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アジアの大国で体験した、未だに信じられない「親切」

黒豹コメント:

最初に、
本記事は、現状の国際政治情勢とは全く関係ない観点から投稿するものであり、現地で見た事実と真実のみをお届けします。

♠ 中国工場建設の思い出 ♠
 
30年ほど前になりますが、中国第二の工業団地「蘇州工業園区」で中国工場建設を担当しました。仕事そのものよりも、蘇州は日本陸軍の旅団司令部があったところなので、現地の人々の協力が得られるかが不安でした。

あえて、日本人乗客は私一人という「エアチャイナ」に乗り込み、CAさんたちに食事マナーや中国の文化を教わりながら、上海空港に降り立ちました。

まずびっくりしたのが、昔の東京の記憶にあるスモッグの光景です。太陽らしきものがぼんやりと浮かび、雑踏もビルもすべてが霞んでおりました。それが石炭火力の粉塵だと分かったのは相当後のことです。

空港から蘇州市までは約100Km。どこまでも水平線が続く田園地帯を切り取るハイウエイをタクシーで向かいました。片側車線の幅が50mはある路盤が20mほどの盛土法面で造成され、なぜかガードレールがありません。
このハイウエイで一生忘れられない親切を受けることになります。 

仕事の内容について少々:
「蘇州工業園区」はシンガポールとの協力事業ということもあり、予想に反し良く整備されておりました。青空がくっきりと浮かび、日立やサムスン電子など、近代工場が立ち並んでおります。この一角に、半導体関連の工場建設をスタートさせるのが私の仕事で、歴史あるホテルに、地元やシンガポール、遠くは香港から入札企業が集まっておりました。
最重要点は、入札業者が、HEPA(高性能フィルター)の取り扱いや半導体仕様のクリーンルームを実現する技術力があるのかを見極めることでした。
連日遅くまで、設計図書確認とコストチェック、英語と中国語の乱戦が続き、3週間の予定が、完了までひと月ほどかかりました。
ボストン本社での報告会議も予定されており、貴重な機会だった寒山寺参拝も取りやめ、急ぎ上海空港へと向かいます。
滞在期間中、視察や食事など、町工場や市井にも出向きましたが、不快なことが一つもなかったことは救いでした。

★ 未だに信じられない奇跡的な出来事 ★

3時間の余裕を持ってタクシーに乗り込みましたが、徐々にスピードが落ち、もう少しで上海空港という地点で前方の光景に愕然とします。異世界へと続くような直線道路の先の先が、車の重なりで霞んでおりました。
フライトまであと1時間。ドライバーさんに状況を説明しました。

「渋滞に事故が重なったようだ。最低でも2時間はかかりますよ――」

「な、何とかなりませんか?」

全ての光景が不可能と突きつけてくる中、「まさか!」が起こりました。
突然、ハンドルが右に大きく切られました。車体は滑りながら田園地帯へと落ちて行きます。落ち切る手前で持ちこたえ、車体が傾いたままハイウエイと並行に走り始めました。ドライバーさんの真剣な目。車は土煙を上げながらどこまでも疾走します。何千台抜いたでしょうか。直交する道路が見えてきました。ここからがまた驚きの展開。直交する道路には段差あります。
車は法面を駆け上がり、わずかな隙間をハイウエイへとジャンプしました。眼前に立ちはだかったのは、前後のバンパーがほとんど接触している車の連なり。ドライバーさんは、臆することなくクラクションを鳴らします。あちこちから怒声が跳ね返ってきます。人間と車の怒号の隙間を縫って、車は徐々に、徐々に、車列に割り込んで行きました。

帰りの座席、遠くなる広大な大地を眺めながら思いました。ドライバーさんは、なぜリスクを冒してまで、あそこまでしてくれたのだろうか? 
30年経った今でも、「親切」の二文字、それ以外に回答は見つかりません。

そのハイウエイは、有事の代替滑走路だったというのは後から知りました。

最後に、
このような奇跡的な親切は、遠く中国に行かずとも、身近なところでも起こり得るということを記しておきます。このnoteでも。。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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