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「自然の中で生きる」という言葉への違和感


東京や大阪に住む友人と話す機会があると必ずと言っていいくらい、「自然の中で生きてて楽しそうだね」って言われる

まるで彼らは自然の中で生きていないかのような口調で言われる

街で生活を送る人にとって街と自然は全く違う世界と捉えてるんだなーっと伺うことが多々ある

なんやかんやで自分も札幌という大都会に住んでいるが、幸いにも街と自然の境界を意識しづらい大都会だと思ってる

手稲山があり、豊平川があり、南には山々が広が広がる

自然の中で生きると言うことすら意識しないで生きていることができた

さっき、街と自然の境界って書いたのだが、正直、境界の定義すらわからない

むしろ、境界なんかなくて、自然の中の一部に人間が造り上げた街という環境があるだけではないのか?

だから、自然の中で生きてて楽しそうと言う言葉に違和感があるのでは、と最近は考えるようになった

自然の中でみんな生きてるんです

魚は海、川、湖で獲れ、肉は牧場、野菜は農園から来る

養殖場や牧場、農園なんかは自然の一部を人間が使いやすいように手を入れただけで、野生生物もその環境を使ってたりする

食害もそうだし、昔から用水路や田んぼは独自の生態系ができていた

なんなら街もそうだろう

もちろん、手を入れた程度の差はある

しかし、人間が使いやすいように原野の一部を改変したという点では同じだと考えられる

ただ、街にいると他の生き物の命を感じることがないとは思う

生き物を殺し、その命をいただいて自分たちの命を繋いでいる

命で命を繋ぐということ、それは人間が何千年も続けてきたことだが、今まではそれを意識することすらなかった

最近になり、食糧を生産する、つまり、生き物を殺すことが機会的になったからではないだろうか

いまいちど、立ち止まり、命と向き合う場面が今の街には必要なのかもしれないと思う

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