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【Management Talk】「<美味しいから>というだけでなく<楽しいから>」日本全国300店舗超! 人気串カツ店が大切にしていること

株式会社串カツ田中ホールディングス 代表取締役社長 CEO 坂本壽男

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第45回のゲストは、株式会社串カツ田中ホールディングス 代表取締役社長 CEO坂本壽男さんです。ファミリー層を中心に高い人気を誇る「串カツ田中」。昨年社長に就任した坂本さんに、その人気の秘訣やこれまでの歩み、これから描くストーリーについて語っていただきました。

株式会社串カツ田中ホールディングス
「串カツ田中」「鳥と卵の専門店 鳥玉」、「タレ焼肉と包み野菜の専門店 焼肉くるとん싸다」など、全国に飲食ブランドを展開。柱となる「串カツ田中」では「串カツ田中の串カツで一人でも多くの笑顔を生むことにより社会貢献し、全従業員の物心両面の幸福を追求する」を理念とし、串カツを“日本を代表する食文化”にするため、全国1,000店舗を目指す。

チラシの裏に残されたレシピ

別所:はじめに、貴社の事業や歴史について改めてお話しいただけますでしょうか。

坂本:串カツ田中は現在、全国で311店舗を展開しています(*2023年10月末時点)。私は昨年の6月に社長へ任しました。それ以前は、現会長の貫啓二が社長で、現相談役の田中洋江が副社長という体制でした。創業は2002年。貫が物流会社を辞めてバーを開業したのが、飲食店としてのはじまりです。当時、貫はお酒が飲めなかったんですけど、ワイワイするのが好きだったのでバーにしたそうです。そして、そのバーに最初のアルバイトとして入ったのが田中でした。のちに「串カツ田中」の「田中」となる田中です。

別所:その田中さんなんですね。

坂本:ええ。もともと田中は、串カツ屋さんが軒を連ねる大阪の西成に暮らしていました。家でもよくお父さんが串カツを作ってくれて、すごく美味しかったそうなんですね。ただ、お父さんは早くに亡くなられたため、田中は作り方を教わっていなかったそうなんです。

別所:すでに物語の予感がしますね(笑)。

坂本:(笑)。田中には「いつか串カツ屋をやりたい。」という想いがあり、貫にもそれを伝えていました。ただ、お父さんが作っていた串カツのレシピは分からないので、試作をしても当然お父さんの作った串カツの味にはならず…。

事業としては、デザイナーズレストランを2軒開いた後、東京進出を果たし、青山に料亭をオープンするなど、順調に拡大していましたが、田中の夢である串カツのお店は出せずにいました。

そして2008年。リーマンショックが起きます。東京の料亭は、もともと接待需要が多かったお店だけに非常に大きな影響を受けて、会社として経営が厳しくなってしまったんですね。

別所:なるほど。

坂本:もう会社を畳むからということで、田中はお母さんと一緒に大阪へ帰る準備をしていたんです。それで引越しの支度をしていると、たまたま目をやったチラシの裏に、田中のお父さんが書いた串カツのレシピが残されていたらしいんです。

別所:なんというドラマ!

坂本:そして、そのレシピ通りに作った串カツを貫が試食してみたところ、すごく美味しかったらしいんです。貫は、残っている貯金を使って最後に串カツ屋さんに挑戦することを決意します。それで作ったのが世田谷店1号店。2008年12月のことです。

別所:映画になりますね。

坂本:ありがとうございます(笑)。一号店のオープン後は、串カツは珍しいし美味しいし値段もリーズナブルということで行列ができるようになり、そこからとんとん拍子に店舗を拡大していったという流れですね。


別所:坂本さんが串カツ田中に合流されたのはどのタイミングですか?

坂本:私が入社したのは2015年2月です。当時は60店舗ぐらいの規模でした。入社前の私は、公認会計士として監査法人で企業の上場をお手伝いする仕事をしていました。実は、そのクライアントの一社が串カツ田中だったんです。当時の串カツ田中は、渋谷にある小さなビルの一角が本部で、オフィスに五人くらいしかいなかった時代でした。

別所:全く畑違いの会社ですよね。

坂本:ええ。私はもともと監査法人に10年勤めたら独立すると決めていました。実際に10年経ち、「坂本壽男公認会計事務所」という名刺まで用意して、数ヶ月後に独立してスタートを切る準備万端だったんです。そんなときに、串カツ田中で飲んでいたら、偶然、貫が入ってきたんですね。当時すでに顔見知りだったので、監査法人を辞めて独立するという話をしました。そうしたら貫は、「独立する人間をたくさん見てきたけど、上手く行った例なんてないよ」って(笑)。

