してみたい。

 ところでまえもって,その「5月1日と10月22日」について,今年(2024年)のカレンダーをめくってみて確認したところ「どのカレンダーも一様に(!)」「ただ黒色でその日付を印字してある」だけであった。というのは,前後する話題は1年ポッキリの出来事に関していたからである。

 竹村 淳弁護士いわく,ともかく「祝日は『国民の祝日に関する法律』という法律によって決められて」いるゆえ,「祝日法には,2019年5月1日と10月22日を祝日とする規定はありません」が,

 「実は『天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律』という法律が別に存在する」という理由をもってすれば,「休日である『天皇の即位の日』である5月1日と「即位礼正殿の儀の行われる日」である10月22日は祝日扱いとなる」という判断がなされる,と説明。

 この意見は2019年のその5月1日と10月22日に限っては,天皇の代替わりがあった年におけるその2日として祝日にしうるという指摘であって,もちろん,その2019年の2日は休日になっていた。

 まあ,その2019年かぎりでも,ともかく休日(祝日)が増えることじたいはよいことであったかもしれない。さてそれでは,日本におけるその休日ないし祝日(いわゆる旗日!など)は,世界各国ではそれぞれどの程度の日数になっているのか?

 世界でもっとも祝日が多い国はタイで23日,そのつぎが中国の21日,3位が約17日間の韓国,インド,コロンビアであるが,日本もこの3カ国と同じ祝日数となっている。

 ただし,2位の中国は春節などの祝日連休が続くときは,その前の土曜日が休みでなくなったりするが,日本は祝日連休などは関係なく,土日は基本的にすべて休みとなるため,実は他の国と比べて日本は休みが多い。

 c) 以上の話題は,日本において天皇・天皇制の介在が休日(祝日)の日数に大いに関連しているという事実であった。ところで,日本国憲法にはこういう条文があった。

 「第一章 天皇」は〔天皇の地位と主権在民〕を定めてはいるものの,「第一条 天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」といいながらも,

 「祝日」と「休日」という用語をたくみに使い分けることは,なるべく「国民」の側には悟られないように,いいかえると気づかないでいてほしいかのように,この「祝日」と「休日」という用語を故意に混同させる使い方をしている。

 つまり天皇家の側からは「祝日」である「休日」が,国民の立場からだと「休日」である「祝日」となって,いわば裏表の関係でオセロ・ゲーム的に一見したところ,実に奇妙に半陰陽的に共存的に使い分けられているかのようで,実は密接に不可離の一体としてあつかわれている。

 そうはいっても,もともと「祝日=休日」なのだから,以上のように理屈をこねて分析にならないような解説をしたところで詮ない事情となるかもしれない。しかし,だがそこにこそ,「祝日」と「休日」との「皇室:天皇家側と国民たち側との識別・分別・差別」関係が,ある意味明瞭に浮刻されていることになる。

 憲法上の規定にかかわらず,天皇家は皇族という王族であるから根柢は私家である。それでも「国民の休日」を「天皇家側の祝日」と重ね餅的な関係性をもって決めているこの日本国は,民主主義の国家体制にありながら,つぎのように実に「理屈としては苦しい」説明を,敗戦直後にマッカーサー元帥から押しつけられたまま,いまもなお背負いこんでいる。

 つまり,憲法に戻っていうと,〔皇位の世襲〕を規定した「第二条 皇位は,世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する。」と書いてあり,まともに民主主義の基本精神に照らしていうと,これは「世襲」を不当に正当視(正統化)した観念である事実は,指摘するまでもなく明白であった。

 d) 第2次大戦後における日本の敗戦後史においては,GHQから下達された「マッカーサー・3原則」が有名である。つぎにかかげる文書は国会図書館所蔵のものである。

マッカーサー・3原則

 しかし,この文書に書かれていた「マッカーサー元帥の指示」は,そもそもから矛盾していた。1946年2月3日に「GHQの総司令官」の立場からマッカーサーが指示したその三原則とは,

 「天皇制存続」⇔「戦争放棄」⇔「封建制廃止」

であった。

 しかしながら,これらの三原則には明々白々たる基本矛盾が当初から,あるいは以前からしこまれていた。それでもマッカーサーは「オレが最終的に決めた中身だから,コレでいいのだ」といわんばかりに,このように確定していた。

 だが,それら三原則に内的に矛盾していないわけがなかった。それ以外になんと表現したらいいのか? イギリスにも王制はあるなどと,したり顔でいわないほうがよい。王制と民主主義が根幹で両立するなどと思いこめる人がいたら,その人は民主主義の国家理念・原理がなんであるのか,さっぱり理解できていないのである。

 天皇・天皇制は封建制というよりは古代史までさかのぼれる「封建以前のそのまた昔における遺制」であったから,マックのように,どこの国の占領軍の元帥だったかしらぬが,権柄尽くで没論理もはなはだしいヘリクツをこいたうえで,前掲の三原則を得意げに開陳していた。

 もっとも,天皇・天皇制のことを封建遺制的なわが国政治制度の伝統ではなく,近現代にも通用・妥当する立派な政治的な容れ物だと強弁(詭弁)できる人以外は,正常な頭脳で判断するまでもないしごく当たりまえの理解として,そのように考えるはずである。

 だが,マッカーサー・メモ(三原則)は,敗戦させて旧大日本帝国を占領・支配するさいには,天皇・天皇制を「ビンのふた」に活用することで,人民(ピープル)の管理・統制がより円滑にいくはずだという目算でもって,天皇家の家長である裕仁氏を生かして利用することにしたゆえ

