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映画『キャタピラー』2010年は反戦映画の立場・意味を訴求するだけの作品か?

 ※-1 反戦的な映画『キャタピラー』2010年8月の狙いはなにか,日本という国の戦争体験を想起しながら,戦争という破壊・混沌・無秩序の実際を,いまさらのように再考する

 2022年2月24日から「ロシアのプーチン」が始めた「特別軍事作戦」という名目をかかげた「隣国侵略のための戦争行為」は,本日とりあげて討議したい「日本映画『キャタピラー』を実際に鑑賞してみれば,そのほんの一端にしかすぎないけれども,戦争という殺し合いの舞台の残酷さ・苛烈さを理解させてくれるはずである。
 付記1)冒頭の画像は,Amazon の prime video の製品広告から借りた。
 付記2)2023年7月16日,粗雑だった文章の部分を補正した。

 現在進行中であるそのウクライナ戦争の現場では,この侵略のための戦争が開始されて以来,つぎの統計のように犠牲者数--戦死者と戦傷者の合計--が報告されていた。2023年6月の時点と,これより少しさかのぼった同年2月の時点それぞれにおける,ロシア軍とウクライナ軍の犠牲者の統計は,以下の記事のように解説されていた。

 a)「 ロシア兵の死者,名前確認分だけで 2. 5万人 英BBCなど独自調査」『朝日新聞』2023年6月18日 14時53分,https://www.asahi.com/articles/ASR6L4VGNR6LUHBI012.html

 英BBCとロシアの独立系メディア「メディアゾナ」による独自調査で,昨〔2022〕年2月のウクライナ侵攻以降に死亡し,名前が確認できたロシア兵が2万5千人に達したことが分かった。〔2023年6月〕18日,ウクライナの現地メディア「キーウ・インディペンデント」が報じた。

 BBCとメディアゾナによると,昨〔2022〕年2月からの15カ月間で死亡したロシア兵2万5528人の名前を確認したという。両者はロシア国内の地方当局が発表する訃報(ふほう)やSNSに投稿された情報をもとにウクライナでの戦死者の名前を調査し,定期的に人数を発表しており,実際の死者数はこれよりはるかに多いとしている。

 メディアゾナは,戦死者数が明らかにならないよう,ロシア国防省が地元当局に訃報を公表しないように働きかけている可能性も指摘。名前などのデータは,ボランティアがロシア各地の墓地を訪問してえたという。

  b)「ウクライナでの両軍死傷者すでに35. 4万人,長期化も=米機密文書」『REUTERS』2023年4月13日 7:08,https://jp.reuters.com/article/usa-intel-russia-ukraine-idJPKBN2W91R0

 2023年2月23日付の分析では「ウクライナ東部ドンバス地方の戦いは年内いっぱいこう着する見込み」と題し,ロシアがをドンバス地方を奪取できる可能性は低いとの見方が示されていた。

 米国防情報局がまとめたとされる推計では,ロシア側の死傷者は18万9500~22万3000人。うち3万5500~4万3000人が戦死,15万4000~18万0000人が負傷したという。

 一方,別の文書では,ウクライナ側の死傷者は12万4500~13万1000人に上り,戦死者は1万5500~1万7500人,負傷者は10万9000~11万3500人とされている。

 この数字はいずれも,ロシアとウクライナの両国政府が発表した公式発表の約10倍に相当する。

 補注)いきなりだが,ВТРАТИ РОСІЙСЬКОЇ АРМІЇ СТАНОМ НА 13. 07. 2023Військове телебачення України の発表したロシア兵の戦死者は,23万6040人である。

 上段で2023年2月下旬の時点でロシア側の戦死者は3万5500~4万3000人と推計されていた数字を念頭に置くとき,2023年7月13日の時点でウクライナ政府が発表したその23万6040人というロシア兵の死者のうち,本当に本当の数字が,この7月中旬の数字としてどのくらいであったかを見積もるとなれば,

 ここでは,その3万5500~4万3000人に対してならばその後における時間の経過を考慮して,「 × 1.5倍」の数字になるとみなし計上すると,ロシア兵の戦死者は「5万3250~6万4500人」ほどになるという計算ができる。同じ計算方法で,ウクライナ兵の戦死者は2万4750人という結果を出せる。

 以上は,もちろん2023年7月上旬までの両軍の戦死者に関する数字であり,合計すると大体の推算に過ぎないが,おおよそ8万2000人という計算ができそうである。負傷兵は単純にその3倍で計算すると24万6000人。

 c) 2023年7月13日にウクライナ軍のテレビ当局が公表したロシア兵の戦死者数は,その23万6040人と報告されていたから,時間差(事後に経過した分)を補って推計してみると,ウクライナ側が発表したロシア兵の戦死者数は,米国防情報局がまとめたとされる推計の約3倍となっている。

 そのあたりの数字の真偽は,まだ先にならないとより正確性を期待できる統計は算出されにくい。それでも,ひとまずここでは,以上のように推算も可能である「戦争犠牲者数統計」に接しうるわれわれの立場としては,ウクライナ侵略戦争というものを,21世紀におけるほぼ本格的な戦争事態とみなしたうえで,いったいどのように認識するのかという問題意識をもたざるをえない。

 ともかく,ロシア,ウクライナ両軍の戦死者数が,概略であって推計だよりの数字であっても,以上のようにしらされたり,これに解釈をくわえてみる数字としてだけ接していればよいものではない。

 d) たとえば,ユーチューブ動画サイトで視聴できる事実は,たとえばウクライナ兵の戦死者のための葬儀がとりおこなわれる場面や,あるいはまた,戦死は免れたが両脚を失った兵士たちが,その負傷して失われた両足の状態でありままに市民たちの前に現われ,敬意を受ける舞台が準備されていた場面を,われわれは遠くの地にいる人間の立場からだが,それらの不幸と悲惨を離れた立場から客観的に凝視することだけはできる。

