年収700万の公務員から無職になる理由〜叶えた夢を捨ててまで、叶えたい夢〜最終章 後編
これは、8年間消防士として働いてきた私が、なぜ小学生の時からずっと憧れてきた消防士を辞めて、年収700万の安定した生活を捨ててまで無職になるのかについてのお話。
前回までのあらすじ。
私は小学校3年生の時(2001年)にアメリカ合衆国で発生した9.11テロ事件がきっかけで消防士を目指すようになる。
大学受験のセンター試験で大失敗。人生初めての挫折を経験。通学中の読書がきっかけで世界一周に興味を持つ。
公務員試験の1回目は不合格。自分を見失いそうになりながらも、必死の努力でなんとか2回目で合格を勝ち取り、「消防士になるという夢」を叶える。
そして様々な不安や恐怖を乗り越え、念願の世界一周へ。自分の中で大きな変化が訪れる。
その後、消防士として社会人生活をスタート。
しかし、またもや苦難と挫折の日々。
新しく出来た2021年の東京オリンピックで英語の話せる救急隊として働くという夢を、持ち前の「やり抜く」力で叶える。
そんな失敗と挫折ばかりの前編はこちらから ↓↓
地獄
私は、2021年に東京オリンピックで救急隊員として従事し、目標を叶えました。
そしてその目標を達成した後、私はなりたい自分の姿が見当らなくなっていました。
私は昇進とか役職ポジションに全くと言っていいほど興味が持てず、その先のビジョンが見えませんでした。
やりたいことがありませんでした。
そんな中、私は地獄を経験しました。
新型コロナウィルスの大流行です。救急出場件数は過去最多を更新し、119番通報が鳴り止まず、ひっ迫状態でした。
朝の8時30分に交代したまま、ほぼ一睡もせずに翌日の朝まで出場し、その日の昼まで事務作業をする。30時間まともな休憩もできずに働き続けました。
コロナのせいでパソコンで行う事務関係も増えました。
人の命を助けるために仕事をしているのに、よく分からない事務作業に膨大な時間と労力を費やしました。
当番中のご飯は、すぐ買いに行けるコンビニのご飯を食べ続けていました。ゆっくりご飯を食べた記憶がありません。
飲むように食べていました。コンビニのお弁当を食べ続けたせいで、見ただけで気持ち悪くなってお弁当売り場の前で吐きそうになったこともあります。深夜の3時に晩御飯を食べることもありました。
睡眠不足とそして沢山のコロナウイルスの患者を搬送するという見えない心理的ストレスと戦っていました。
搬送先の病院が決まらないため6時間以上コロナウイルスの患者と救急車の中で過ごすこともありました。
身体も精神もボロボロな状態でした。地獄だと思いました。同じ救急車に乗っている仲間がみんな辛そうでした。というかこれが辛くなかったら人間じゃないと思いました。
そんな大切な仲間も次々にコロナウイルスに感染し、当番中に交替できるメンバーもいなくなったりしました。
私もコロナウイルスにかかれば仕事に行かなくて済むし、そっちの方がどれだけ楽なのだろうかと何度も考えました。でも一度もコロナに感染しませんでした。笑
こんな状態が2年近く続きました。先の見えないゴールに向けて永遠と走らされているようでした。
追い討ち
そんな中私は、当時付き合っていた彼女に「一緒にいても楽しくない」と言われてフラれてしまいました。完全に追い討ちでした。笑
そして気晴らしに友達と遊んだり、会って話をしたり、リフレッシュしようにも緊急事態宣言で会いにいくことができない、、、もう八方塞がりでした。
なんのために生きているのか、分からなくなりました。
自分は何のために生きているんだろう?
毎日のように、その問いかけが脳内でずっと繰り返されていました。
他の人から「いい人」って思われるために生きてるんだっけ?
消防士?凄いね、かっこいいねって言われるために生きているんだっけ?
将来安定した老後を過ごすために仕事をしているんだっけ?
上司の言われることに何の疑問も持たずに「はいやります」と答え、「常識」が作った幸せのテンプレートみたいな人生を過ごしておけば、間違いないだろうってずっと思っていました。
心の底では違うって感じていたけど、みんなと同じ方向に進んでいけば間違いないって思っていました。
自分は本当は何がしたいんだろう?