 前段に紹介してその三原則・メモの内容が,内的に矛盾する意図や説明になっていたとしても,そのような問題性は「気にするな」「ドンマイ!」であったことになる。そうだった敗戦後史の事情があったとすれば,民主主義国家体制を本格的に整える必要があると認識する日本国民たちじたいが,いまさらとはいえいったい,どのような「改憲」の方途をめざすべきかは,一目瞭然といっていいくらい明瞭であった。

 以上,話が飛んだが,その「天皇・天皇制=皇族=天皇家の代替わり」の行事開催にともなって発生させた,「元号の〈改元〉」のための皇室行事がとりおこなわれる日を〈祝日〉とみなし,しかもその年においてただ1回かぎりである「休日」として置くという措置は,

 80年近く前にマッカーサーが占領軍の総大将としてだったが,占領国日本に対して指示(実質は命令で押しつけた)3原則に,いまだに囚われている「この国:日本のかたち」を,微妙だというよりきわめて珍奇に,いまだに体現させつづけいるとしかいいようがない。

 以上,本日2024年2月1日になってあらためて序章的に書いてみた文章の段落である。ここからは2019年4月2日に書いていた文章にもどって復活させるが,記述の進行にともない,いくらかは更新をくわえて記述を進めることにもなる。


 ※-2 令和という元号の時期になっても日本の社会に特別変わった事象が起こる因果はなく,また明治謹製の「一世一元の元号」制に古(いにしえ)をこじつける理由もない

 というよりはその間において,自国の状態は「衰退途上国」だとさげすんで呼称するほかないほど,低迷する政治・経済・社会・文化など諸相の歴史をさらに刻みつづけていながら,そのなかでも「天皇・天皇制のみは崇高で尊皇すべき実在である」かのように思いたがる「一部の完全なる保守反動の政治勢力」の人びといた。

 本記述の問題意識をつぎに羅列しておく。まだ「安倍晋三の第2次政権」であった時期を前提にもしていた問題意識であるが,5年後の現在にも問題なく当てはめうるものであった。

 問題・その1 まだ「平成」の時期であるうちに〔2019年4月1日のエイプリルフール当日時点の話だった〕,つぎの年号は「令和」だと発表され大はしゃぎする〈オメデタサ〉,現在(2019年当時⇒)「世界幸福度58位」のこの国が「安倍1強」忖度政権のもとで,これからわずかでも改善されるみこみはあったのか。

 補注)その後,日本の「世界における幸福度の順位」は,つぎのように推移してきた。安倍晋三の第2次政権だった時期は2020年までであったから,44から62までしっかりテイネイに下げてきたことになる。

「先進国」だった割にはいつも冴えない順位
安倍晋三君の為政期間には基本的にタダ下がりであった

他国順位との相対的関係性があるとはいえ
どうして日本はこれほど低い順位でありつづけてきたのか

 問題・その2 あの故・安倍晋三独裁志向政権への忖度そのものを,国民が『「令」と受けとめ「和」する〈臣民像〉』がほしいがための元号だったのか?

 問題・その3 現在の一世一元制はもとはそもそも明治謹製!

 問題・その4 「元号とは,呪術だ」(劇作家・朝倉 薫)

 問題・その5 早速,午後には「令和まんじゅう」が発売されたとか……

これはほんの一例であった

 ここでつぎにかかげてみる画像資料は,饅頭の製造・販売ではなく,もっと大々的に自社の販売促進のために「令和の到来」を利用した全面広告を紹介しておきたい。

 これは『朝日新聞』2019年4月3日朝刊に出稿された大正製薬の広告であった。

令和においてもコレステロールに注意!!!

実をいうと戦争の時代にもこの手のやり口に乗った広告が
それはもうたくさん登場していた

『戦争と広告』という書名を付した本もある


 ※-3「早稲田大学の水島です。bccで送信しています。新元号について,『直言号外』を出しました。取り急ぎ。水島朝穂」

 ⇒ 水島朝穂(早稲田大学法学部教員,2023年度をもって定年退職予定)のホームページについては,http://www.asaho.com/jpn/index.html 参照。

 2019年4月1日にまず水島朝穂いわく,「本日〔4月1日〕午後,国会売店で売り出された『令和まんじゅう』の写真を出しました,と。ただし,つぎの水島朝穂関係のリンク先をクリックしても当該の画像は出てこないので,少し後段になるが,その実物が写った画像をほかから探しだしたものを紹介しておく事にした。

 註記)http://www.asaho.com/jpn/img/2019/0401/1.jpg

 ともかくも早速,便乗商法によって製造販売されている『令和まんじゅう』などが,多種出回っているとか……。この事実は当時,インターネット上でもすぐに分かったが,はたしてそれぞれお味のほうがどうであったか?

 という事情だったので,2024年2月1日になってから検索し,探しだした画像をかかげておくことにした。

餡子の味は?

