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「医療資源の適正配分によって問題を解決する」ホスピス事業で独走する「医心館」運営会社が目指す未来

株式会社アンビスホールディングス 代表取締役CEO 柴原慶一

米国アカデミー賞公認短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」は、2018年の創立20周年に合わせて、対談企画「Management Talk」を立ち上げました。映画祭代表の別所哲也が、様々な企業の経営者に、その経営理念やブランドについてお話を伺っていきます。
第43回のゲストは、株式会社アンビスホールディングス代表取締役CEOの柴原慶一さんです。アンビスホールディングスが運営するホスピス医心館は首都圏、東日本で大きく成長しています。創業のきっかけや事業への思いなど、創業者の柴原社長にたっぷりと語っていただきました。

株式会社アンビスホールディングス
超高齢・多死社会を迎えた現在、医療依存度の高い方が病院から退院を余儀なくされ、行き場所がなくなるという医療ケア難民が増加しています。
当社では2013年の創業以来、医療ケア難民の受け皿としてホスピス「医⼼館」を運営しており、2023年10月末時点で全国77施設を運営しています。今後も地域医療の強化・再生へ、より一層貢献していきたいと考えています。


「寝当直」から生まれた事業アイデア

別所:まずはじめに、柴原さんがアンビスホールディングスを創業したきっかけについて教えてください。

柴原:私はもともと基礎研究者だったんです。地元の大学の医学部を卒業して、一年間だけ臨床研修をしてからの約20年間は、免疫学と分子生物学の研究一筋の人生でした。ところが、30代半ばに自分で研究室を主催することになった後、転機が訪れます。小さな研究室ながら部下ができました。彼らの給料を賄うためには研究費を獲得して、実際に研究をしてそこで得た結果を発表して、そこからまた研究費を獲得して……という、まさに会社経営と同じようなサイクルを繰り返すことになります。私は当初、それに苦手意識を持っていたのですが、いつの間にか意外と楽しく得意になってきてしまって(笑)。だったらいっそのこと起業家に転身しようと思ったわけです。

別所:生粋の研究者からビジネスの世界に飛び込んだ。

柴原:ええ。当時から、事業は研究よりも社会に近くて、ダイナミックにお金・人・ものを動かせるし、社会貢献もできそうだという意識がありました。2010年、思い切って研究室を閉鎖し起業家になりました。キャリアチェンジにあたっては大いに悩みました。それなりに成功もしていたし、20年も研究者としてのキャリアを積み上げ確立した地位もあったし、部下もいたからです。でも、「人生に第二章があっても良い」という、当時ふと参加した起業家セミナーで聞いた講師の言葉に突き動かされて、キャリアチェンジを決意しました。このことが、自分の人生でもっとも特筆すべきことです。45歳という遅いスタートでした。私はそれまでずっと医学の研究をしていましたから、事業でも当然、医学に根ざした分野を手がけるべきだと漠然と考えてはいたものの、実は当初はノーアイデアでした。けれども、あるとき、一つの面白いアイデアを思いついたんです。

別所:なんでしょう?

柴原:医師の世界には「寝当直」という隠語があります。医者不足に悩んでいる過疎地域の病院に行って何の仕事も任されず当直室でただ寝ているだけの仕事を指す言葉です。それでいい給料がもらえるんですよ。かつて、私自身も寝当直をしていましたが、本当に看護師からまったく呼ばれない。でも、ナースステーションを覗いてみれば、看護師は熱心にコツコツと仕事をしているわけです。私は、寝当直で医師を単に寝かせている病院に、24時間365日医師が常駐する必要などないのではないかと思いました。

別所:「寝当直」。

柴原:当時から過疎地域の病院は経営難に喘いでいました。大きな理由の一つは、人口減による患者さんの減少。そしてもう一つは、医師不足による過重労働によってさらに医師が辞めていくという悪循環のなかで起こる病院の救急機能、外来機能、手術機能、病棟機能などの低下です。結局、医療資源の適正配分がなされない限りは過疎地の医療問題は解決しないわけです。病院は法律によって、24時間365日医師が常勤していなければならないと定められています。たしかに、患者さんが救命救急に搬送されてくる中核病院や急性期の病院では、医師の寄与度は高いでしょう。ところが、慢性期や終末期においては、患者の診断や治療方針も確定していますし、急変時の対応もお決まりになっています。医師の寄与度はずっと低いわけです。そこで私は、医師が常駐しないけれど看護機能は強化した、あたかも病院のような在宅施設を作ることができれば、医療過疎地の病院の医師不足問題や経営難を解決できるのではないかという事業仮説を立てたんです。これが現在のホスピス事業の原点です。