【参考記事・画像】 これは,本記述がなされた翌日(2023年7月15日)の『毎日新聞』夕刊1面の冒頭に,大きく報道された記事とその画像である。

両脚の膝下部分を失ったウクライナ兵

 戦死者の場合,もちろん非常に悲しい思いを遺族たちはさせられる。だが,それじたいは,あえていってしまえば実感しやすい人的な損害である。ところが,負傷者した兵士の場合は戦場で落命せず生きている。それゆえ,いろいろと強烈な印象を「銃後の市民たち」に,それも大きな衝撃もともなって与える。

 前段で触れたごとき両脚を戦争で取られた兵士の事例は,膝から下をほぼ同じ部位から下の部分を失っていた。しかし,彼ら以外にも戦死せずに生き残り,けがの程度の違いはあれ,身体の部位のあちこちを奪われたり壊されたりした人びとが,ほかにも大勢いるはずである。

 e) 戦前・戦中に,当時の企画院調査官であった美濃口時次郎は,1941年3月に『人的資源論』八元社を公刊していた。この本は,「我国に於ける人的資源の需給関係は最近の十年間にその過剰から不足へといふ極めて著しい変化をなした」(15頁)と書いていた。

 その原因は1937年7月7日に大日本帝国が始めだしていた「日中戦争(通称は「支那事変」)」以降になると,日本軍はつぎのように兵士たちを動員して間に合わせるほかなくなっていた。

 現役や予備役の兵士だけでなく,「116師団」のような特設師団の動員で,年齢の高い後備役の兵士が多数動員されることとなったのです。

 『戦史叢書 支那事変陸軍作戦〈3〉』によると,昭和13〔1938〕年8月現在の中国派遣兵士の構成は

  現役兵 (昭和10年~12年〔1935~1937年に〕徴集)11.3%,
  予備役兵(昭和5年~ 9年〔1930~1934年に〕徴集)22.6%,
  後備役兵(大正9年~昭和4年〔1920~1929年に〕徴集)45.2%, 
  補充役兵(大正14年~昭和12年〔1925~1937年に〕徴集)20.9%

という実態を示しています。

 資料紹介コーナーに展示されていた「軍隊手牒」の持ち主のF氏は,私の祖父に当たりますが,昭和13〔1938〕年5月15日に編成されたこの「116師団」の砲兵として,なんと38歳の後備役兵として召集されていました。

 こうした「根こそぎ」の動員は,日本の労働人口の枯渇を招きました。軍隊に兵士を,軍需産業に労働者を送り出し,農村には食糧増産が要求されるという,総力戦としての国民動員がおこなわれたのが,先の戦争だったわけです。

 註記)「資料紹介コーナー『戦争体験記』-余話 根こそぎ動員と『116師団』-」京都府ホームページ『メルマガコラム 資料紹介コーナー [総合資料館]』https://www.pref.kyoto.jp/kaidai/maga-mini.html(総合資料館メールマガジン 第26号,2007年9月26日掲載)

戦時の人的資源「観」

 一般論としていえるのは,「権力が思う」ことはいつも「国民は戦争のための『人的資源』だ」という観点である。冗談ではなく,その手駒にされるだけの庶民の立場からすれば,自分たちが「戦争気違いどものおもちゃや使い捨てにされてたまるか」という批判・非難が飛びでて来て当然である。

 だが,戦時体制期の日本はそのような徴兵拒否の態度や反戦思想の表明など,おくびにも出せない時代であった。

 前述に登場させた美濃口時次郎の『人的資源論』は「改訂増補」を昭和18〔1943〕年9月に発行できていたが,こちらの末尾:結論部では

 「従来の知識第1主義の教育をあらためて実践第1主義の教育にすること,個人主義的な立身出世主義の教育を矯正して全体主義的または協同的な思想と訓練を与へることとなどが,特に重要であると思ふ」(318頁)と説いていた。

 しかし,1943年9月段階における第2次大戦の戦況は,すでに同月の8日に,イタリアが枢軸国側では一番早く無条件降伏し,休戦協定を締結したのち,10月13日には連合国側に立ってドイツに宣戦布告していた。

 f) そうした戦争の時代のなかで “人的資源をウンヌンする” ことの意味となれば,人間の命を弾丸・砲弾並みにあつかい,位置づける発想にしかなりえないのが「人的資源論」の必然的な末路であった。

 だから,つぎに1943〔昭和18〕年の出来事はとみれば,1943年(昭和18年)半ばにはすでに日本の勝利はありえなくなっていた。

 2月1~7日 日本軍,ガダルカナル島撤退。

 4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官,ブーゲンビル島上空で戦死

 5月12日 米軍,アッツ島上陸(アッツ島の戦い)
  
   29日 日本軍全滅(アッツ島玉砕)し,「玉砕」の語の使用始まる

 7月29日 日本軍キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦)

 9月8日 イタリア,連合国に降伏

 9月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定

 10月   日本軍,フィリピン独立を許可

 10月21日 東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催              (学徒出陣のはじまり)

 11月   東京で大東亜会議を開催,大東亜共同宣言を発表。

 12月1日 カイロ宣言-軍事行動を前提とした連合国の対日方針

1943年,日本の主な出来事

 ところで,海軍の名将山本五十六は,日本が対英米と戦火を交えることになったら,当面する「半年か1年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる」と語った話は有名である。

 1940年9月,山本五十六は上京にしたさい注目すべき発言をした。当時首相であった近衛文麿の別荘「荻外荘」に招かれ,面談したとき吐かれたのが,その文句であった。

 近衛は,日米が戦争になったときの海軍の見通しについて山本に尋ねたところ,山本は「それはぜひやれといわれば,初め半年か1年の間はずいぶん暴れてご覧に入れる。しかしながら,2年3年となれば,まったく確信はもてぬ。三国条約ができたのはいたしかたないが,かくなりし上は日米戦争を回避するよう,極力御努力を願いたい」と,有名な答えを返した。