 こういう報道もあった。「書家 石川九楊さんが揮ごう『「令」は女性の名前に似合う』」『NHK NEWS WEB』2019年4月1日 17時27分,https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011869591000.html?utm_int=all_side_ranking-social_002)

 このニュースのとおりだととなると,「令子」「和子」(?)やこの2文字を入れて活かした名前が男女問わず,その後しばらくは,はやりはじめていたということになっていたのか。たわいもないけれども,そうなっていたとすれば,それはそれなりにもっともらしい現象だとみなせよう。どこまでも人びとの好みの問題。

 ということだったので,それでは令和2〔2020〕年からの新生児の命名はどうなっているかを調べてみたら,こうなっていた。以後,令和5〔2022〕年までのその順位である。

 情報元は,「歴代の赤ちゃん名前ランキング 平成から令和に見る出来事と赤ちゃんの名前」『ah アカチャンホンポ』https://www.akachan.jp/maternity/ranking/heiseireiwa/ である。

 2020年:令和2年は,
  男の子の順位は,蓮(れん),陽翔(はると),湊(みなと)
  女の子の順位は,陽葵(ひまり),芽依(めい),陽菜(ひな)

 2021年:令和3年は,
  男の子の順位は,陽翔(はると),結翔(ゆいと),碧(あおい)
  女の子の順位は,さくら,陽葵(ひまり),紬(つむぎ)
 
 2022年:令和4年は,
  男の子の順位は,蒼(あおい),陽翔(はると),蓮(れん)
  女の子の順位は,陽葵(ひまり),さくら,ひなた

2020年から2022年まで新生児の命名第3位まで

 なかでも,この2022年における新生児に対する命名については,こういう解説が付記されていた。

 男の子「蒼」(あおい)が名前ランキング史上初の1位を獲得。女の子「陽葵」(ひまり)が昨〔2021〕年2位から1位へランクアップ。

 男の子・女の子ともに「陽」の漢字や「ひなた」などの読みにある,あたたかく明るい,光のあたる未来へのイメージを連想させる名前が多くランクイン。

 子育てを取り巻く環境や社会情勢が不安定な世の中だからこそ,あたたかさ,穏やかさにくわえ,晴やかなイメージなど,子どもたちの明るい未来へ向けた想いがこめられていることがみえてくる。

新生児の命名:2022年

  ここでは参考にまで,東京都ホームページ https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2024/01/26/01.html を参照してえられた「東京都民に観られる生活状況」の一端に関した説明である。

     ◆『報道発表資料』2024年1月26日,政策企画局 ◆
   = 令和5〔2023〕年度「都民生活に関する世論調査」結果 =

 物価上昇等で,暮らしむきの変化が「苦しくなった(49%)」との声が増えた一方で,東京に今後も「住みたい(72%)」との声が増加

 この度,「都民生活に関する世論調査」(令和5年6月実施)の結果がまとまりましたので,お知らせします。

 この調査は,都民の日常生活に関わる意識や,都政に何を望んでいるかなどを把握し,今後の都政運営に役立てることを目的として,毎年実施しています。

 調査結果のポイント

  1)暮らしむきの変化(概要 P1,本文P3~8)
   「苦しくなった」49%(昨年より8ポイント増),
   「変わらない」45%(8ポイント減)

 暮らしむきが「苦しくなった」と答えた人に,その理由(いくつでも回答)を聞いたところ,

  「家族の増加や物価の上昇などで毎日の生活費が増えた」が72%ともっとも多く(昨〔2022〕年より16ポイント増),
  「税金や保険料の支払いが増えた」が41%(4ポイント増),
  「営業不振などで給料や収益が増えない,又は減った」が29%(6ポイント減)

の順で続いている。

東京都の生活水準は全国のなかでは高位にあることを踏まえて接する余地あり


 こういった庶民(国民)たちの生活状態と,改元「平成が令和に元号が代わった」という事象とは,いっさいなんら関連がなかった。この事実は事実そのものである。

 つぎは,令和への改元に引っかけて「便乗商法をしらせるメール広告の着信」が,本ブログ筆者のパソコンに送信されてきたので,これも紹介しておきたい。

 2019年4月1日20時56分(送信日時)に「便乗商法」に読めるメール広告が,本ブログ筆者のパソコンに送信されていたということで,その宣伝文句を,一部だけについてだが,以下に紹介しておく。

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あきばおから送信された宣伝メール

 なお,あきばおはこの名称どおりに電気街の秋葉原駅近くにある電気・電化製品の販売会社である。宣伝するつもりはないが,同社のHPはつぎとなる。


 ※-4 小林よしのりの『BLOG あのな教えたろか。』2019年4月1日,https://yoshinori-kobayashi.com/17833/ の,単なるイチャモンではないという「元号:令和」に対する批評

 この ※-4にとりあげる「小林よしのりのブログ,4月1日」の題名は「『令和』に浮かんだ疑問」であった。その本文を以下に引用する。

 イチャモンつけるつもりはないが,「令和」という文字をみたとき,ちょっとした疑問が浮かんだので,勉強した。

 万葉集の「初春令月,気淑風和」の一節は,支那の詩文集「文選」の「仲春令月,時和気清」と同じであり,安倍首相は国書から採ってきたつもりでも,実は漢書の由来でしたということになる。

 平安時代の基礎教養が「文選」だったのだから仕方がない。万葉集の和歌は「万葉仮名」であり,漢字は当て字で意味はない。和歌の序文が漢文で書かれており,万葉集の「梅花の歌」の序文は,支那の詩文集「文選」に収録されている詩の一部というわけだ。

 そもそも漢字が漢族の文字なのだから,本当に日本にこだわるなら,元号をひらがなにしなければならない。さらにいうなら「令」は王冠のもとに人が跪いている図だから,やっぱり君主か支配者の命令の意味である。

 君主の命令だから,清らかで美しいという観念に結びつくのだろう。「令和」をみて,なんとなく冷たい感じがするのはやむをえないのだ。

 けれどもわしは元号が好きである。時代の記憶を封じこめて区切りを付けられる。

 西暦じゃだらだら時が過ぎるばかりで終末まで区切りが来ない。キリストの支配する時間枠に慣らされる必要もなかろう。国書からの選出ではないが,「令和」を受容しよう。

すでにネトウヨぶりも収まっていたよしりんの意見

 さて,小林よしのりの受け止め方とはまた別に,こう考えてみることもできるはずである。小林よしのりのこの寸評を読む前に,本ブログ筆者は,こう感じる点があった。

 元号は「令和」に決まったが,安倍晋三の命「令」に,国民たちは「和」して従えという意味か(?),という具合にである。いまは個人になっているが,この安倍晋三様風の仕様でもって,この「忖度」政治のために必要であった元号が令和であったか? 昭和の和が入っている点にも引っかかりがある。