当時の私に答えは導き出せませんでした。
「死」
忘れもしません。
コロナ禍の真っ只中、私はある事案に出場しました。
6歳くらいの男の子がマンションの10階以上の高さから誤って転落してしまいました。
詳細は言えませんが、私はその事案でその子の心臓マッサージを病院到着までずっとしていました。
今まで数多くの患者の生死の境を見てきましたが、人生で一番心が締め付けられる出来事でした。
病気で徐々に容態が悪化して、亡くなるのとはまた違う、突然起きてしまった事故。
取り残された家族の気持ちを考えただけで嗚咽が出そうになる程、辛い出来事でした。
「死」がいきなり私の隣に来た感じがしました。死を隣にして、
「自分は絶対死なない。事故になんて絶対遭わない。」
そう思って普段の生活している自分がそこにいました。
そんな自分が恥ずかしくなりました。
私が明日生きている根拠は、どこを探してもありませんでした。
「明日生きている前提で、なんで今日を生きているんだろう」
そう考えるようになりました。そしてその男の子の事件を「ただ可哀想な事件」として終えてしまうにはあまりにも申し訳ない気持ちになりました。
そしてその数ヶ月後に、私の叔父が腎臓癌で約半年間の余命宣告をされました。
まだ59歳でした。もうかれこれ叔父とは10年くらい会っていませんでした。そして私は、ある日叔父に電話をしました。久しぶりに聞く声でしたが、明らかにか細くて弱々しい声でした。
他愛もない会話でしたが、最後に「じゃあまたね」と言って電話を切りました。
そして2度と「またね」が実現することはありませんでした。
人はいつ死ぬか分からない。
よく聞く、このありきたりな言葉が自分の中にすっと溶け込みました。
亡くなった男の子や叔父の死に「意味」を見出そう。
ただの悲しい思い出にするんじゃなくて、自分の何かを変えよう。
そう心に決めました。
そうすることくらいしか私には出来ないから。
私が生きる意味
私は後悔しない人生に半端じゃない執着心があります。物心ついたときからそうでした。そのためなら腹の底から力が湧き出てきます。
先祖は絶対大きな後悔を残して亡くなったんじゃないかと思うほどに。
今私たちが生きている世界は、戦争や紛争が日常にありません。突然家族が虐殺されたり、地雷を踏んで足が吹き飛んだりしません。戦闘機に乗って特攻させられることもありません。
不当な差別を受け、暴力を振るわれたり、肌の色が違うだけで殺されたりしません。奴隷として売り買いされて、家畜同然のように扱われることはありません。
明日を死ぬほど生きたい、そう強く思いながら死んでいく人が過去には沢山いたに違いありません。
差別や戦争のある世界を変えたいと思う人々が、多大な犠牲を払い、命を懸けて必死に繋いでくれたお陰で「平和で平等な今」が成り立っていると思っています。
そこに多くの命を捧げてきた死者は、今いる私たちに「安定した収入のある仕事に就くように!」「上司のいうことには絶対従うんだぞ!」
そんな世界なんてきっと望んでいないと思います。
「自分のやりたいことは全部やれ!」「家族や友達と過ごす時間を大切にしろ!」「お前らしく自由に生きろ!」
そんな願いを持って「今」を作ってくれたのだと思います。
私たちは、その人たちが叶えられなかった願いを叶える義務があると思っています。
その人達が体験できなかった自由を、喜びを、その分味わう義務があると思っています。そうしないとその人たちは報われない。
私たちが唯一できる恩返しは「自分の人生を真っ当に生きて、命を使い果たす」ことしかないと思います。
私の命は、自分だけのものじゃない。人生は有限なんだ。
そう思った時に、私は今の会社でこのまま働きたいと思うかを自分に問いました。
答えは「NO」
0.1秒もかかりませんでした。
死ぬまでにやりたいことリスト
私には「死ぬまでにやりたいことリスト100」というノートがあります。
「オーロラを見る。」「砂漠で満点の星空を見る。」「南極に行く。」などが記載してあります。
やれるかどうかは関係なく、純粋に死ぬまでにやりたいことを思いついた際に記入するようにしています。
ちなみに現在まで54個あり、54個目は「宇宙に行く。」となっています。笑
これはコロナ禍で自分がどん底にいるときに本来の自分を見つめ直すためにやり始めたものです。
そして地獄のコロナ禍を経て、ノートを見返すと8割以上が「世界でやりたいこと」でした。
今の職場には満足している。社会的信用もあるし、福利厚生もしっかりしている。大企業が倒産していく時代でも倒産することは考えられない。
でも、今の職場で私のやりたいことを全て叶えることは物理的に厳しい。良くて年に2回海外に行けたとしても50歳までに40カ国、、、
そして年が経つにつれて気力、体力は間違いなく落ちる。激しいアクティビティに参加できなくなる。
自分の中で大葛藤していました。
頭は「今の職場に残れ」と言っていて、
心は「世界を見に行け」と言っています。
私はずーっと頭で心を抑え続けていました。
「辞めるなんな馬鹿なことするな。なりたくてなった消防士だろ?叶えるまで何年かかってきたと思ってるんだ。今まで積み上げてきたものはどうするんだ。」
「私は本当は何がしたいんだっけ?」
このまま一生頭の言いなりになって、このまま何も変化も起こさず、挑戦せず、誰もが思い描く順風満帆な生活を送れたとしても、私はきっと後悔する。
そんな自分を認めてあげることができるだろうか?
いや、間違いなく自分を嫌いになるだろう。
このまま自分に一生嘘をついて、あたかも懸命な判断をしたかのような程のいい理由付けて「今忙しいから、時間がないから、今準備ができてないから」と言って逃げるのか。
「進む」か「逃げるか」
選択肢はいつだってシンプルです。
私は自分に嘘はつきたくない。これが全てです。
自分だけは最後まで自分の味方でいてあげよう。そう思いました。
仕事は何回でもやり直すことができるけど、人生はやり直せない。
周りに反対されながらも世界一周に飛び出た時と同じです。
人から良いと思われる人生ではなく、自分がやりたい人生を生きよう。
自分で決めれば、いつだって後悔はしないのだから。
私は叶えた夢を捨てました。
おわり。
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