 つぎの地図は,その大東亜(太平洋)戦争開始から2年も満たないうちに日本が想定した「絶対国防圏」の地図である。太平洋地域を中心に引かれた1点鎖線内は日本が絶対に守るべ勢力圏だと規定していた。このとき日本はすでに「敗戦を予測するほかない戦局に転じていた」ことになる。

絶対国防圏の想定じたいがすでに
負け戦を予見させた

 そこで,本日記述する映画『キャタピラー』は,そうした戦線・戦場で負傷した兵士たちの,ある意味ではそのほんの一例に相当する実際にすぎなかったけれども,またある意味ではその極端化した事例としてだが,あえて分かりやすくいってしまえば,「ダルマさん状態で戦場から戻ってきた負傷兵」をとりあげ,これを映画の脚本にとりいれて「反戦思想」を訴える芸術作品にしあげ,上映していた。

 ※-2 『キャタピラー』という映画が2010年に上映された。キャタピラーとは英語で Caterpillar と綴る。監督,若松孝二,脚本 黒沢久子・出口 出,出演者,寺島しのぶ・大西信満

 映画の場面は,第2次大戦中の話となる。 

 傷痍軍人が,帰還した。勲章をぶら下げ,軍神となって。妻を殴ったその手も,妻を蹴り上げたその足も,戦地で失い,頭と胴体だけの姿になって。

 銃後の妻の鑑たれ。家庭は最後の決戦場なり。口もきけず,耳も聞こえず,身動きのできない体となっても男の性欲は変らなかった。女は毎日,男の上にまたがった。

 口に粥を流しこみ,糞尿の世話をし,男の下半身にまたがり,銃後の妻の日々は過ぎてゆく。食べて,寝て,食べて,寝て,食べて,寝て・・・。

 稲穂が頭を垂れる秋,そして冬から春へ。敗戦が濃くなっていくなか,男の脳裏にフラッシュバックしてきたのは,かつて大陸で犯した女たちの悲鳴,刺し殺した女たちのうつろな目。女たちを焼き尽くす炎。

 1945年8月15日。男と女に,敗戦の日が訪れた-。

 註記)『キャタピラー』https://www.amazon.co.jp/キャタピラー-寺島しのぶ/dp/B07H7VK69N, (C) 2010 若松プロダクション All Rights Reserved.

『キャタピラー』のあらすじ

 ※-3  反戦的な映画『キャタピラー』2010年8月の狙い

 本稿の要点をここでかかげておきたい。             

  要点:1 昭和天皇夫妻の写真のまえでの夫婦の営み

  要点:2 軍神の〈芋虫〉:「イモムシ ごーろごろ・・・」と嘆いて泣いたその妻

 --なお,本稿の初出は2010年8月22日,2014年9月26日に更新され,本日 2023年7月14日にはとくに,※-2の追加をもって大幅に増訂した。

 1)『ジョニーは戦場に行った』1971年が『キャタピラー』2010年より先行して制作されていた

 2010年8月21日のことであったが,本ブログ筆者は出かけた用事ついでに,そのころまでには新聞でもすでに批評され,事前にも評判にもなっていた映画『キャタピラー』(若松孝二監督,8月14日から上映)を,ヒューマントラストシネマ有楽町〔有楽町イトシア・イトシアプラザ4階〕で鑑賞してきた。 

 この映画は,2010年2月のベルリン国際映画祭で女優・寺島しのぶ(当時37歳)が銀熊賞(主演女優賞)を獲得していた。

 注記)『朝日新聞』2010年8月20日夕刊「『軍神』と妻 生々しい日常」,『日本経済新聞』2010年8月20日昼間「戦時下の夫婦,強烈なドラマ」。 

 映画による芸術表現であるから,反戦的な内容であっても同時に〈娯楽性〉もなければならない。一言で率直な感想をいえば,むだな繰り返しの場面が多くあったと感じた。あの「日中戦争」(1937年7月-1945年8月)の出来事を,いくつかでも歴史的に絡めて制作してくれれば,訴えたい核心がより理解しやすくなったのではないか。

 この映画を観にいくまえから,1939年にドルトン・トランボが発表した反戦小説『ジョニーは戦場へ行った』(原題は “Johnny Got His Gun” であり,直訳は『ジョニーは銃を取った』) を原作にした,1971年公開の映画『ジョニーは戦場に行った』を想いだしていた。

 本ブログの筆者がこの『ジョニーは戦場に行った』を映画館に観にいったのは,おそらく封切りされたその1971年だったと思う。だが,『ジョニーは戦場に行った』に登場する主人公男性は,『キャタピラー』に登場する主人公男性の状態「イモムシ」よりも,もっと悲惨な状態で登場する。

 こちらは,同じく四肢とそれ以上に顔面の前面部がもがれた身体になっていて,ベッドの上に置かれたままほとんど動けない。 

 2)『ジョニーは戦場に行った』1971年の主要場面
 
 『キャタピラー』2010年にも共通する場面を意識しつつ,『ジョニーは戦場に行った』の〈あらすじ〉を解説する文章からその内容を任意に抽出してみたい。

 第1次大戦にアメリカ軍兵士としてヨーロッパの戦場へ出征した青年ジョー・ボナム(ティモシー・ボトムズ)は,いま〈姓名不詳重傷兵第407号〉となって前線の手術室に横たわっている。延髄と性器だけが助かったが,心臓が動いている。

 ジョーは出征する前夜,恋人カリーンの父親の許しがあって,彼女と残り少ない時間を寝室で過ごした。ジョーはあのとき,泥水のたまった穴の底で,砲弾にやられた。その後,軍医長の命令で407号は人目につかない場所:倉庫に移された。

 --「かゆかった。腕のつけ根あたりがかゆい。ところが,なにもないのだ。両手も,両足もないらしい。切らないでくれと頼んだのに。こんな姿で生かしておく医者なんて人間じゃない」