 昭和の時代は「昭」でも「和」でもありえなかった(少なくとも敗戦までは)。「令和」となっていくこの先の時期に関しても,不安がないわけではないが,いずれにしても,不安というものは「元号のある・なしにかかわらず」やってくる。

 すなわち,やってくるものは「やってくる」。元号,元号……と叫んで,はしゃぎまわっているごとき,前日〔2019年〕4月1日の新聞夕刊から本日4月2日の新聞朝刊までの各面を開いて読むと,まるで紙面全体が「改元」に関する『号外』の趣であった。

 

 ※-5 明治帝政時代からの謹製であった〈一世一元の元号〉が,どれほどありがたいと観念しうるのか

 1)「明治謹製」である事実からみなおす視点

 「〈はぐくむ 日本の文化〉「伝統」うのみにせずに」『朝日新聞』2018年11月8日朝刊24面「第2埼玉」というスクラップを保存してあった。元号の問題,それも明治の時期においてとくに規定されたこの問題もとりあげている記事であった。以下に引用しつつ議論する。

 大学の生涯学習センターの講座で「日本の伝統を見直す」というテーマで授業をおこなっている。初日の授業で,つぎの質問をしてみた〔というのである〕。

  (1) 寺社を参拝した時の拝礼は,寺院では合掌,神社は二礼二拍手一礼が一般的だが,このような方法がおこなわれるようになったのはいつごろからか。

  (2) 天皇家の信仰が神道に限定されたのはいつごろからか。

  (3) 行司が今日のようなえぼしをかぶって直垂を着用するようになるのはいつごろか。

  (4) 「夫婦同姓」が法律に定められたのはいつごろか。

 これら (1) から (4) の正解は,すべて明治以降。ひとつひとつ詳細に説明する余地はないが,およそつぎのようになる。

  (1) 奈良から江戸時代までは神道と仏教とが緊密な関係にあった神仏習合の時代である。神社の境内に寺(神宮寺)が出現するのが8世紀初頭。神前読経もおこなわれた。

 こうした神仏習合は1868(明治1)年の神仏分離令が出されるまで1千年以上続いた。礼拝は寺社ともに合掌であった。二礼二拍手一礼は戦後になってからのこと。

 補注)ここで「戦後」とは「敗戦後」と受けとっておくが,ともかくこの説明によれば,「二礼二拍手一礼」という “神社での参拝の仕方” が登場した時期は,通常のイメージ(おそらく1千年も前からだと誤解されている点)とは異なっていて,戦後からのものである事実,つまり神道宗教に関して,かなり新しく創られた礼式だと指摘している。

  (2) 天皇家の信仰が神道になるのも明治になってからで,葬儀は江戸時代まで仏式。明治天皇の父,孝明天皇も仏式であった。

 補注)天皇家と仏教との歴史的に深い関係は,寺名でいえば泉涌寺が有名である。本ブログ内でもとりあげている記述がある。興味ある人はつぎの記述を参照されたし。

  (3) 行司のいでたちが今日になるのは明治末から。江戸時代の相撲絵に描かれている行司は,ちょんまげにかみしも。

  (4) 夫婦同姓となるのは,1898(明治31)年の民法制度以来のことで,ドイツに倣ったものである。

 補注)お墓も同理であった。個人を個別に埋葬する墓から,家族ごとに集団でまとめる墓のかたちになったのは,明治時代に入ってからの出来事であった。もちろん,そのように墓の型式を変えるための動きが,明治の社会のなかで意図的に起こされていた。

 こうした「伝統」といわれているもののなかには,実際には,近代になってからのものが多いことが分かる。

 補注)というよりも,あくまで国家政策として「神武創業」のもとに敢行された結果として,「明治謹製」になる「新式の伝統」のあれこれが,数多く生まれていた。

 2)「江戸しぐさ」の虚構

 伝統には深さも厚みもあるとはいえ,同時に怖さもあることが指摘されている。たとえば「江戸しぐさ」が該当する概念として挙げられ,批判されている。1980~90年代,芝 三光氏が創作していたこの「江戸しぐさ」に対しては,歴史家の原田 実が厳格な批判をくわえている。

 にもかかわらず,文部科学省作成の『私たちの道徳 小学校5・6年』は,「三百年もの長い間,平和が続いた江戸時代にいろいろな生活習慣が生み出され,これを『江戸しぐさ』と呼び……」とみなして,江戸しぐさを史実に格上げしていた。

 要は「史料の裏づけ」も「科学的根拠」もないままに,しかも教材に利用する方法には看過しえない問題があった。(なお『朝日新聞』「第2埼玉」からの本文引照は,いったんここで終える)

 歴史研究家 / 偽史・偽書専門家である原田 実は『江戸しぐさの終焉』星海社新書,2016年2月を公刊し,「偽史『江戸しぐさ』」を推進する問題点とは何か」http://www.d3b.jp/media/6478 という一文のなかで,捏造にまみれた「江戸しぐさ」について,今後はつぎのように推移すると予測していた。

