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花びら餅

昨日、日比谷ミッドタウンに行った。夜には雪が降るとの予報で、朝から曇天。

昨夏にも一度高校時代からの女友達と行ったのだけど、Yさんと改めて足を運んだ。

地下鉄の連絡通路からつながるB2F、カフェやベーカリーなどが立ち並び12時のお昼時でどこも賑わいを見せる中、一箇所だけ凛とした静謐な空間があった。


それが和菓子屋であることはすぐわかったものの、とらやではないらしい。暖簾にいつもの印がない。

一体どこの店だろうと、真っさらな大きな暖簾をくぐりショーケースに並ぶ菓子を眺めると、博多の和菓子屋「鈴懸」であることがわかった。納得。


新宿伊勢丹にもある鈴懸は、いつも行列を作っている。私はこの店の「鈴乃◯(えん)餅」を20代の頃から本で知って憧れ続けていたのだけれども、当時は天下の東京にすら支店がなく、博多まではるばる足を運ばなければ味わえない、私にとって長い間“幻の店”なのだった。

そんな経緯から東京に進出してきたのはやっとここ数年の話で、偶然立ち寄った新宿伊勢丹で初めて東京進出を知った時には、それはもうアドレナリン出まくりの小躍り状態で、行列嫌いの私が、喜び勇んで諾々と行列に並んだのだった。

たくさんの宝石のような菓子の中、全ての菓子を端から端まで注文したい気持ちを抑えつつ、当然ながら◯餅を、かわいらしい行李詰めで購入。(この行李もまた素敵で、そのまま小物入れに使えるところがたまらない)

その時いただいてきたお店のカタログ—店員さんがこのカタログを薦めたり勝手に入れたりすることは一切せず、ただカウンターに重ねて置いているだけ—もまた画集のような美しさで、今も家に大事に取っておいてあって今これを書きながら久しぶりにページを開いてみているけれど、使われている紙の手触りもフォントも写真のトーンもそれらのレイアウトデザインもすべてが完璧に調和している。暖簾に屋号がないように、カタログの表紙にもまた一切の言葉はなく、そういう奥ゆかしさというか寡黙さ、潔さが店構えにも作られる菓子にも一貫して感じられて、その商売哲学というかブランディングの感性というか菓子づくり店づくりのセンスがとにかくどこを取っても齟齬がなくパーフェクトに格好良くて、大好き過ぎる店。つまり大ファン。

和菓子好きでなければ立ち寄り難いであろうその空間に私たち以外に客はなく、貸し切り状態でゆったりとショーケースを見渡すことができてしあわせだった。

そんな私の異様な盛り上がりに釣られてか、お会計の頃には店内にふた組ほどのお客様の姿が。他のお客様の呼び水になれたのなら光栄だし、ファンが増えてくれたら嬉しい。

生菓子がずらりと載った大皿などは「眼福」のひと言で、ため息が出るほど美しく、そのままずっと眺めていたいほど。

そんな中から今回選んだのは、最近私の中で高まりつつあるどら焼きブームに従ってどら焼きを一つ。手亡豆の粒あんのどら焼きで、珍しい白あんのどら焼きだ。それから新春を寿ぐ季節菓子である、写真の花びら餅を選んだ。

同行のYさんはきんつばをチョイス。きんつばもまた薄い膜に透ける小倉あんときりりとした直線のフォルムが淑やかで美しい。

家に帰って夕食を食べた後、先週買ったばかりの菓子皿に盛っていただいた。中の白餡とそれを包み込む餅は理想的な滑らかな舌触りと弾力。そして牛蒡の歯応え、優しい甘さ。期待どおり。


鈴懸があるというだけで、日比谷ミッドタウンにまた来ようと思う。伊勢丹の店舗よりもお店が広々として実に清々しい。春になって、日比谷公園の景色が気持ちよくなる頃にでも。あるいは、また晴れた日に。

お気に入りのスポットが一つ増えた。



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