 ジョーは,顔をおおっているマスクを変えるとき,あらゆる神経を総動員してさぐってみた。舌がなかった。アゴがなかった。眼も,口も,鼻もなかった。額の下までえぐられている。

 ある日,ジョーは何かが額にさわるのを感じた。「そうだ,これは太陽だ」。あのなつかしい暖かさ,そのにおい。ジョーは,野原で真っ裸で陽の光を浴びていたあの日のことを思いだした。

 ジョーは悪夢のような戦場での体験を思いおこしていた。その夜,塹壕のなかで悪臭を放つドイツ兵の死体を埋めていた。その最中に,あの長い砲弾のうなりがのしかかり,強烈な白熱が眼前にとび散り,それきり暗黒の世界に沈みこんでしまった。

 407号は新しいベッドに移しかえられた。看護婦〈ダイアン・ヴァーシ〉も代わった。その看護婦はジョーのために涙を流し,小瓶に赤いバラを1輪,活けてくれた。雪が降るころ,看護婦は407号の胸に指で文字を書き始めた。M・E・R・〔R・〕Y メリー。「そうか,今日はクリスマスなのか。ぼくもいうよ看護婦さん。メリー・クリスマス!」

 「なにもいえないなら電報を打て,モースルだ。頭を使うんだ」。その日,407号が頭を枕に叩きつけているのをみた看護婦は軍医を呼んだ。数日して,テイラリーと神父が倉庫を訪れた。頭を枕にうちつける407号をみた将校は「SOSのモールス信号です」といった。

 将校は407号の額にモールス信号を送った。

  「君はなにを望むのか・・・」

 「外に出たい。人びとにぼくをみせてくれ,できないなら殺してくれ」 

 上官は愕然とした。そしていっさいの他言を禁じた。それに対し神父がなじった。

  「こんな蛮行を信仰でかばいたくない。諸君の職業が彼を生んだのだ!」

 一同が去ったあと,1人残った看護婦は,殺してくれと訴えつづける407号の肺に空気を送りこむ管を閉じた。しかし,戻ってきた上官がこれを止め,看護婦を追いだしてしまった。倉庫の窓は閉ざされ,黒いカーテンがすべてをかくした。暗闇にジョーだけが残された。

 「ぼくはこれ以上このままでいたくない。SOS,助けてくれ,SOS・・・」。その声なき叫びはいつまでも響いている。

 注記)http://movie.goo.ne.jp/movies/p4512/story.html 参照。〔 〕内補足は本ブログ筆者。この住所は現在〔2023年7月14日〕,削除。
 

 ※-4『キャタピラー』2010年との比較

 1) 比較することの意味

 『キャタピラー』(2010年,日本の映画)の最後の場面は,敗戦直後の話へとすすむ。部屋から這いだしたイモムシ状態の軍神は,さらに必死になって家の外に這いずって出ていき,家のすぐそばの小さな池にその身を投げた。

 ここでは,『ジョニーは戦場に行った』1971年(アメリカの映画)の最終場面と比べておきたい。

 さきに『キャタピラー』の筋書も説明しておく。

 --戦争で四肢を失った夫が帰ってきた。周りの若者がお骨になって帰ってくるなか,姿かたちは変われど,みごと生きて帰ってきた夫に,村人は「軍神あらわる!」と大盛り上がりだ。しかし,妻〔=私〕は,以前とはまったくの別物となってしまった夫に,正直戸惑いを隠せない。これはもう,夫とは呼べないシロモノなのではないのか。

 これに対して『ジョニーは戦場に行った』の主人公は,始めから倉庫のなかに閉じこめられた。イモムシになった軍神とは異なり,他者にみせられるような肉体的状態ではない。ましてや,その形状をもって戦争督戦・昂揚につながるような宣伝材料には使えない。

 『キャタピラー』の男主人公は,それはもう非道(ひど)い肉体的な状態ではあって,四肢がなく,頭部右側面には火傷のみにくい跡が大きく残ってはいる。しかし,目〔は見える〕や口〔は話せない〕,鼻や耳〔は聞こえない〕はちゃんと付いている顔。ジョニーとこの軍神とでは,頭部に関する「損傷の状態」がいちじるしく異なっている。

 『キャタピラー』の女主人公は,もともと愛情があったのかすら判らないこの夫に対し,同情や憐憫が湧くはずもなく,ひたすら嫌悪感しか抱けない。このダルマ同然に存在するしかない夫は「飯を喰って,排泄して,精液を撒き散らして寝るだけの,肉の塊」である。 

 出所)http://xie2001.exblog.jp/14988608 この住所を画像に起こしたのがこの画面。

 これのどこが “軍神” なのか。しかし,「私がなすべきことは,この名誉ある “生き神さま” をお世話することにほかならない」

 それも「妻としてではなく,日本国民の義務として」,この戦争のなかで「一国民として,お国のために,である」

  “反戦映画” という安易なことばで片づけたり,一口にくくってしまったりしてはいけない。本作には, “戦い” に対するさまざまな想いが詰まっている。

 夫婦が狭い空間のなかで “支配” “叛乱” “報復” といった攻防戦を繰り広げている。この姿は,第2次大戦うんぬんとは関係なく,現代にも存在する “あるひとつの夫婦の壮絶な戦い” かもしれない。

 ただ,そのような複雑な夫婦関係を作りあげた根源は,戦争事態における特殊な政治環境・社会の精神状態であった。それらの想いを反芻してめぐりめぐって導き出される答えは,結局 “戦争反対” になるのか?