 江戸しぐさの虚偽が明らかになったいまもなお,文科省や教科書の版元からは,誤りを認める公式の発言は出ていません。「江戸しぐさ」は歴史的事実ではなく,芝 三光という人物が作り出した現代人のマナーに過ぎないことを明記すれば済むだけなのですが,それすらむずかしいようです。

原田 実

 この江戸しぐさの虚構性にも似た問題性が元号についても存在する。一世一元の元号制が替わったのをきっかけに,あたかも,時代の流れのなかに「なにか基本的な変化」が期待されるかのような気分が,意図的に醸成されてきた。おまけに,それがなかば確信していてもよいかのようにも信じこまれてきた。

 とはいえ,その肝心の点では “ほとんど錯覚” でなければ, “単なる誤解” とでも形容すべき《虚構》が,堂々とまかり通ってきたに過ぎない。

 「言霊観念」的にしかも無条件的に,つまり問題意識など皆無の精神状態のなかで,「改元」するとただちに「時代の一新」が期待できるのかとまでの思わせぶりが,簡潔にいえばマスコミによっても喧伝されている。

 ところが,平成の時期を回想しただけでも「そうではなかった史実」ならば,盛りだくさんある。昭和の時代でも似たような時期が長いあいだあったではないか。

 「令和」の時期になったら,多分もっときびしいが到来していた。

 なお,この最後の段落は2019年4月に書いた文章を,2024年2月になって補正することになっていたのだから,まさに現段階におけるような経済社会のように,ますます「きびしい〈令和〉の時期」になってきたしかいいようがなくなっていた。

 3) 元号ずくめの本日(2019年4月2日)朝刊の紙面

『朝日新聞』2019年4月2日朝刊1面における令和関係の報道の場合は,どのようになっていたか。

『朝日新聞』2019年4月2日朝刊

 本日〔2019年4月2日〕のその朝刊を開いてみたところ,まるで「日本になにか革命でも起きたか」とみまごう論調である。1面には,ふだんであれば絶対に使わない大きな活字で「令和」が印刷されている。

 元号にしたがい区切られる時代が,歴史の流れのなかにおいて,それなりの意味を区画されるかどうかは,まったく保証のかぎりではない。けれども,その種の特別な観念を信じこめる意識があってこそ,期待しうるなにかがありうるかのようにも幻想できる。

『朝日新聞』2019年4月3日
菅 義偉はこの機会をえて評判を上げた

 日本国内で生きている日本人であっても元号に反発する人はいるし,嫌う人もいくらでもいる。時代の推移を元号の区切りでもって,それこそ逆さま的に歴史の流れに関する観念が〈構想〉できるのであれば,これはこれで特定の時期におけるなんらかの「想定像」を描けないのではない。

 そうはいっても,それは「完全なる主観的な観念論」であって,それが世界の誰に対してでも通用する「時代の区分に関する確実な方法」ではない。この1点だけはみずから肝に銘じておき,しかと自覚しておく必要がある。

〔ここで前段で引用していた『朝日新聞』「第2埼玉」の記事本文で,最後に残されていた段落を引用する ↓ 〕 
 日本人には,伝統といわれるとなんとなく納得してしまう傾向はないか。「伝統」をうのみにせず,事実はどうなのか確認することが必要だろう。 昨今,「伝統」や「文化」がことさら強調される言説が広がっており,なおさらそう思っている。(文教大学生涯学習センター講師早川明夫)

 ※-6【読書感想】「平成の通信簿 106のデータでみる30年」

 吉野太喜『平成の通信簿 106のデータでみる30年』文春新書,2019年3月という本が発行されていた。ところで,ネット記事としていろいろな発言を収録している『BLOGOS』が,2019年04月01日 09:38,fujipon(https://blogos.com/article/367810/) の記事としてこの本をとりあげ,つぎのように議論していた。少し長いが,全文を参照する。

 なかんずく「一世一元の元号制」が替わったからといって,マスコミが大騒ぎして報道するほどに〈本当の価値〉が元号にあるのかという疑問を投じる内容である。

 1)「内容紹介」

 平成元(1)年〔⇒1989年だった〕。消費税が施行され,衛星放送が始まり,日経平均株価は史上最高値をつけました。それから30年〔が経った2019年〕,日本の「実力」はどれくらい変わったのか?

 ▼-1 1人あたりGDPは2位から25位に〔そして2023年は34位〕
 ▼-2 外国人流入数はOECD第4位
 ▼-3 こづかいは約7割ダウン
 ▼-4 「ものづくり」から「投資」で儲ける国へ
 ▼-5 女性の細さは世界第2位

 そのほか,家電の世界シェア,医療費,ごみの量,体格,外国人の数,時間の使い方など,さまざまアングルで,平成の30年間〔1989年から2019年〕の推移を調査。平成日本人のありのままの姿を浮き彫りにします。

 未来を見通すために,私たちが歩んできた30年を客観的に振り返ってみませんか。表やグラフなどのデータ類も豊富なので,ビジネスやレポート作成にも役立ちます。

 補注)ここでは「平成の30年間の推移」と表現されているが,いったん「私たちが歩んできた30年」と表現しておくことにしても,つまり「平成」という元号をとりのぞいて,その間における時代の流れをみても,特別に違和感が生じることがない「過去における30年」の時間の経過になっていた。

 ただし,それでもなんらかの違和感が生じるという人がいるとしたら,その人はそう感じるような「平成の気分」をもちあわせているからであって,その感じそのものが,誰にあっても普遍的に共有(通有)しうる気分のそれではないものだと断わり,あえて排斥しておくほかない。

