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当事者性について

その文章が書かれるにいたる必然性が重要になる時がある
必然性とは作家性やそのオリジナリティに似ているのだけど
できれば
「当事者性」とは異なる視点で
その必然性を見出したいと思っている。

理由は「当事者性」というのは自己責任論に近い気がしているから。
その人がその状況だから書けるものとして作品を取り扱うのは
その作品の問題意識を他人事として考えることではないのか。
ぼくの/あなたの問題意識はだれのものなのか。
私の問題意識は誰のものでもないけれど
誰かの問題意識がわたしと無関係であっていいことにはならない。
だから
仮構世界に私を写して想像力を働かせようとする。
そうしなければいけない

私に書かれなくてもよいことを書くこと。
「当事者性とは違う視点の必然性」と表現したけれど
少しずれた意味での
私に書かれる”非”必然性を考えたい。
物語が書かれた必然性と非必然性が
どのように物語の読みを規定するのだろうか。
文学は読みが全てであり
また、そうであらなければならない。

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