別所:(笑)。

坂本:さらに、「うちはCFO(財務担当取締役)を募集しているので来てもらいたい」という話をされたんです。ただ、私はその時は独立する気まんまんだったので「絶対に成功してやるぞ」と思い、誘いには乗りませんでした。

だけど、いざ独立する日が近づいてきて、来月から給料がゼロだとなると不安になってきてしまって。子どもも三人いましたし、妻の心細そうで……そのときに、貫の言葉を思い出して電話をしたんです。そうしたら、「明日、他のCFO候補と面談して決めるところだった」って。

別所:ここでもドラマが。

坂本:ギリギリでしたね(笑)。そのあと、面接を経てCFOとして採用していただいて、約一年半で上場しました。


楽しむセンス、楽しませるセンス

別所:その後、コロナ禍に坂本さんが社長に就任されたわけですよね。

坂本:ええ。私が就任したのはコロナ禍が明けるかどうかの時期でした。お客様は激減して、従業員も不安を抱えていたり、お客様が来ないので仕事のやりがいもなかなか感じにくいという不安定な状況下でした。

お客様が喜んでくれるためには何が必要か。そして従業員のやりがいを感じるためには何が必要か…やっぱり原点回帰で「おもてなし」を核にしていこうという考えにいきつきました。おもてなしをしっかりとすればお客様は喜んでくれて、また来てくれるようになり、従業員も嬉しいし、やりがいに繋がる。そういった精神的報酬をいただけることにより、もっとお客様に喜んでいただくためにさらに頑張れて、それが成長に繋がる……その結果、金銭的報酬も上がるわけです。そういういいサイクルを回していけるようにしたいと思っているんです。

別所:素晴らしい。そういったいい循環はブランディングにもつながりますよね。坂本さんは、会社としてブランドのタグラインやキャッチコピーはどのようなイメージで考えていらっしゃいますか?

坂本:当社は、貫が社長をしていた時代から「楽しむセンス、楽しませるセンス」というのを大切しています。やっぱりきつい仕事というのはたくさんありますから、それをいかに自分で楽しみつつ、周りも楽しませることができるかが重要で。そういうセンスを持っている人はどんどん大きな仕事を任されて、どんどん出世していくと思います。


別所:では、外向けの話で言うと、御社は8月にショートフィルム「ふらっと、乾杯しよう。」を公開されていましたけれど、その狙いはどんなところにあったでしょうか?

坂本:観ていただいてありがとうございます。「ふらっと、乾杯しよう。」は、今年の3月頃から準備をはじめていました。もうその頃には、お客様はだいぶ戻ってきていただいてましたが、コロナ前よりも、二次会や三次会には行かなくなっていましたよね。そのため、「居酒屋の良さや乾杯の楽しさを思い出してもらって、もう一度気軽に串カツ田中や居酒屋に“ふらっと”来ていただきたい」という気持ちで作ったショートフィルムです。

別所:いいですね。

坂本:あともう一つは、言葉遊びもあります(笑)。最近、上下関係も厳しくて、上司が部下を誘いづらい世の中になっていますよね。そういうところでも「フラット」に(笑)、上下関係なく飲みにきていただきたいという思いもかけているんです。

別所:面白い(笑)。本当に、観たら串カツ田中に行きたくなりました。僕たちの映画祭ではBranded Shortsという部門で企業が作るブランデッドムービーを集めていますけど、企業さんごとに本当にさまざまな目的があって、ここ数年ではHR用のムービーも増えてきています。

坂本:HR動画は採用にも効くんですかね?

別所:そうですね。待遇や条件面以外での会社の働き甲斐や魅力を映像と物語の力で発信する企業が非常に増えていています。Branded Shorts にはHR部門もあって、年々盛り上がっている印象です。

坂本:それはいいですね。

別所:ぜひ串カツ田中のHRムービーも観てみたいです。機会があれば一緒に作りましょう(笑)。

坂本:ありがとうございます(笑)。ブランディングについていま感じていることで言うと、お客様が串カツ田中にいらしていただく理由は、串カツがめちゃくちゃ美味しいからというだけでなく、楽しいからではないかということです。私たちはこれまであまりブランディングやマーケティングを積極的に仕掛けてきませんでしたが、今後はそのあたりについて市場調査で深掘りしていって、特にいま串カツ田中の課題となっている若い世代のお客さんに対してアプローチしていきたいと考えています。