 「平成の30年」といっても「過去の30年」といっても,実質としてはなにも違いはありえない。平成でくくってみるか,くくらないかにかかわらず,この点は「その人なりに別々に抱いている〈時代観念〉」や,あるいは「特別にその種になる〈時代観念〉をもつ・もたない」などによっても,それぞれに違ってくる。

 要は,それだけのことであった。

〔記事に戻る→〕 「平成」の30年間は,阪神淡路大震災,東日本大震災という大きな災害に見舞われ,経済的にも,世界のなかでの日本が占める位置がどんどん下がってくる,という,停滞の時代でした。その一方で,紆余曲折がありながらも,他国との戦争での戦死者が出ない,対外的には平和な時代でもあったのです。

 この時代をずっと生きてきた僕にも個人的な思い出はたくさんあるのですが,さまざまなデータから,「平成」という時代を客観的にみてみよう,というのが,この本の趣旨なのです。

 補注)ここでも同断であって,「平成」といおうが「過去30年」といおうが,たいした相違はない。そうではなくて,相違が「ある」と思いたい人の観念にしたがうとしたら,「ある」といえば「ある」のであって,この逆に思う人がいないとはいえない。ともかく,それだけの話題であった。

 それ以上にいくら詮索したところで,結局は「平成頼み」になる観念的な理屈のいいあいになるほかなく,いうなれば,初めから堂々めぐりにもなりえない,いいかえれば,ことば遊びにもなりえない〈やりとり〉の応酬に帰着する可能性が大である。

 2)「世界における日本の位置・地位」の相対的な低下ぶり

 さきほど,「停滞の時代」という「平成」への僕のイメージを述べたのですが,著者は,日本の高齢化や途上国型から先進国型への構造転換が遅れていることなどを挙げつつ,この時代を,こんなふうに総括しています。

 〔結局〕それ以上に,筆者が本書で伝えたいことは,この30年で〔日本の比較してみると〕世界〔の各国のほう〕はとても良くなったということである。

 最近出版されて話題を呼んでいる『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』という本がある。そこでのメッセージは「データをありのままにみると,先進国に住んでいるあなたが思っているよりも,ずっと世界〔⇒多くの外国のことを意味する〕は良くなっている」というものである。

 まさにそうで,経済は成長し,貧困は減った。ITも医療も,あらゆる技術が進歩して,農業や漁業を含むあらゆる産業で生産性が高まった。人口問題も環境問題もエネルギー問題も解決に向かっている。世界中で人びとの生活が豊かになり,買い物を楽しみ,ネットにつながり,スマートフォンを手にし,いろんな所に出かけるようになった。

 もちろん日本も例外ではない。世界における日本の相対的な位置が下がったことよりも,それ以上のペースで世界全体が良くなったことのほうが,ずっと大きい。

 僕はこの本をみつけ,ベストセラーになっている『FACTFULLNESS』みたいだな,と思ったのですが,著者もみずから,『FACTFULLNESS』について言及しているのです。多くの人が,自分にみえる世界について,悲観的になっているけれど,実際は,世界はどんどん良くなっている。

 とはいえ,日本人としては,周囲がどんどん豊かになっているのに,自分たちはあまり変わらない(ようにみえる)ことに,もどかしさを感じずにはいられないのも事実なのです。「平成」に至るまでは,高度成長だバブルだと,「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代もありましたし。

 日本は,1人あたりのGDPが2000年には2位だったのが,どんどん順位を下げ,2017年には25位となりました。企業の株式の時価総額ランキングでも,1989年の世界第1位はNTT出版で,2位が日本興業銀行,3位が住友銀行,4位が富士銀行,5位が第一勧業銀行で,ベスト10のなかに,日本企業が7社も入っていたのが,2018年には,ベスト30のなかに1社も入っていません(日本で最高位はトヨタ自動車の32位)。

 2018年の世界第1位はアップル,2位がアマゾン,3位がアルファベット,4位がマイクロソフト,5位にフェイスブック,6位アリババと,IT企業が上位を占めるようになり,時価総額そのものも,1989年1位のNTTが1639億ドルだったのに対して,2018年の1位のアップルは9269億円となっています。

 既存の日本企業がダメになった,というよりは,この30年間の劇的な産業構造の変化に対応し,新しく勃興した日本企業がなかった,ということなのでしょうね。ちなみに,2018年の30位のマスターカードが2019億ドルですから,この30年間で,企業の規模そのものが大きくなっている,ともいえるのです。

 補注)以上,企業関係の順位については,2022年に関するつぎの図表を挙げておきたい。

2022年の順位はトヨタ1社しか日本企業は出ていない
1989年の順位から消えてしまった日本企業の社名が金融業で多いが合併しての結果
製造業では東芝は完全に落ちぼれた

 3) 日本のGDPの相対的な低下ぶり

 1989年(平成1)年当時,日本のGDPは米国に次ぐ世界第2位であった。世界経済全体に占める日本のシェアは15.3%で,3位から5位のドイツ・フランス・イギリスを合わせたのと同じくらいあった。ニューヨーク・ロンドン・東京が世界の三大証券市場であり,米国・欧州・日本が世界経済を考えるうえでの三本柱であった。

 最新のランキングはどうなったか。2017年の日本のGDPは,米国,中国に次ぐ世界第3位となり,世界経済におけるシェアは6.5%にまで低下した。日本のGDP〔そのもの〕は,1989年から2017年のあいだに1.6倍に増えている。

 これだけをみると,「失われた30年」とはいえ,なかなか増えているものだと思われるかもしれない。しかし世界のなかでみると,日本はこの30年間でもっとも成長しなかった国のひとつである。