 だが,観終わってそこにすぐにたどり着けるほど,単純な作品ではなかったと感じる。とにかく,ひどく悶々としてしまう作品である。

  “戦争” の恐ろしさを描いているが,とことん “奇麗事” を排した物語を紡ぎあげている。若松孝二監督のそれらに対する怒りの深さや激しさは,執念すら感じさせる。「不自由な体で帰って来た夫を献身的に介護する妻」(!)みたいな,いかにもわかりやすい夫婦愛には脇目も振らず,愛とも憎しみとも割り切れない,複雑な “情” をぶつけ合う夫婦の姿を,ときに滑稽に,ときに惨めに,ときに残酷に映し出した84分間。

【映画余談】 ここで,途中で入れる映画鑑賞に関した感想話になる。

 この映画の上映にさいしてシネマ側は「予告編は10分程度です」といっていた。だが,実際は延々と何本も新作映画の予告・宣伝を,20分近くも流していた。

 いささかならずウンザリした。興ざめ・・・。予告編をみせられるために映画館に来たのではない。最後の部分に予告編を移し,流したらよいのではないか。みたくない者はさっさと出るから。

ながーい予告編の事前上映には「ウンザリ」しました

 2) あのウソだらけの戦争の時代

 兵隊さんが血を流す場面は,実は戦争のほんの一部に過ぎない。もっと大きな,抗いようのない狂気のうねりが世界中をすっぽりと包みこんでしまう。それが戦争というものである。

 最近の実例でいえば,湾岸戦争・イラク戦争の開戦当初,この戦争にアメリカ人が反対でもしようものなら「非国民扱い」され,その人物は町中を安全に歩けないような雰囲気さえあった。

 そして2022年2月24日に「大露帝国の幻想」が自分の頭中を駈めぐっているウラジミール・プーチンがウクライナ侵略戦争を始めた。

 現在,日本国内ではウクライナ応援団がユーチューブ動画サイトにたくさんみずから出演し,独自の意見をゲロのように吐きまくっている。

 なかにはついで,旧日本軍の南京虐殺はなかったなどと,ホラにもなりえない盲論を得意になって披露するユーチューバーもいたりで,プーチンの極悪さにはその足下にも及ばない連中だとはいえ,戦争中とはまた異なった「幻論」たけなわというしだい……。

 さて,寺島しのぶ演じる妻は,帰還時の階級が陸軍少尉となっていた夫の「子供を産めない」身体であった。もっとも,この映画では夫のほうに不妊の原因があるかどうか詮議してない。

 昔はそのように女性側に不妊の原因が押しつけられていた〕。〈当時の日常〉においては,妻たちが「男児を産めない」ことですら非国民扱いされかねなかったのである。

 それゆえ,自分が正しいと思うことを示すには,キチガイのフリをするしかないという日常もあった。『キャタピラー』に登場する人物にはそれに該当する村人がいた。

 篠原勝之(しのはら・かつゆき)演じる「精神障害のあるらしい中年男」が,その村においてはいつも・なににでも,まとわり付くかのように徘徊する役を演じていた。

 ★-1 モンペを穿いたおばさんが,竹やりで軍隊をなぎ払えると信じている日常。

 ★-2 死ににいく若者を万歳三唱で誇らしげに送り出す日常。

 戦争をしらない私たちからみると,出来の悪いコントのようなバカバカしい風景を,国民一丸となって死に物狂いで演じていた。狂気としかいいようのない日常である。

 「それが戦争だ・・・」と,当時は口にすることができなかった人びとに代わって,必死に声を振りしぼろうとする若松監督の想いが,映像に投影されている。

 ★-3 シーンとシーンの間に執拗に挟みこまれる,天皇・皇后両陛下の写真。

 ★-4 日本語での,複雑怪奇な日本語テロップとともに流れる大本営発表。

 ★-5 直視しづらい気持を挑発するかのように堂々と映し出される,四肢の無い体と焼け爛れた顔面。

 ★-6 特殊な状況下で虐げられ,屈していた妻の謀反行為。

 ★-7 そして沖縄の集団自決。

 ★-8 原爆の投下。

 ★-9 焼け焦げた死体。

 ★-10 戦時中の意味不明な大本営発表とは裏腹に,わかりやすい現代の日本語テロップとともに流される玉音放送。

 ★-11 終戦とともにみずからの命を終わらせた “軍神” の姿。家のそばの池に浮かんだ彼の姿(これが最後のシーンとなる)。

 ★-12 ダメ押しの如きエンドクレジットのタイトルバックには,元ちとせの「死んだ女の子」が流される。

 ★-13 ちょっとクドいくらい詰めこまれた,監督の想いと願い。

 ★-14 それにみごとに応えた2人の役者の,目を背けたくなるような魂の叫び。

 ★-15 胃もたれ覚悟ででも,観ておくべき作品なのではないかと思った。

 ★-16 人が人でいられない,狂気こそが正気なんだと教えこまれる,そんな日常を,あなたは望みますか?

 ★-17 敗者も勝者も正義のカケラもない,搾取と混乱と人殺しの風景を,あなたは望みますか?

 ★-18 小奇麗なメイクと整った髪型の俳優さんが演じる,感動の “反戦映画” から,本当の声は聞こえてきますか?

  注記)以上,ここまで,「『キャタピラー』」『すきなものだけでいいです don゜t trust me!』2010年08月08,http://sukifilm.blog53.fc2.com/blog-entry-697.html,http://sukifilm.blog53.fc2.com/blog-entry-697.html 参照しつつ記述。
 

 ※-5 ふたつの映画に共通する最終シーン

 1) 狙い目が定まっていない印象

 『キャタピラー』の男主人公「軍神」は,最後のシーンにおいて,四肢のない身体でまさにイモムシのよう這いずり出し,その身を池になかに投じる。そうやって自分の命にけりを付けた。

 『ジョニーは戦場に行った』の主人公は,それとは対照的な姿勢をみせた。「君はなにを望むのか」と尋ねられたジョニーは「外に出たい,人びとにぼくをみせてくれ。できないなら殺してくれ」といった(→「日本の軍神」のように,である!)。しかし,結局は倉庫のなかに封印されてしまった。

