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地理Bな人々(31) 中島ノート⑬ アムステルダム・一番懐かしいもの

スキポール空港※1に着陸する直前,牧草地が見えた。
 
日本で航空機から眼下に緑色の大地とそれを区分けする直線が見えたら,水田とあぜ道だとすぐ分かる。

オランダはその逆だ。

緑色に見えるのは牧草地で,それを区分けしている線は「水路」だ。
 
無心に草を食べ進む牛たちは水際までやってきてそれ以上進めなくなり引き返す。
水路は牧草地を囲む柵の役目を果たしている。

森林率の低い(約8%)オランダにおいては非常に合理的な農地※2管理になっている。
 
アムステルダム。
14時半。遅めのランチ。運河沿いのカフェ。
17世紀に作られたこの運河※3は世界遺産の一部だ。
店のオランダ名は忘れたが“5つの秘密”という意味だ,と小宮山が教えてくれた。
 
小宮山はこの街に住んで3年になる。
当初はイギリスに留学していたのだが,移民について詳しく勉強しているうちにアムステルダムに来た,という。
2月のアムステルダムには珍しく時折俺たちのテーブルに日が射し込む。 
 
鹿肉のハンバーガーと山盛りのポテトが登場。サテソース※4が美味い。
旧植民地の料理※4はすっかりこの国の定番になっている。
 
「あのさ,日本のことで一番懐かしくなるのは何だと思う?」と小宮山が聞く。
「何だろ。梅干し?」
小宮山は鼻で笑い,しょうがねえな,という顔をした。
「じゃあ,納豆?」
「ちがう。」
「分かった,ワサビだ。」
「違うって。なんで食べ物ばかりなんだよ。ここはオランダの首都だ,そして今は2000年,ミレニアムだ。そんなものは全部手に入る。」
「そうなのか。」
「日本のスーパーほどじゃないけれど,アジア系食品がちゃんと置いてあるス-パーもあるし,足りないものはデュッセルドルフ※5にいけばだいたい揃う」
「ドイツまで行くのか?」
「クルマで2時間ちょっと掛かるけどね。時々研究室の仲間と出かけるよ。美味いラーメン屋があるんだ。」 
「へえ」と言って俺は地図を眺めた。
 
「食べ物じゃないってことだな?」 
「うん。」
「じゃあ,日本語の本。新聞。」
「不正解。多少時間は掛かるけど手に入る。」
「じゃあ何だ?」
「お金では手に入らないものだよ。」  
「…愛,かな。」
 小宮山は思わず吹き出して,カフェラテの泡を口の周りにつけながら「それもこの街にはあるよ。」と言った。

どういう意味なのか,尋ねようとする前に小宮山は答えを言った。
「キコウだよ。」
「キコウ?」
「そう,気候。空気。特にこの季節はそう思うね。俺さ,中学まで新潟だったから,子供の頃の冬といえば雪,雪,雪,なわけ。毎年うんざりするくらい降るんだよ。だから,高校で横浜に引っ越した時はすごくうれしかった。横浜の冬は雲一つない青空が何日も続くからね。でも,今はそのどっちも好きだったなって思う。この街にはどちらもない。オランダの冬は昼間の時間が8時間もない※6んだ。おまけにどんよりと曇った日が続く。アムステルダムの12月の日照時間て何時間だと思う? たったの90時間だぜ。一日3時間しか日が射さない日がずーっと続くんだ。運河も凍る。こんな季節が続いたら間違いなくノイローゼになるね。冬に北欧で自殺者が増加する理由がよく分かるよ。夏のバカンスに地中海へ民族大移動が起こる※7理由もね。最近はヨーロッパの夏もだいぶ暑くなってきているけど,やはり違う。朝から気温がぐんぐん上がって蝉がミンミン鳴いてもわっとした草の匂いがして汗が噴きだしてくるような新潟の夏がたまらなく懐かしくなる時があるんだ。」
 
 小宮山はいつになく饒舌に話を続けた。
「ヨーロッパ人がなぜ熱帯に植民地を拡大したかって言ったら?」
「それは胡椒※8を求めて,だろ?」
「ああ,一般的にはそうかもしれない。だけどオレは,その根底に陽光に対する渇望があったんじゃないかと思うんだ。」
「でも熱帯にヨーロッパ人が大挙して移住したわけじゃないだろう?」
「そりゃあ,熱帯風土病※9がコワイからね。住むのはつらい。でも熱帯のいいとこどりはしたい。住めないんだったら暑さに慣れてるアフリカやインドの住民※10を連れて行き,作物を育てて持ち帰ろう。ついでに地下資源も,って感じだったんじゃないか?」
 