 補注)新元号「令和」を大喜び(大歓迎)するかのように報道した新聞などマスコミであるが,いままで30年間:「平成の時期」の推移(とくにその深刻さ)を踏まえてする議論(記事)は,ほとんどみつからない。

 要は,平成天皇退位にともなって新しく登場した元号「令和」に “験かつぎ” したい,もしかすると「わらにもすがりたかった」雰囲気だけは,濃厚に漂よわせている。

 そうならばそうで,平成の時期にあってもその「験かつぎ」のために,途中であってもほかの元号に替えてみたらよかったのでは,などとも考えてみるしだい。もっとも,それでは「神武創業」にとって不可欠の制度的な一環であった「一世一元の元号制」の意味は,吹っ飛んでしまう。江戸時代以前にタイムスリップすることも必要になる。

 以上のごとき議論をしていたら,いまではあの世にいるが,その昔(若いころ)はテロリストの役目も果敢に果たしていた伊藤博文が血相を変えて怒り出し,「オレの創った一世一元の元号制」に勝手に手をつけるなと怒鳴り出すかもしれない。

〔記事に戻る→〕 世界全体のGDPは,この間に4.0倍になった。中国は26.1倍,インドは8.7倍,韓国は6.3倍,米国は3.5倍。ヨーロッパの国々は世界平均よりは低いが,それでもドイツ3.0倍,フランス2.5倍,イタリア2.1倍となっている。日本のGDPの伸び率は,データの存在する139ヵ国中134位。下から数えて6番目である。

 ちなみに,日本よりも下位は,中央アフリカ(1.3倍),リビア(1.1倍),イラン(1.1倍),コンゴ民主共和国(1.0倍)となっている。なお戦争のあったシリアやイラク,アフガニスタン,あるいは北朝鮮など,データには含まれていない国もある。

 日本の2017年のGDPは,円表示では546億〔兆〕円である。しかし,もし平成の間,世界平均のペースで増加していれば,1370兆円になっていたことになる。いまだにそれなりの経済規模,人口をもつ「大国」ではあるけれど,世界の成長速度についていけない日本。

 補注)ここでの「時期区分である平成」についてであるが,はたして本当に意味がありうるその時期区分だと考えたのか? 2019年以前の四半世紀(25年間)分に対してでも,以上のごとき内容をひとまずとりあげ論じることはできる。それだけのことである。平成である時代は「バブル経済破綻」後の〔25年から〕30年になった,ということに過ぎないともいえる。

 2024年2月1日補注)なお,2023年10月で最新の「国・地域別の世界GDP(国内総生産)ランキング(IMF)」は,こうなっていた。円安の影響が強く反映されているが,ともかくドイツにも日本は抜かれた。

   順位  国・地域名  2023年名目GDP(IMF予測)
    1   アメリカ    26兆9496億4300万ドル
    2   中 国     17兆7008億9900万ドル
    3   ドイツ     4兆4298億3800万ドル
    4   日 本     4兆2308億6200万ドル

 4) 平成の時期に関する意外な各種のデータ

 これからの高齢化,人口の減少も考えると,悲観的にならざるをえない感じではありますね。この本では,僕の先入観とは異なる,けっこう「意外な」データも少なからず紹介されています。

 1990年以来の移民の増加は,世界的な傾向である。国際的には,国籍や永住権や在留資格の有無を重視せず,単純に外国生まれの人口を移民人口として定義することが多い。日本における外国人比率の増加は,先進国全体への移民の流入数の増加傾向とほぼ一致している。

 移民流入数でみると,日本の2016年の流入数は年間42万人であり,OECD(経済協力開発機構)加盟国のなかで第4位となった。シリア難民を大量に受け入れているドイツ,伝統的に移民の多い米国は別格として,イギリスとはそれほど変わらない。

 なお,OECDの統計は流入数であって純増数ではないので,日本で暮らす外国人がこれだけ増加したというわけではない。2017年の在留外国人の純増数は18万人である。

 1989年と2017年とを比較して,もっとも減っている項目は「こづかい」,なんと68%の減少である。「交際費」も大きく減っている。なんともわびしい事態である。

 もっとも,家計調査の「こづかい」には使途不明金も含まれるので,お金のことをちゃんと把握する人が増えたということかもしれない。あるいは,本来の意味でのこづかいの必要な子どもをもつ世帯が減っていることが影響しているのかもしれない。

 ほかに目立って減少しているのは,被服費である。洋服代は一世帯あたり年10万円から5万円までに減った。ほかには家電などの家庭用耐久財や,教育費も大きく減少している。穀類と魚介類の減少も目立つ。魚介類が減ったぶんだけ,肉類への支出が増えたのかというとそういうわけでもなく,つまり食費を削っている。

 補注)「例の」エンゲル係数の話題になっているが,最近,安倍晋三政権がこの係数をゴマカした事実も記録されている。すなわち,国家指導者による国家統計の捏造行為であった。

 逆に増えたのは,通信費,自動車等関係費,光熱・水道費(電気代・水道代が増え,ガス代は横ばい),医薬品,保健医療サービス(診察代,マッサージ代など),教養娯楽サービス(宿泊料・スポーツクラブ・習い事の月謝・テレビ受信料・インターネット接続料など)等である。

 全体としてみると,平成の日本における消費支出の変化は,生活者にとって厳しい方向であったようだ。

 最後に「仕送り金」がある。これは仕送りが必要な子どものいる世帯が減少した影響もあるが,それ以上に,仕送り額じたいの減少を反映している。

 1990年の東京の私大生への仕送り額の平均は,月に12万円を超えていた。それが年々低下し,2017年は8万6000円と3割以上減少している。その一方で,家賃は1990年の4万8300円から2017年は6万1600円とむしろ上昇している。仕送りから家賃を差し引いて残る1日あたりの生活費は,1990年の2460円から2017年では817円と激減している。

