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地理Bな人々(25) 中島邸② 

 散骨の話はすぐに恭子さんに伝えた。
 中島家の墓は横浜市の郊外にあるらしいけれど,あの人がそう言うならそれで構わない,ということだった。
「そのナミビアっていう国はどこにあるの?」
「アフリカの南部です」 
「アフリカですって?どのくらいかかるのかしら?」
「ネットで調べましたが,羽田空港からナミビアの首都ウィントフックまではフランクフルト※1の乗り継ぎ時間を含めて25時間ほど掛かります。そこからさらに砂漠をクルマで行けば先生の見たソーサスフレイという所に行けます。」
「ちょっとそれは難しいわ,私には。あなたパスポートは持ってる?」  
「いいえ持ってません。海外に行ったことがないんです。」 
奥さんは,まあ,と驚いて言った。「あなた海外のことよく知っているじゃない。」
「いえ,テレビと本とネットの情報だけです。いろんなところで聞きかじったことを何となく繋ぎ合わせてるだけです。」と僕は言った(最近このセリフばかり言っている気がする)。
「じゃあ」と奥さんは真顔になって、
「申請に必要な費用は私が負担するからパスポートをとってね。旅費もこちらで負担するから。」と言った。
「僕が行くんですか?」
「他に誰がいるの?」
「いや,僕なんか英語もからっきしダメだし海外経験ないし,無理です。」
 そういう僕の言葉に恭子さんはほとんど耳を貸さず,旅のコーディネーターになったかのように僕の手にしていた地図帳を取り上げてアフリカのページを開いた。
 そして大半が黄土色で占められた巨大な大陸※2をしばらく見つめたあと,顎に手をおいて,
「でも,そうね。人生初の海外旅行を他人の財布でいくというのも真面目なあなたには気が引けるでしょうから,あなたも少し負担しなさい,今からその費用をためてね。日記のバイト以外でね。」
 そういって,楽しそうに再び地図に視線を落とした。
 

「中島は,あなたのことを時々話していたわ。
『あいつは昔のオレによく似ている。頭も悪くない。性格も素直だ。俺と違うのは臆病なところだ。このままだと安全だという確信のあるところしか歩けない人間になっちまう。臆病な人間ていうのはどんどん世界が狭くなる。しまいには人に優しくできなくなるんだ。自分のことしか考えなくなっちまう。あいつを見ているとどこかへポーンと放り投げてやりたくなるんだよな』 って。」
 僕の視線は恭子さんの向こう側の壁の方を向いていた。
 中島先生が撮ったオカヴァンゴデルタ※3の写真がそこにあった。
「気を悪くしたらごめんなさいね。」  
「いいえ。そんなことないです。多分当たってます。」 
「それであなたにお願いしたの。本当はあの人,自分からあなたに言いたかったんだと思う。」    
「・・・はい。」
「でも,もうこの世にはいない。」 
「はい。」  
「だから,あの人の代わりに私があなたに指令を出すわね。」     
「…。」
「行きなさい。ナミビアに。赤い砂漠に行ってこの人をバラ播いてきてちょうだい。」
「分かりました。」
 半ば反射的に返事をした瞬間,僕の中で何かがカチャリと動き出した。
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※1 フランクフルトの乗継ぎ
ドイツのフランクフルト・アム・マイン空港はヨーロッパを代表するハブ空港である。ヨーロッパには4大ハブ空港があり,国際線旅客数最大はヒースロー空港(英・ロンドン),次いでスキポール空港(オランダ・アムステルダム),シャルルドゴール空港(仏・パリ),フランクフルトの順である(2017年)。
 
※2 大半が黄土色で占められた巨大な大陸
地図帳を見ると,アフリカ大陸には緑色の部分(低地=標高200m未満)が極めて少ないことが分かる。アフリカは全体的に「高原」であって,低地の割合は全大陸の中でも9.7%で最も低い(最も高いのがヨーロッパ=52%)。この地形が,アフリカの河川交通に大きく影響している。多くの河川は,上流~中流ではゆったりと流れているが,下流になると急流が多くなる(赤道直下を流れるコンゴ川の下流部にあるリヴィングストン滝などが典型的)ので,河口部と上流部を結ぶ交通路が発達していないのだ。アフリカの特に内陸部の発展が遅れているのには,こうした自然条件が大きく影響しているのである。是非地図帳(P38)で確認してみよう。
 
※3 オカヴァンゴデルタ 
アフリカ南部のボツワナ共和国北部に広がる巨大な湿地帯。アフリカでは,※2のように上流部では勾配が緩やかな河川が多く,盆地状の地形が広がる地域では,内陸に湿地帯が形成されることがある。そのうち世界最大級ものがオカヴァンゴデルタである。周辺は野生動物の楽園となっており,ボツワナでは手こぎボートを利用したツアーなどが観光客に人気となっている。オカヴァンゴデルタは2014年に世界自然遺産に登録されたが,1978年に最初の世界遺産(12件)が登録されて以来ちょうど1000件目の登録遺産となったのがこのオカヴァンゴであった。
 
 

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