 この両映画が意味するところのそれぞれの根底には,戦争指導者たちの〈本心〉がみえかくれする。すなわち「戦争の本当の姿:真相・残酷性・残虐性,地獄絵」は「誰にもみせるな」という方針である。

 戦争の時代,自分たちだけは安全な後方基地にいながら,戦争をはなばなしく指導してきた者たちがいる。この者たちの側に普遍的に内在するのが,多少は〈うしろめたい気持〉である。

 補注)自民党の安倍晋三・石破 茂・高村正彦の3者は,日本国軍国主義者の代表的トリオであった。本文に指摘されているような役割を,非常時になると果敢に果たそうとする政治家たちである。もちろん自分たちは〈安全地帯〉から命令を下す立場にある者たちであるが……。

 すでに安倍はこの世におらず,石破は自民党内では存在の影すら薄くなっている。高村は自分の息子に選挙区を世襲させ,自民党政治の悪質な特性である「人材の縮小再生産」を,より確実にさせていた。

 ろくでもない連中であった。なかでも高村は,日本はもともと集団的自衛権を認められる立場にあったなどと迷論以前の,弁護士資格を疑わせる暴説を唱えていた。

 若松監督は,あの戦争がもたらした被害を字幕の形式で,あるいは「実録の戦争」動画も挿入して懸命に訴えようとする。しかし,本ブログの筆者には前述のように, 「繰り返しが多い」わりには,訴求したい問題がもうひとつ直接的かつ効果的に伝わってこなかった。

 明らかに反戦映画であるけれども,それでもって,イラク戦争・湾岸戦争・ベトナム戦争など,第2次大戦後にも数多く起きてきた戦争・紛争「批判」論につなげうるような〈反戦映画〉になりうるのか?

 日本帝国がかつて,あの戦争をとおして他国に与えた諸被害,たとえば中国戦線における「三光作戦」のうち,この映画にも描きだされた「女性を犯し・殺す」場面は,その「女性へのその性的暴力とその殺害」のみである。

 その三光作戦の全体像を,象徴的にでもいいと思うのであるが,正面から触れられてはいない。本ブログの筆者によるこの点の批評が,ここまででくわしく説明された〈この映画の狙い〉に照らし,的を外しているというのなら,その指摘は撤回してもいい。

 だが,主人公の軍神があとになって,逆に「妻から積極的に性的行為を迫られた」とき,彼自身が「中国でおこなった女性暴行とその後始末(殺害)」の場面のシーンが,回想的に強調される。これは,強調しておきたいシーンなのだろうが,無駄なリフレインのように強く感じた。

 妻からの要求があったときの軍神は,男性機能がなえてしまい,その役が立たなかった。しかし,そののシーンがどうして,中国人女性への暴行・殺害シーンへと転じていけるのか,これが連想的にその方向に関連づけられうるのか?

 非常に不可解であって,納得がいかなかった。その逆の関係(反相)の成立はありえない,非現実的な様相(仮想)ではなかったか?

 若松孝二監督だったからか,セックスシーンがやけに繰り返されていて,それはそれで分かるけれども,男の過去の戦争のトラウマ,夫婦の過去,まわりの村の人びとのチャラクターなどもっと描きこめたら,と贅沢な思いが浮かぶ。

 注記)「映画『キャタピラー』 見ました。」『ジャンヌ 通信 遊(YOU)ブログ』2010-08-15 20:01:01,https://blog.goo.ne.jp/arutemisia_001/e/f8c591d1aa9e6d9e38e0551bf399e1e2 参照。

 ところで,『日本経済新聞』2010年8月20日夕刊に掲載された『キャタピラー』への評論は,こう語っていた。

 「生ける軍神」と賞揚された名誉も信じ,「男」としてふるまっている。しかし,徐々に「軍神」という虚構のバカバカしさに気づき,また,セックスにおいてシゲ子が主導権をとるようになると,「男」の矜持もゆらいでくる。

 すると,中国戦線で自分のしたことが,フラッシュバックし,被害者の恐怖をみずから感じるかのように恐怖に苦しめられる。強引だが,このあたりが,心理的なみせどころだろう。

『日本経済新聞』の評論

 本ブログの筆者は,こういう心理機制は通常,「夫=軍神が」「男」とすれば,「セックスにおいて妻のシゲ子のほうが主導権をとる」ときには,実際には起こらぬはずの「フラッシュバック」であると分析する。

 前段のように,もしもこの軍神が「フラッシュバック」(いわゆるPTSD)を起こすとしたらそれは,多分,妻(あくまで女性側)が,自分との「性交渉を極度に嫌がるとき」であるはずである。

 なかんずく,妻がいままで「ずいぶん嫌がっていた夫との性交渉」であった行為を,こんどは逆に,この妻自身が進んで,しかもこのイモムシ状態になっていた夫に対して無理やりおこなう「そのとき」にこそ,この軍神(=夫)は,中国で犯し殺した「女性の絶望」というものを初めて共感的に想起できたと,この映画は解釈していた。

 しかし,そういった解釈にもとづく「映画の脚本作り」は,あまり適切な筋書きになっていなかった。すなわち,妻のほうが積極的に性交渉を試みたときに,夫の軍神が勃起できなかったシーンにおいてその「フラッシュバック」を認めるという解釈は,心理学的・精神分析学的に考量するに「だいぶ無理があって方向違いになっていた」と批判せざるをえない。

 もっとも,軍神の夫を〈当時の現人神〉的な存在のはしくれ,そしてその妻を〈帝国臣民の模範像〉の1人になぞらえて観察することも,ひとつの受けとめかたにはなりうるが・・・。

 2) 日本帝国軍の戦争はアジア全域でおこなわれていた

 『キャタピラー』は,日本帝国・日本人・日本民族の立場にだけ,せまく収斂させていくかのような〈脚本の制作〉になっていた。なんども〈繰り返えさせてみせる場面〉を組みこんだこの映画の技法は,いったいどこまで〈繰り返し〉ていればよかったのか。その点はただくどいばかりで,効果的とはいえない全体の編集方法になっていたと感じる。