別所:若者が課題というのは意外です。

坂本:そうなんです。ありがたいことにファミリー層には強いのですが…。東京都が条例で定める前に、全店舗禁煙にしたことが大きかったと思います。居酒屋を禁煙にするのは、当時はとてもハードルが高くて、営業部は大反対でした(笑)。しかし、私たちは串カツを“日本を代表する食文化”にしていきたいんです。小さい頃から串カツ田中で串カツを食べてもらって、その子が大人になっても来てくれて、さらに家族ができたら自分が小さい時そうだったように、子どもと一緒に来てもらえる。そういうサイクルをつくりたいと思っているときに、店内にたばこの煙が充満しているのはよくないでしょう。禁煙を決行した結果、売上はそこまで落ちず、逆にファミリー層が一気に増えてくれました。ただ、20代はまだまだ弱いので今後、マーケティングでなんとかしていかないといけないです。



家族や仲間と楽しめる憩いの場に

別所:ぜひお力になれることがあればご一緒に。では、ここからは坂本社長ご自身のお話をさらにお伺いできればと思うのですが、坂本社長は、慶應大学のご出身でいらっしゃるんですよね?

坂本:はい、別所さんの後輩です(笑)。

別所:僕は慶應で英語劇に出会って俳優という人生を歩むことになったのですが、坂本社長はどんな大学時代でしたか?

坂本:ほとんど学校に行かない大学生でした(笑)。大学受験で勉強し過ぎた反動だったのだと思います。長崎県の全寮制の進学校で3年間校舎と寮を行き来する高校生活で、絶対に早くここから出たいと勉強ばかりしていましたから。

別所:なるほど(笑)。坂本さんは経済学部ですが、大学時代から公認会計士の試験の勉強をしていたんですか?

坂本:いえいえまったく。周りに流されて就職活動をして、新卒で化学メーカーに入社しました。だけど、3年半で辞めてしまったんです。私の出身地である長崎の島原市は田舎で企業が少なかったため、子どもの頃に自分の周りにいた大人といえば両親含めてみんな自営業だったんですね。その影響か、サラリーマンとして毎年給料が少しずつ上がっていって、10年後の自分の姿もある程度見えているという働き方は合わないなと感じてしまったんです。それで悶々としているときに、税理士試験に合格した友人がすごく生き生き楽しそうにしている姿をみて、自分も頑張ろうと。会社を辞めて勉強をはじめました。それで公認会計士になって監査法人に入ったという流れです。

別所:すごいですね。安定した会社員を辞めて公認会計士を目指すというのはすごい決断だと思います。

坂本:会社を辞めたのは25歳のときで、当時1日1,000円くらいで暮らしていましたね。大学で真面目に勉強はしていなかったので最初は簿記の簿の字も知らないレベルでした。

別所:そこから合格を勝ちとれるのが素晴らしい。これも物語になりそうです。それでは、最後に、坂本さんと串カツ田中がこれからどんなストーリーテリングをしていくのか教えてください。

坂本:実は、大阪に理想とする串カツ屋さんがあるんです。住宅街にポツンと佇んでいて、夕方4時くらいからどこからともなくお客さんが入ってきて、みんながささっと食べて帰るお店で……そんなほのぼのとしたお店を全国に作っていきたいなと思っています。

別所:大規模なお店ではなく。

坂本:ええ。そんな小さなお店を1000店舗作るのがいまの私の夢です。住宅街にあって夕方になると近所の人が集まってくる。店内は音楽もかかっていなくて油の音しかしない。ぱちぱちぱちって。みんな静かに小声で話しながら、食事して、飲んで、ささっと帰るという。

別所:いいですね。デジタル化が叫ばれる社会において、逆に原点回帰で、人と人とが触れ合う場所って本当に貴重ですよね。究極のコミュニティ作りだと思います。

坂本:ありがとうございます。家族や仲間と楽しめる憩いの場。串カツ田中がそんな場所になれたらいいなと願っています。

別所:素晴らしい。ぜひ次回は串カツ田中で飲みながらお話しさせてください。本日はありがとうございました。


(2023.10.3)

 【 坂本壽男
1976年4月生まれ、長崎県島原市出身。慶応義塾大学経済学部卒。
2000年4月に化学メーカーに入社。
2004年11月に公認会計士に合格し、同年12月に新日本監査法人(現EY新日本有限責任監査法人)へ入社。その時に顧客の1社として串カツ田中を担当する。
その後、独立の準備をしていたところ、前社長(現会長)の貫啓二に誘われ、2015年2月に株式会社串カツ田中へ入社。CFOとして同社の株式上場をけん引する。2022年6月、株式会社串カツ田中ホールディングスの代表取締役社長 CEOに就任。