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事実は小説よりも奇なり-22 Ferrari再優勝までの長い道程

 2023.06.10〜11、Le Mans 24h Centenary Race、長距離レースの最高峰「ルマン24時間レース」は1923年に始まり2023年のこのレースは100周年の記念レースとして特別な意味をもっていた。そこでの勝利は歴史に名を残す絶好のチャンスであり、自動車メーカーは元より主催者にとっても重要な意味を持ったレースであった。

 このレースではトンデモナイ事柄が急遽発表されたが、オリンピックや世界選手権でも種々の規制が発せられるのは欧州や米国では当たり前の方法であったのは最後に述べたい。

 1965年のLe Mans、優勝したのはFerrariワークスでもFordワークスでもない有力プライベートチームの車、優勝はNorth American Racing Team (NART)からエントリーしたロングノーズのNo.21 Masten Gregory / Jochen Rindtの250LMであり、これがFerrariにとって最後の優勝車となった。

Look Smart(LS)製 奥1/18、手前1/43   Ferrari 250LM

レースは個人参加のNo.26、GL. Ophen / P. Dumayが予選17位スタートで途中まで1位を走っていたが、タイヤバーストからフェンダー破損のピット作業をしている間に抜き去り優勝したのだ。

1/43 LS製 ベルギーチームのショートノーズ Ferrari 250LM

「note」「異能β-12 続 Ferrari 最後のLe Mans 優勝車250LM」を参照されたい。

 翌66年、映画のFord VS Ferrariでも紹介されているが、Ferrariは330 P3を作製、この年はFordの1・2・3位が最大の話題でFerrari 330 P3は全車DNF。

1/18 BBR製 Ferrari 330 P3 Lorenzo Bandini / Jean Guichet
1/43 LS製 Ferrari 330P3  No.20:Ludovico Scarfiotti/Mike ParkesのCoupe
No.27:Rich Ginther / Pedro RodriguezのSpyder

「note」「重箱の隅をつつく-17  Ford GT MK-IIプロトタイプからGTに」を参照されたい。

 67年、ワークスは330P3を改良した330P4で参戦したが、優勝したのはまたしても D Guany / AJ FoytのFord GT MK IVでオールアメリカン(車も人も全て米国産)と持て囃された、対するFerrariは2位がLudovico Scarfiotti / Mike ParkesのP4、3位がWilly Mairesse / ‘Beurlys’(Jean Blaton)のP4であったが、Fordの話で盛り上がりFerrariは刺身のつまの様な扱いであった。

1/43 Marsh Models No.21:Le Mans 2nd Ludovico Scarfiotti / Mike Parkesの P4
No.23:Daytona 24 win Lorenzo Bandini / Chris Amon P3/4

 68年、フランスのゴタゴタによって、Le Mansは6月から9月に移動、さらに排気量制限が起こりプロトタイプは3ℓ未満、50台以上のスポーツカーは5ℓまで可とされた。これによりPorscheとFerrariはプロトタイプで参戦しなかったが、Ford GT 40は50台以上の生産がありスポーツカーで参戦。68年69年ともFord GT40が勝利をあげ、Ford 4連覇と称された。69年はスポーツカーの生産台数が50台から25台に引き下げられPorscheは4.5ℓの917を25台生産し、69年に参戦したがDNFとなった、しかしそのポテンシャルはいずれ勝利を導くであろうとされていた。一方Ferrariは3ℓの312Pで69年Le Mansに参戦したが、No.19のChris Amon /Peter Schettyは1周目にアクシデント後の火災でDNFであった、他の1台も16時間 でDNFであった。

1/43 メーカー不明 69年Le Mans DNF  No.19:Chris Amon /Peter Schettyの312P

 70年、Ferrariは5ℓエンジンの512Sを25台生産し11台がLe Mansに参戦したが、Porsche 917との差は大きく、この年Porscheは初めてLe Mansで優勝(1・2・3位)、初参戦から19年の年月が掛かり、Ferrariが初参戦優勝とは格段の差があるが、この年以後はPorscheの時代となる。Ferrari 512SはそれでもNARTのNo.11は上位3台のPorscheに次いで4位でフィニッシュした。

