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恋の忘れ物・仁義編 【エッセイ】

あるとき別れた恋人から電話がかかってきました。

「本当に申し訳ないんだけどお願いがあるんだ。写真をくれないか」

これが恋愛ドラマだったら良い感じにオサレな音楽が流れて、ふたりの顔が交互に映し出されるところですが、

頼まれたのは私の写真ではありませんでした。

犬です。

この人は大変な愛犬家でして、
飼っていた犬の写真を一枚くれたのです。
私は以前それを印刷したマグカップを専門店に注文してプレゼントしました。

その愛犬が亡くなったので写真を整理していたのだそうです。

「あのマグカップの写真の原本がどうしてもみつからないんだ」

家族として犬を可愛がっていた人なので、気まずいのを我慢して電話してきたのでしょう。

私は色々と根に持っていました。
相手の同席をぎりぎり許せるとしたら、ゾンビに追われてシェルターがひとつしかなかったときぐらいかなと思っていました。

あちらも断崖絶壁でロープが一本しかなかったとき以外は私に近寄りたくないと思っているに違いありません。

しかし、ふたりの間にどんな問題があったにせよ犬に罪はないのです。
犬は我々のちっぽけな恋よりも優先されるべきです。
(個人の見解です)

腹立たしさと虚しさをのみこみながら写真を探しだし、郵便で送りました。
それだけ一枚封筒に入れるのも大人げないと思い、お悔やみの言葉を一行添えて。

これで義務を果たせたと胸をなでおろしていたのですが、
また電話がかかってきました。

「犬の葬式をするから出席してほしいんだ」

まてまて。

「君も一緒に散歩をしたことがあっただろう?思い出があるだろう?あいつにお別れを言ってやってほしい」

「どうして私が行かないといけないの?」

「生前にはあまりそばにいてやれなかったから、せめて少しでも悲しんでくれる人と一緒に見送ってやりたいんだよ」

犬を口実にして会おうとしている気配があったらむしろ簡単に突っぱねられたのですが、そんな空気はみじんも感じられません。
純粋に犬への思いだけに動かされて電話してきたのです。
これはたちが悪い。

あきらかに犬好きに対する踏み絵です。
( 個人の見解です )
犬を愛する民としての仁義があるかどうかが試されているのです。
( 個人の見解です )

断ったら犬を軽んじる者の烙印を押されますが
( 個人の見解です )
断らなかったらもっと嫌な思いをするでしょう。
会えばどうせ泥沼の罵り合いになるに決まっています。

犬には申し訳ないけど、私は自分のぶっ壊れやすいハートを守らねばなりません。

お葬式は犬のためというより飼い主のためのものです。
この飼い主をいたわる義務はありません。
合ってますか?
合ってますよね?
壁に向かって指さし確認してしまいました。

「冷静でいる自信がないので行けません」

「だめなのか?犬が好きだったんじゃないのか?」

粘ろうとする相手を振り切って電話を終えました。
なんと凄まじい犬の引力。
危ないところでした。

そんなわけで私は犬好きを堂々と名乗れなくなってしまいました。
あ〜あ
犬、飼いたいなあ…









































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