 補注)このあたりに指摘・説明されている経済状況の悪化要因は,平成天皇の立場に直接結びつけられたら,明仁氏も迷惑に感じるかもしれない。だが,このような天皇に対する心配は無用であった。元号というものはそういうモノだといえなくもないからである。

 仮に,平成の時期の途中でこの元号を替えてみた〔とした〕ところで,日本経済の進行過程に特別の影響はなかった(皆無!)と断言できる。そうだとしたら,前段で触れた「験かつぎ」で元号を替えても「意味がない」ということになる。 

 日本は移民の受け入れが少ない,排他的だ,というイメージがあったのですが,実際は,かなりの数の移民を受け入れている国なのです。そして,最近の若者は……といわれがちだけれど,こんなに生活が厳しいなかで,がんばっているのです。そりゃ,奨学金もなかなか返せないよね……。

 補注)日本における奨学金制度の問題は,「なかなか返せないよね」「それで困っているだよね」,といった次元の問題ではなくなっている。もしかしたら,日本が平成の時期30年間にその制度を根本から変更できないせいで,いまのような国全体の様相にまで落ちこんでいる一因を,教育制度面から提供しているといえなくもないからである。

 その30年という時間は,人間が生まれてから高等教育まで受けたのち社会に出た場合で考えてみるに,人間30歳になればだいたい1人前に仕事・職業に従事しうる段階に到達しているとみなしていい。

 その30年間となっていた平成の時期に日本はいったいなにをやっていたかと問われたさい,ただ「失われた10年」を3周回してきたとしか応えようがないようでは,ほぼ「一巻の終わり」だったのかとしか表現できなくなる。

〔記事に戻る→〕 「世界はどんどん良くなっている」のは頭では理解できても,結局,ひとりひとりの人間にとっては「自分のまわりの状況」がすべてでもあり,日本人にとっての平成は「もどかしい時代」ではあったようです。隣の芝が青くみえているだけに,なおさら,ね。客観的にみれば,インターネットも普及していなかった30年前に比べれば,いろんな生き方や可能性もある時代になった,とは思うのですけど。(引用終わり)

 テレビの番組で「百円ショップの品物」を海外(主に欧米になっているが)にもちだし,紹介する内容の企画があるが,円の価値が相対的にそうとう低下してきた事実は,「¥100の製品」に対面させられたそれら外国の人が「安い,安い,安くてすばらしい……」と驚いて反応する意味のなかには,日本経済が世界経済のなかでその占める地位を,いわば相対的にもかつ絶対的にも落ちこんできた経緯を,正直に反映させた場面だと解釈もできる。

 補注)最近は100円ショップのなかでは,この価格よりも高い品物が増えているが,100円ショップそのものが消滅するという段階にはない。

 さて,歴史社会学者・小熊英二稿「〈論壇時評〉この30年の日本 世界の変化になぜ遅れたか」『朝日新聞』2019年3月28日朝刊17面「オピニオン」が,平成の時期を総括するまとめ的な議論をしていた。全文は引用できないゆえ,この記述全体の論旨につながりそうな段落のみを任意に参照する。

 「この30年は,元号が『平成』だった時代だ。『昭和』が終わった1989年以降,冷戦期の東西両陣営の壁が崩れて世界が統一市場となり,ヒト・モノ・カネ・情報の移動が急増した。アマゾンのオンライン書店創業は1995年,中国のWTO(世界貿易機関)加盟は2001年だ。そうして世界は激変し,日本はその変化に遅れた」

 それでは「なぜ日本の変化は遅れたのか。〔その〕一つの答えは,国内市場が大きいからだ」 さらに「その表われの〔もう〕一つは語学力だ」 「他のアジア諸国では語学力が高所得につながる。だが日本は国内市場依存の程度が強く,日本語だけで就職できる」 「これは政治にも影響する」重要な要素になっていた。

 「動乱と民主化に揺れた敗戦後の社会はもっと多様だった。30年前の経団連には敗戦後に自分で起業した副会長もいた。昔は高等小卒の田中角栄のような首相もいたが,1996年以降に就任した首相はほとんど世襲政治家だ。政財界の同質性はこの30年で高まったともいえる」

 「共感と寛容という世界の若者共通の傾向が,日本では現状維持に働くのだろうか。批判しても変わらないという無力感,現状でそこそこやっていくしかないという諦念もあるのかもしれない」

 「それでも変化は静かに,だが確実に進んでいる。縮んでいく国内市場に頼ってそこそこやっていける状態は,そう長く続けられない。東京オリンピックと大阪万博という『昭和の亡霊』が終わるころには,新しい動きが出てくるだろう。どのみち,いまの政財界のトップの多くは,つぎの30年後はこの世にいないのだから」

 --そういえば,30年前(以上)であったころを,ここで思い出す。近所ではまだ小さいこどもたちがたくさん集まっては遊び,ガヤガヤ,キャーキャーと叫び,わめきながら元気に遊ぶ音(騒音)が響いていたものだが,いまでは,すっかりそうした音声は聞かなくなった,静かになった。

 2024年1月1日午後4時10分ころ発生した能登半島地震での災害死亡者は高齢者が多いと報道されている。だが,そもそも地方にいくと子どもたちがほとんどいない地域もすでに数多く出ている日本であったから,被災者となりうる母数そのものが高齢化している現状に照らせば,そうした報道の意味はそれなりにとらえなおす余地があったと思われる。

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