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岐阜駅 本の市 2024

岐阜駅 本の市 2024という古本市を訪れた。
今年から始まった書店と出版を手掛ける人たちが集まるイベントで、岐阜駅の商業施設の吹き抜けホールはかなりの賑わいを見せていた。

古本市となると東京 神保町の本祭りから不忍池ブックストリートなど代名詞的なイベントで活況を見ることは多い。けれど、近頃の古本市はローカル発信のイベントとしてもすっかり定着した感があって、10年代と比べて多くの人が集うようになっている。

イベント会場でこんなことがあった。
棚にある本を物色していると、後ろから声をかけられた。
振り返ると、30代ほどのスーツを着た男性が立っていた。同僚と思われる人も傍にいる。

「これ何でこんなに人がいるんですか?」

率直な疑問をそのまま伝えてきた具合である。
その疑問の声にはそことなく、理解できていない人の動きを訝しむニュアンスが漂っていた。

正直、どのように答えたらよいか判断しかねるなあと思ったのだけど、本を扱うお店が集まって古本市を開いているんですよと、こちらも率直に答えを伝えた。

その答えでは疑問が解消できていないようで、重ねて質問がきた。

「古本って安いんですか?だから人が集まっているんですか?」

確かに値段としては安いものも多いから間違ってはいないよな。
でも、値段だけでこんなに人が来るなら、全国の古書店は閑古鳥の鳴く暇もないほど良い商売となっているはずだ。―なぜなんだろう?
逆にこちらが考えることになってしまった次第である。

結局、近頃は個人で本を扱うお店も増えていてイベントとしてにぎわっているということを伝えると、本を取り巻くムーブメントであることは伝わったみたいで、その男性との問答は終えた。


振り返って思ったのだが、ここにいる人たちは、本のある場所の磁場に惹かれているのではないか。

考えるに本のある場所の磁場とは、「本を通した人との交流」が生じる場のことである。
本には、著者と編集者、その本を取り扱う本屋という関係者の意思が表れているのだから、本を読むことでその気持ちに触れることは、一種の交流といえる。
問答の後にそんなことを感じさせることがあった。

別のブースにて、自作の漫画、エッセイを販売するお店にて立ち読みした歌集を購入することにしたときのこと。
50代ほどの男性が突然高らかに感謝の言葉を述べてくれた。

その自作の歌集は男性の娘さんが初めて作った歌集なのだと、男性は喜んで話をしてくれた。

端的に若い人が作った短歌なのだと感じて興味をもったのだけれど、思いがけず男性の娘さんの短歌に込める思いも知ることができた。
人の気持ちを実感する楽しいやり取りができ、本を通して人の内面を知ることができたことが素直にうれしく思えた。

本が一同に集まる古本市というお祭りは、空間としても文化としても、非日常的で魅力ある体験の場となっているのだろう。

やはり本のある場所には、訪れずにはいられない。


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