別所:面白いアイデア。自分がしていた「寝当直」の無駄に着目することで斬新なホスピス事業を発想したのですね。

柴原:ええ。研究室を閉鎖した2010年、私は岩手県に向かいました。岩手県は、栃木県、埼玉県と並んで国公立大学の医学部が存在しないため医師不足が深刻です。そのうえ疎地化も進んでいる。2005年から2010年にかけて、中核病院が次々と経営破綻していました。私は岩手県で自分の事業仮説を試そうと意気揚々でした。けれども、当時は事業実績もない単なる研究者でしたし、お金もなかったのではじめはあまり相手にされなかったんですね。行政に相談してもだめだし、病院に行ったら、そんなこと言っていないで医師として働いてくれって(笑)。

別所:(笑)。医師不足ですからそう言われますよね。

柴原:そして、2011年3月に東日本大震災が起こりました。もはや自分の事業仮説を試すどころではありません。私は、これも運命だなと思って一生懸命復興支援に取り組むことにしました。そうすると、変わった医師が汗を流して一緒に働いてくれているということで地元の方々から評価をいただけるようになったんです。結果、さまざまな声が舞い込むようになった。「特別養護老人ホームを作りませんか」とか「県立病院が潰れそうだから跡地に何か作りませんか」とか。ただ、そういった補助金を使う活動は、結局のところ、社会福祉活動であって企業活動ではありません。私は身近な社会活動に全力で取り組みながらもジレンマを抱えていました。そんな時に、三重県の医療法人が経営難に陥っているので柴原さんのアイデアで再建してみないか、という声がかかったんです。2012年のことです。

別所:それもまた運命的な話ですね。

柴原:ええ。岩手県での生活は充実していました。しかし、起業家としてはそのままでは成功しえない。私は決心しました。三重県に移って、それまで温めていた事業モデル、つまり、現在のホスピス医心館を作り再建にあたったわけです。それが2013年、アンビスの創設と相なります。

別所:医心館の事業モデルについてさらに詳しく教えてください。

よりよき緊張感を持って仕事する

柴原:医心館はそれまでありそうでなかった施設です。医療依存度が高くて、病院から退院した後行き場のない方に特化して受け入れを行っています。たとえば、末期癌の方や人工呼吸器を装着した方、あるいは、難病に罹患して回復の見込みがなく死を待っている方です。そうした方々はかつては病院で最期まで過ごすことができました。ところが、2000年〜2005年以降、国が大きく政策を転換します。入院日数を短縮して、病院ではなく自宅や施設で過ごすことが推奨されるようになったんです。これはやむを得ないことです。少子高齢多死化社会においては、医療保険を圧縮しなければなりませんから。私たちの施設は、そうした時期と重なるように誕生したので、社会のニーズに非常に合致していたんですね。

別所:医心館はいわゆる老人ホームや介護施設にあたるのですか?

柴原:カテゴリーとしては、老人ホーム、介護施設です。違いは、質の高い看護師と介護職員を非常に多く配置していること。入居者の方の年代は問わず、10代からご高齢者の方までいらっしゃいますが、やはり割合としてはご高齢者の方が多いですね。

別所:いまどのくらいの施設数を展開しているんですか?

柴原:2013年に三重県で始まった医心館は現在では、首都圏や東日本で77施設を展開しています(*2023年10月末現在)。毎月のように新たな施設が生まれている状況です。

別所:素晴らしい。似たような事業を展開する企業は他にあるのでしょうか?

柴原:いまのところ僅かしかありません。医療介護業界は、国の方針に則って行う既定路線的な事業がほとんどです。一方、私たちは、既存の制度を活用しながらも、行政が想定していなかったニーズを解決するためのまったく新しい事業を展開しています。私たちがパイオニアと云えます。また、この事業は運営が難しいため参入障壁が高い。なぜなら、看護師の量と質、さらに、チームワークが重要ですし、地域の医師との連携も必要です。また、一施設あたり毎月十人以上の患者さんが亡くなっていくなかでは、常に新しい患者さんに入居していただかなければ経営として成り立ちません。そうした事情から、今のところ後発組の類似他社は私たちの事業に追いつけていないというのが実際のところです。

別所:先行者もいないし、競合も追いつけていない。つまり独走状態ですね。

柴原:私たちは、東日本においてもまだまだ展開の余地がありますし、西日本はまだ進出さえしていませんから、これから大きく展開していけます。この先、150施設くらいまではほぼ競争がない状態でいけるという見込みを持っています。