 17世紀前半,ヨーロッパの覇権国家はここオランダだった。今でもこの国では「黄金の17世紀」という言い方をするらしい。17世紀に政権を確立した徳川幕府が鎖国中もなぜオランダと付き合っていたか,の答えの一つがここにある。
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※1 スキポール空港
オランダの首都アムステルダムにある国際空港。ヨーロッパを代表するハブ(拠点)空港である。干拓地に造成された空港で,海抜高度は海面より低い。
 
※2 農地
「農地」と「耕地」を同じものと思ってはいけない。
簡単に言えば,「農地 = 耕地 + 牧場牧草地」である。
例えば,国土の大半が乾燥地のオーストラリアは耕地率は4%程度だが,乾燥に強い羊の放牧などが広く行われており,牧場牧草地は約42%もある。したがって,42+4=46%となり,国土の半分近くが「農地」として利用されている,ということになるのである。
 
※3 17世紀に作られたこの運河
『アムステルダム中心部:ジンフェルグラハト内部の17世紀の環状運河地区』(2010年登録)。アムステルダムの運河網は16世紀末ころから新しい港湾都市プロジェクトとして徐々に拡大していった。運河は旧市街から扇形に広がっている。登録範囲には,『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクがナチスドイツの迫害を逃れるために住んでいたアパートも残っている。
 
※4 サテソース/旧植民地の料理
サテは,ジャワ島(インドネシア)が発祥で,東南アジアに広まった肉の串焼き料理のこと。ピーナツをすり潰した甘めのソースをかけて食べることが多く,これがサテソースと呼ばれる。オランダではフライドポテトなどにこのサテソースをつけて食べることも多い。オランダはインドネシアを植民地としていたので,インドネシア料理はオランダ人にも馴染み深く,都市部では専門店も多い。 
 
※5 デュッセルドルフ
ドイツ西部,オランダ国境近くに位置する都市。西ヨーロッパの大動脈であるライン川沿いに位置し,ヨーロッパの重工業の中心地ルール工業地帯にも近く,古くから商工業が栄えた。現在は多国籍企業が集積し,日本の商社も多く「ラインの日本」とも呼ばれ,ヨーロッパではロンドン・パリに次ぐ日本人コミュニティが形成されている。商業だけでなく金融・ファッション・芸術分野においてもヨーロッパの中心地の1つである。
 
※6 昼間の時間が8時間もない
アムステルダムは北緯約52度に位置しており,これは日本付近だと樺太(サハリン)の北部に相当する。6月は昼間の時間が16時間以上あるが,12月は7.8時間。9時ころにやっと日が出たかと思えば,午後3時半には沈んでしまう。
 
※7 夏のバカンスに地中海へ民族大移動が起こる
フランスなどでは法定の有給休暇が年に5週間ほど認められており,休暇をとらないと企業側にペナルティが科せられたりする。有休休暇なので冬に利用してもよいが,多くは夏にまとめて数週間の有休休暇を取り,地中海などの南部へ移動するパターンが多い。南部は地中海性気候(Cs)で,夏は中緯度高圧帯に覆われて晴れの日が続く。国別観光客受け入れランキング(2019年)では①フランススペイン③アメリカ④中国⑤イタリアトルコ,となっており,地中海に面した国が上位にランクインしているのもこのバカンスの習慣が影響している。
 
 
※8 胡椒
ヨーロッパでは主要な穀物が小麦であり,小麦だけではタンパク質の元となるアミノ酸が不足するので,家畜の肉は貴重な食材であった。しかし,肉は腐りやすい。冷凍技術の無かった時代は,肉の腐敗を防ぐために胡椒などの香辛料を使うようになった。胡椒は南インド原産の熱帯性作物で,南アジアから東南アジアにかけての地域で栽培され,ヨーロッパには無い。そこで,香辛料を求めてヨーロッパ人はインドや東南アジアに進出したのである。
 
※9 熱帯風土病
ある限られた地域で古くから流行してきた病気を風土病と呼ぶが,熱帯ではマラリアなどが知られている。マラリアはハマダラカと呼ばれる蚊が媒体となる伝染病で,WHO(世界保健機関)によると,2020年の世界のマラリア患者数は2.4億人,死亡者数は 62.7万人と推定されている。COVID-19パンデミックで医療サービスが低下したことで,患者数が前年に比べ急増してしまった。患者の95%はサブサハラ(サハラ砂漠以南のアフリカ)に集中している。
 
※10 アフリカやインドの住民
アフリカ系の住民が黒人奴隷として南北アメリカ大陸へ移住させられた歴史的事実は広く知られているが,「旧イギリス領の国にはインド系住民が多い」というのも世界的に見られる傾向である。これはインドが旧イギリス領だった時代に,世界各地の熱帯地域に植民地を持っていたイギリスが,農園(プランテーション)での労働力として移住させたインド系住民がそのまま現地に定着したことが影響している。 
 

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