 最後の場面で「敗戦を正気でよろこぶ叫ぶ演技をするかのような男」が登場するが,この男はそれまでは〈精神障害〉を装っていたかのような〔篠原勝之が演じる〕「精神障害のある中年男」である。

 ところが,敗戦をはさんで演じ分けさせる〈その演技〉が,いまひとつ「不自然な連続性=断絶」を感得させている。その中年男が戦争中は自作自演的に自分を狂人にみせかけていたけれども,しかし敗戦後は,その演技を止めることにしたという設定なら,まだ話しは分かりやすい。だが,その断絶の様子の描写が足りず不自然に演じられている。

 さらにこまかいことをいう。当時の真空管ラジオは電源を入れても,いまのラジオみたく「すぐに音を出す」ことはないのに,スイッチ・オンした瞬間に音を出していた。時代考証抜きなのか,あるいはまた意図的にそう演出していたにせよ,記憶の隅にであってもまだ「真空管ラジオ」をしっている本ブログの筆者のような年代層にとっては,かなり興ざめのシーンであった。

 また,1940〔昭和15〕年に出征したとき「赤タンに★二つの階級章」を付けていた一等兵の軍人:男主人公「イモムシ」氏はその後,ともかくも,大いなる戦功を挙げて軍神になってはいた。ただし,「四肢を失った身体」で帰宅していた。このときは「勲章を3つも授与され」ており,しかも大昇進させられて少尉にまでなっていた。もちろん「軍刀もたずさえていた」。

 これも解せない想定のシーンであった。軍功をあげるさい名誉の大怪我を負い「軍神になった」とはいっても,通常は2階級特進で「伍長」がせいぜいではないか。まあ,映画だから,それでも,いいか。

 その後,『キャタピラー』に対する批評をいくつか読んでみた。この映画のなかでは必ずしもはっきり描かれていない筋書・話題が,なぜか述べられているものもあった。本ブログの筆者はそれに関して首をひねってもいる。

 わずか84分の映画物語のなかに,あの「過去の大戦争」に関するすべてをほうりこむ筋書は,とうてい無理難題であることは承知する。

 とはいっても,戦場からイモムシ状態でしか生き返れなかった将兵の運命も運命なら,それよりも死んでしまい,けっして生きては返ってこれなかった日本帝国軍人戦死者総計230万人は,まことに気の毒のきわみであった。

 敗戦の時期が近づくにつれて,その死因はのたれ死や餓死のために命を落とした将兵が急増していったのだから,その原因を提供していた帝国の最高責任者の負うべき責任の「超巨大さ」は〈なにをかいわんや〉である。

 ところが「天皇陛下の立場」は敗戦を契機に多少かわったものの,体よく延命され〔=国体は護持され〕ることになった。これは,とても不思議な「大東亜戦争の末路」であり,とても珍妙な「太平洋戦争の顛末」でもあった。

 つまり,大敗する結果になったその大東亜戦争を起こすための大義名分を,帝国臣民たちに対して高導していた《大元帥およびその一族たち》にかぎっていえば,そのただ1人さえ命を落とすどころか,一片の責任をとることすらなかった。

 彼らはそうして,戦後の「民主主義と平和の時代」まで無事に生きていくことができた。帝国日本が「民主主義と平和」の日本国に移行するさい,皇族と臣民との「階級間の不平等・不公平」はそれほどまで大きかった。

 1945年8〔9〕月までは,天皇家の人間〔もちろん男性皇族〕は全員が『武官:軍人』であらねばならなかった。戦場にいっても,高位の軍人になればなるほど死亡率が低くなることは実証されている。旧皇族の男性は大東亜戦争の時期,軍人になっていても「戦場で戦病死や餓死する」ことは,けっしてなかった。

 ところが,一般庶民〔帝国軍人〕のばあいは,軍人としてだけで230万人もの戦没者を出した。当時「大元帥の地位」に,たしかいたはずの天皇裕仁は,その敗北に関する最高責任を一切とらずに余生を〈幸せにまっとう〉していった。

 3) 昭和天皇夫婦のお写真のまえで性交渉

 若松監督『キャタピラー』は「昭和天皇夫妻のお写真」(御真影,下掲の画像を参照)を床の間に飾った部屋で,イモムシ状態の元軍人とその妻が性的交渉をするシーンを,なんども入れていた。この夫婦にはもともと,子どもがほしくてもできなかった,という設定である。 

ご真影の前で以下の行為とあいなっていた
DVDジャケットから

 上にかかげた昭和天皇夫婦の写真(ご真影れは,戦前・戦中であれば,各家庭に多く所蔵されていた。下のDVDの画像レーベル「絵」のなかでは,床の間に飾られていることが分かる。

 戦争中は「御国のために働く兵隊さんを大勢作るために,夫婦は大いにがんばって子どもをたくさん作り,生まねばならない」と奨励されていた。

 兵隊さんが御国のために必要な「人的資源」なのだから,子どもを作れる夫婦たちは,多いにがんばって,なるべくたくさん「産めよ殖やせよ!」と督励されていた。

 だが,予備役・後備役以外にも老兵といわれる年齢となる30歳も後半の男性たちが,戦場に駆り出されるあの「大東亜戦争」であった。戦争中は「産めよ殖やせよ」とかけ声ばかり大きかったが,その種元(親元)になる夫,お父さんたちは召集され戦場に送りこまれていたゆえ,戦争という緊急事態のなかで発生するほかなかった「人的資源確保をめぐる基本矛盾」は「火を見るより明らか」であった。

 それでも,戦争中は「ぜいたくは敵だ」とか「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」からだとかいう標語が幅を利かしていた。

 とはいえだからか,その戦時において提示された〈足らぬ足らぬは工夫が足らぬ〉という標語は,その看板から「工」の字を消して,〈足らぬ足らぬは夫が足らぬ〉になった。

 さらにまた,「ぜいたくは敵だ」という標語のほうは,こちらは一字足して,「ゼイタクは素敵だ」という発想の工が,大転換的になされていたわけである。

 その意味でも『キャタピラー』におけるそのセックス・シーンは,昭和「天皇夫婦」に対する最大の歴史的皮肉を投げかけている。その息子夫婦=平成天皇などの皇族に属する夫婦たちが,仮にこの映画をみたとしたら〔ありえない想定か?〕,なにを感じうるか?