別所:すごい。そのなかで、本当に頭が下がるのは、死を待つ患者さんたちを支えるスタッフの方々ですよね。心身ともに非常に大変な仕事だと思います。

柴原:本当に頭が下がります。私自身、医師として終末医療に関わってきた経験はありますが、医師と患者さんの関係というのは点なんですね。時々やってきて患者さんを診るという。一方、看護師はずっと患者さんに寄り添う線の関係です。弊社の看護師は非常にありがたいことに、辛い思いをしている終末期の患者さんに寄り添いたいという気持ちを持ち、温かい対応を心がけてくれています。毎月何人もの患者さんが亡くなることに心が痛まないわけがありませんが、それでもこの仕事に看護師としてのやりがいを覚えてくれているのではないかと思っています。

別所:そうしたスタッフの方々の頑張りが御社の信頼につながっているんでしょうね。

柴原:ありがとうございます。弊社の施設全体では、毎年約6,000名の方がお亡くなりになっています。医心館が誇りにしているのは、そのほとんどの患者さんを施設内で責任を持って最期まで看取っていることです。国は方針として、亡くなる最後まで責任をもって施設内で看取ることを推奨しているのですが、なかなかそういう体制を構築できていない施設も多く、亡くなる直前になると、ご家族も患者さんご本人も主治医も不安になって救急搬送してしまうんですね。しかしながら、救急搬送したって命は助かりません。救急搬送される医師側の立場としては、結局何も打つ手がないのに救急搬送されても疲弊するだけです。介護施設のなかで命をまっとうしてほしいと思うわけです。医心館の施設内での看取り率(逝去から遡り一週間内に救急搬送などせずに施設内でお看取りをする方の割合)は99%を超えます。特養が50%弱で、緩和ケア病床でさえ、入院した患者がそこでお亡くなりになる死亡退院患者割合が85%弱ですから、ダントツに高いです。この高い施設内看取率も、地域の医療機関や医療関係者から信頼される証だと考えています。

別所:なるほど。

柴原:さらに私たちの特徴を申し上げると、医心館では、診断書を書く医師は全員私たちのグループの外部の医師たちで、ケアプランを書くケアマネージャーも7、8割が外部の方なんです。これはとても珍しい。普通の施設経営者は、コミュニケーションコストを削減し、かつ場合によっては、自分の指示で動かせるように、医師やケアマネージャーを社内に雇い入れ、囲い込みたがります。私たちはその逆をすることによってケアの質向上とその透明性、公正性を維持する仕組みを創りあげてきました。だからこそ、様々な地域に進出しても、その地域の医療、介護の関係者に信頼されるわけです。

別所:非常に重要ですね。オープンに外からの視点を取り入ることで、よりよき緊張感を持って事業を行える。

柴原:まさによりよき緊張感です。いい言葉ですね。新しい事業を新しい地域で展開するときに、地域の皆様は最初、何がくるんだろう、何をやっているんだろう、と不思議でしょうがないわけです。けれども、私たちは、その地域の医師やケアマネージャーと連携するので、外から私たちの事業が丸見えなんですね。かつ、進出する地域の医療基盤、介護基盤を侵さない。だから、これだけ急速に新しい地域に展開できているわけです。そこも私たちの強さだと思っています。


ビジネスの力で地方都市の病院再生を

別所:そのなかで、御社が掲げる「世界で最もエキサイティングな医療・ヘルスケアカンパニーへ」というビジョンについてもお伺いできればと思います。

柴原:弊社は、創業以来一つの事業のみに集中し続けている非常に稀なタイプの会社です。それは、私自身が20年間研究に専念してきた気質とも関係するかもしれません。自ら築いた事業に未だ競合がおらず拡大余地が大きいという理由もあるでしょう。ともかく、一つの事業でオペレーションを磨いて勝ち抜こうと考えている堅実な会社です。その一方で、私たちは、「新しくて、重要で、大きいこと」に挑戦したいといつも思っています。「新しい」とはイノベーションです。そして、イノベーションとオペレーションを両立するのはすごく難しい。新しいことをやる気風とオペレーションを磨いて勝ち抜くという気風は相反していますから。

別所:たしかにそうですね。

柴原:だから、「世界で最もエキサイティングな」というメッセージは、自分たち自身に向けた言葉なんです。一つの事業を貫徹することとはまた違う新しいことにも挑戦しよう、と。一つの事業だけだといずれは成長も逓減していってしまいます。

別所:常に挑戦の気持ちを忘れないために。では、「アンビス」という社名についてはいかがでしょう?