1/43 TECNO Model製 NART Ferrari 512S:Sam Posey / Ronnie Bucknum
(未だ予約の段階、購入予定となっている)

 71年Ferrariは512Sを改良した512Mを参戦させたが、Porsche 917のスピードに対抗できるのはNARTエントリーでSUNOCOカラーのNo.11 Mark Donohue / David Hobbsが駆るSUNOCO Ferrariのみ、他の512Mは最高速が遅く脱落していった、しかしNo.12の512MはSam Posey / Tom Adamoviczが駆り総合3位に入りFerrari 512の歴代1位の戦績であった。

奥 1/18 TECNO Model製 手前 1/43 LS製
 Mark Donohue / David HobbsのSUNOCO Ferrari 512M
1/43 LS製 Le Mans 3rd No.12:Sam Posey / Tom AdamoviczのNART Ferrari 512M

 72年以降はメーカーの経済的負担やオイルショックの影響で大排気量のスポーツカーは参戦できず、3ℓ以下プロトタイプ達の戦いとなり、マトラ、次いでPorsche 911の時代となり、Ferrariは3ℓの312PBで参戦を試みたが駆動系の弱点が判明し、レース直前にエントリーを取り下げた。

1/43   BEST Model (?)  Ferrari 312PB  ドライバー・戦績不明

 73年にFerrariは312PBでエントリーし総合2位の戦績を残したが、この年以降はF1に専念するためプロトタイプでの耐久レース参戦は中止となり、その後50年の時を待たねばならなかった。

(参考写真) Ferrari 312PB Le Mans仕上げ(フロントにライトが追加されている)

 2023年、耐久レースはそれまでTOYOTAがワークスとしては1社のみの参戦で5連覇を重ねていた。
 Le Mansは開催100周年ということで、ワークス50年振りのFerrariの他にPorsche、Cadillac、Peugeot、Alpine等も参戦に名を連ねた。

 Ferrari 499Pの名はFerrari伝統の命名法で、シリンダーあたりの排気量(総排気量2994cc÷気筒数6=499)から、Pはプロトタイプの呼称である。

1/43 Ferrari 499P  No.51 win   No.50 5th
1/43 LS製のNo.50 & No.51

 TOYOTAとの性能差が大きく、その差を埋めるべく、言われなきハンデであるBoP(Balance of Performance)が課された。Le Mans test dayの直前にWBC 3戦3勝のTOYOTAには+37kg、3戦連続で表彰台のFerrariには+24kgのウエイトハンディが発表された。反対に結果を残せていないPorsche963には+2kg、プジョー9X8には+0kg(国内贔屓)が課せられた。このルールにはないBoPは実効のないままレースはスタート、ドライバーからは動きが悪く反応が鈍いとの感想が述べられていた。

 欧米でオリンピックや世界選手権が行われる時、ハンデ(スキー・ジャンプ競技の板の長さ等)や規約の改正等はその年の開催前に付けるのが普通であり短期間でも対策を立てる時間がある、それがレース直前に付けるとは流石欧米人、それに臆する事なく挑む日本人の図式でもある。

 WEC2024シーズンの第2戦 イモラ6時間はTOYOTAがGR010 HYBRIDで参戦しNo.7が今季初勝利、No.8が5位完走。順位を落とし、Le Mansに備えるという手も考えられたそうだが、それをしないのが日本人の意地か!
                              
2024.04.29

参考文献
・Dominique Pascal・中村恭一訳:ル・マンのフェラーリ
 NEKO Publishing CO., LTD  1988
・檜垣和夫 ルマン 偉大なる耐久レースの全記録 二玄社、1999
・Quentin Spurring LE MANS 1960-69 Haynes Publishing UK 2010
・100周年を迎えたルマン24時間レース CG:749(8):28-39. 2023


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