 歴代天皇夫婦にとって「次世代への世継ぎを生産する」ことは,皇室一族にとってこれ以上に重大な任務はない,そういえるほど非常に大切なのである。つい最近,皇室にまつわる「この種の問題」(皇太子夫婦のことなど)が惹起したとき,政治家をはじめ多くの関係者を巻きこむ大騒ぎになっていた。この出来事はまだみなの記憶に強く残されていると思う。

 しかも,軍神の夫婦は,子どもが「できない夫婦の性」的な交渉をしていた。これになんの意味があったのか? 床の間に飾られていた昭和天皇夫婦の写真は,そのような軍神夫婦の性の営みをみおろすたびに,いつもある種の「苦情を投じてはいなかった」か?

 『ジョニーは戦場に行った』という映画は,戦場に送りこまれる主人公のジョニーが,ガール・フレンドと楽しい一夜を過ごした結果,子どもができていたかどうかに触れていなかった。その一晩の出来事は,映画全体の単なる一シーンであったに過ぎない。戦争が必然的にもたらす「生と死の断続性」にまで話がすすんでいなかった。

 2003年に開始されたイラク侵略戦争に送りこまれていったアメリカ将兵たちは,生きて返れた軍人の立場であればこう問いかけている。U.S.A. というこの国家は,いったい全体なんのために,イラクに対して不正義の戦争をしかけたのかと。

 もちろん,戦争を起こして「金儲けに走る輩たち:資本家・経営者」(死の商人たち)が,当時のブッシュ政権の中枢には大勢いた事実を忘れてはならない。国民の命など彼らにとっては金儲けの手段,戦争用の消耗品=虫けら〔イモムシ「以下」!〕くらいにしか映っていない。

 したがって,自国の将兵たちが,戦争のせいで「イモムシになろうが」「なにになろうが」,そんなことはおかまいなしに「死の商人」ぶりを発揮する。

 「死んで花実が咲くものか!」

 「生きてこそ物種のこの肉体!」

 「天皇陛下のためにこの命を捧げ死んだのに,なぜ敗戦したのか?」

 「じゃ,日本帝国が戦争に勝てればと仮定して,自分の夫や兄弟たちが戦場で命を落としていてもかまわないといえるのか?」

 「ともかく,天皇陛下夫婦だけは敗戦前後に生き残り,昭和20年代をうまく立ちまわり乗りきっていった」

 「いい面の皮は誰だったのか? もういちど沈思黙考するくらいの価値はある」
 

 ※-6 終 論

 若松孝二監督もしょせんは日本人である。この『キャタピラー』は,日本の戦争批判としての意義が大きい映画である。その目線がきびしく天皇・天皇制に差しむけられている。

 しかし,どこまでも日本国内に収斂していくだけの筋書に終始していないか? つぎのような関連の記述もあるが,その出会いとは,どこ・そこまで到達しえていたのか?

   ☆ 銀熊賞受賞作の主題歌に 元ちとせの「死んだ女の子」☆

 主演女優・寺島しのぶ(37歳)が「第60回ベルリン国際映画祭」で銀熊賞を受賞して話題になった映画「キャタピラー」の主題歌が,歌手・元ちとせ(31歳)の「死んだ女の子」に決定した。楽曲はトルコ出身の詩人ナジム・ヒクメットが,広島での原爆を題材に書いた詩の日本語訳詞を歌詞として使用した反戦歌。

 ちとせは坂本龍一プロデュースのもとで「死んだ~」を2005年8月6日に広島の原爆ドーム前で歌唱し,大きな話題を呼んだ。ちとせは「この曲に出会って8年の月日が流れましたが,『キャタピラー』との出会いで “歌いつぐ歌” の意味をより深く感じることができました。映画とともに,この歌が持つ言葉の意味が世界中に届きますように」とメッセージを寄せた。

 注記)http://www.ntv.co.jp/zoomin/enta_news/news_1612039.html?list=1&count=2 2010年5月24日5時15分 配信更新。現在は削除。

銀熊賞の関係で

 最後に「映画のための脚本」だからいたしかたないことであるが,日中戦争の初期であるならばともかくも,太平洋の南方地域まで戦線が拡大した時期になれば,「キャタピラー」のような戦争犠牲者が日本の将兵において急増していたとしても,

 くわえてそれが「爆弾三勇士」のように国内宣伝用に使えるものだとしても,敗戦も近くなったころは,負傷した将兵たちに注目してそのように扱う余裕を完全になくしていた。

 つまり,日本帝国の敗色がより濃くなっていくころの旧陸海軍は,その種の措置を考える余裕はまったくなかったはずである。

 この映画『キャタピラー』は反戦的な狙いが明確であるせいか,公開する映画館は限られている。脳細胞の重量比率で計れば「恐竜並み」にしか脳味噌を備えていない,いわゆる「未熟なる〈極右・ウヨク〉諸君」が,こうした映画に対してどのような感想を吐くのか聞いてみたい。

 軍国主義の内幕はといえば,いつも悲惨・不幸を充満させている事実をそっちのけに,戦前体制に郷愁を抱くウヨクの諸氏(もちろんアベ・シンゾウ君も含む),いちどこの映画を鑑賞してみたらどうか? いまは故人になった彼だが,まだ生きているつもりで,そう問いかけてみたくなった。 

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