柴原:「アンビシャス・ビジョン」、つまり、「大志ある未来像」の略語です。はじめにお話しした通り、私は研究者として人生をスタートしています。2018年、私の恩師である本庶佑先生が免疫チェックポイント阻害剤(オプジーボ)の開発によってノーベル医学・生理学賞を受賞しました。自慢話になってしまいますが、実は私は、その開発の端緒となった最初の論文の、四人の著者のうちの一人なんです。本庶先生の偉大な研究に関われたのは非常に幸運で光栄なことでした。私が研究者になった初志は、50年後100年後の医療の大きな発展に寄与したいという気持ちだったからです。同じように、弊社もいずれは医療の革新的な進歩に直接的に貢献したい。また、革新的な医療の進歩の恩恵を、広く多くの方たちが享受できる社会の実現にも寄与したいと願っています。この2つが私たちアンビスのアンビシャス・ビジョンです。そのためにはもっともっと強い会社にする必要があります。

別所:着実にビジョンに近づいて行ってるように思えます。柴原さんが医療で社会に貢献しようとしているように、僕たちは映画祭やショートフィルムを通じて世の中とつながっていこうとしています。最近では、「LIFE LOG BOX」という新規事業の展開をはじめました。僕のアンビシャス・ビジョンとしては、人類誰もが動画クリエイターになった時代に、プロだけでなくみんなが主人公としてそれぞれの人生のライフログをビジュアルデータという形でひとつのボックスのなかにいれて、NFTやWeb3のテクノロジーも活用しながら、未来に継承できるような仕組みをつくっていきたい。映画祭というと華やかだと思われがちですが、僕は、有名無名問わず、個人のパーソナルなストーリーも未来に残していきたいんです。柴原さんのお話をお伺いして、御社のなかにも後世に残していくべき様々な物語があると感じました。

柴原:素晴らしいアイデアですね。それに関連することでいうと、夢のまた夢の話ですが、AIクローンに非常に興味があります。つまり、子どもがいない私が後継者を残したいと考えたときに、私の思考、意識、声、立ち居振る舞い等を残すことができたら面白いなと思うんです。もしかしたら、2、30年先、柴原慶一という「LIFE LOG BOX」があると、そこから勝手に世の中の情報を集めて、勝手に私のように振る舞うAIもできてくるかもしれない。ChatGPTはもっとも模範的な回答をつくるAIですが、個の思考や意識を忠実に再現できるAIもできるかもしれないですね。

別所:まさにそういう時代がやってくると思います。あるいはいま、企業や自治体が自身のブランドや歴史、ストーリーを動画で表現するブランデッドムービーが盛んに制作されていますが、今後はさらに広がって、個人のパーソナルストーリーをショートフィルム化する流れもできてくると思います。偉人や著名人だけではなく、きっとみんなが動画で誰かの人生を振り返ったり味わったりする時間を楽しめるようになるでしょう。

柴原:素敵ですね。自伝は偉い人だけのものではないですもんね。ショートフィルムも色々観てみたいと思いました。実は私は映画が好きで、学生時代は年間200本観ていた時期もあったんです。スパイものとか好きでしたね(笑)。あと、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も好きだった。ギャング映画なんですけど、主人公の幼い頃からの友情や恋愛を描いた懐古もので。私は、男性が自分の人生を振り返る作品が好きなのかもしれません。

別所:「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は僕も大好きです。ぜひまた今度ゆっくり映画談義を(笑)。それでは最後に、アンビスさんや柴原さんの今後について教えてください。

柴原:次の展開としていま考えているのは、初志に戻ることです。つまり、ホスピスというアイデアはもともと、地方都市の病院再生のためのアプローチだったので、その原点に立ち返って、地方の病院の経営再生に取り組もう、と。僻地の病院は、医療人材不足、特に医師不足のため慢性的に疲弊して経営難に喘いでいます。要するに構造的な経営難ですが、まだ民間の活力で解決する型ができておらず、行政頼りなわけです。あるいは、そこで働く医師の献身や情熱頼り。そこを私たちが、ビジネスの力で解決し、型を作ってやろうと考えています。

別所:ありがとうございました。

(2023.9.15)

 

【柴原 慶一】
名古屋大学医学部を卒業後、京都大学大学院で博士号を取得。その後20年間、分子生物学の研究に専念。2010年、「人生に第二章があっても良い」と研究職を辞し起業家へ転進。事業テーマ「過疎地における地域医療の活性化」に係る事業仮説を検証するため岩手県へ移住。同県内での様々な社会事業活動や医療法人再建などの取組を経て、2013年に株式会社アンビスを設立。先の事業仮説をホスピス事業として実践、実証し、その後広範に展開。2019年にJASDAQ市場、2023年にプライム市場に上場。現在、過疎地で構造的な経営難に苦しむ病院の事業再生という新たな難題に挑むなど、真のフロンティカンパニーたらんことを目指す。