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脱出歴 【エッセイ】

こんにちは。
牛乳パックの注ぎ口を今日も反対から開けてしまったアイチャイムです。

みなさんは人生で何回くらい脱出をしたことがありますか?

トリックを使ったマジックショーの脱出ではなく、スマホ依存や金欠や失恋の悲しみからの脱出でもない、
文字通りの脱出です。
私は3回ほど経験があります。

ひとつは自宅マンションの屋上からの脱出です。

屋上に配管などの通った小さい部屋のような構造物がありまして、管理者の許可を得て物置きなどに使わせてもらっていました。
ドアを閉めると自動的に施錠されるタイプで、鍵を中に置き忘れると開けられなくなります。
さらに屋上へ出るための階段口にも鍵があり、合計二つの鍵を持って使っていました。

もうおわかりでしょう。
私は二つの鍵を部屋の中に忘れてドアを閉めてしまったのです。

マンションの廊下との間の格子戸をつかんで動物園のゴリラのようにガチャガチャやりましたが、そんなときに限って誰も廊下を通らないのです。
当時は携帯電話など持っていませんでした。

屋上から道行く人々を見下ろして、最悪ここから大声で助けを求めるしかなくなるんじゃない?と思って震えました。
ちなみに3階建てです。
ぎりぎり顔が見分けられそうな高さなのです。
これがもっと高層マンションだったら逆に思い切りがつくというか、プライドを捨てて叫べるかもしれないのですが、絶妙に恥ずかしい距離感です。

うろうろと屋上のへりに沿って歩いているうちに、貯水タンクの点検に使うはしごが外壁に備え付けられているのを発見しました。
この屋上は柵がなく、ミッションインポッシブルみたいに壁にへばりついて、40センチくらいの幅に突き出したへりを伝ってたどり着きました。

はしごをおりるとマンションの廊下に戻れるのですが、一番下の段がなぜか2メートルくらいの高さで途切れていて、最後は廊下に飛び降りるしかないということがわかりました。
しかもそこは階段の踊り場で、屋根も壁もない階段が下へと伸びています。
一歩間違うとさらに落ちてしまいかねない位置なのです。

そのときです。
急に尿意に襲われたのは。

ここで漏らすか着地に失敗して骨折するか、どっちが危険か真剣に悩みました。そのうちに冷たい風が吹いてきて尿意はひどくなり、はしごをつかむ手もしびれてきて、
最後は涙目で飛び降りました。

幸いにもケガはなく、コンクリートに着地した衝撃で足の裏がビリビリするのをがまんしながら自宅に入ろうとしたのですが、ドアが開きません。
インターホンを連打しているうちに思い出しました。
そういえば家族がさっき外出してしまったということを。

冷や汗って本当に冷たいんだな、と思いました。
ポケットの中を探って鍵を見つけるまでの数秒間、走馬灯みたいなものが見えました。
幸運にも前の日に新しいキーホルダーを買って家の鍵だけを付け替えてあったのです。
家に入るなりトイレにダッシュ。
ミッションインポッシブルにも尿意と戦う場面はないので、私の方がよほど危険なミッションを遂行したと言えるでしょう。

ふたつめは大学生のときです。
私は非常にマイナーでゆるい文系のサークルで、大学の敷地の端っこに最低予算で作られたプレハブの部室棟に出入りしていました。
普段からアルミサッシのたてつけが悪くて困っていたのですが、まあ笑い話で済んでいました。

その日ひとりきりで部室にいた私は、夕方になっても誰も顔を出さないので帰ろうとして、引き戸が開かないことに気付きました。
いつものやつだよ、少しガタガタやってれば開くよ、とたかをくくっていたのもつかの間。叩いても蹴っても開きません。
あたりが暗くなり、警備員さえも回ってこないので怖くなりました。

以前にもこっそり夜通しの飲み会などをして仲間と泊まったこともありましたが、それとはわけが違います。
トイレに行けないじゃないですか。

尿意の話ばかりで申し訳ないのですが私の経験では、
閉じ込められたとき最も恐ろしい問題は尿意です。

私はすでに屋上からの脱出を経験済みでしたので冷静に部屋を見回しました。
オッケー、ここには裏の窓があるじゃん。
部室棟は1階ですから窓枠を乗り越えるくらいは3階建ての屋上にくらべたら屁でもない。
…はずでした。

話は2日前に戻ります。
我々は薄い壁の極寒の部室で真冬を満喫するためにコタツを設置していました。
それだけでは飽き足らずコタツに入って鍋をしようと言い出す者がいて、どうせなら闇鍋をしようと提案する者がいました。そして救いがたいことに誰も反対しなかったのです。

参加条件は「食べることが可能な物をひとり一品用意すること」「最低でも一口は食べること」
私は常識人なので、穏便にゆで卵を持ってきましたが、
常識人は私だけでした。

納豆、カレー、チョコレート、のしイカ、その他もろもろ危険物が渾然一体となったおぞましい鍋ができあがり、一口食べると全員一致でおひらきとなりました。
最も極悪非道とされて恨みをかったのは大粒のガムを入れた人物でした。
あまりの不味さに怒り狂った先輩のひとりが窓を開け、嗚咽しながら草むらに向かってアルミ鍋を逆さにぶちまけました。
「闇鍋は闇に、カエサルのものはカエサルに!」
翌日は壮絶な臭いがして、周辺の健全なスポーツ系サークルから苦情が殺到しました。

その鍋のしみこんだ草むらに私はおずおずと降りて脱出を完了しました。
あとのことはご想像におまかせします。

みっつめの脱出は5歳のときに遡ります。
3歳年上の従兄の家に泊まりにいった私は、禁止されていた建築資材置き場で遊んでその従兄と共に大目玉をくらいました。
しばらく反省していなさいと物置に閉じ込められてしょんぼりしていると、従兄は積み上げられたダンボール箱をよじ登っていって高いところにある小窓を開け、
「ここから逃げられるんだ」と得意げに言い出しました。
どうやら脱出経験があるようです。

そこから逃げ出したあと私たちがどうしたかというと
また同じ資材置き場へ行って遊んだのです。
あたりはもう暗くなっていました。
怖くなかったといえば嘘になりますが、楽しくて我を忘れていたのです。
子供はみんな馬鹿な生き物です。

巨大な土管や石材のすき間などにもぐって思う存分楽しく危険を味わったあと私たちはご機嫌になり、のこのこと玄関から帰りました。
当然こっぴどく叱られ、「晩ごはんはこれだけで我慢しなさい」と味噌をまぶしただけの具のないおにぎりを出されました。
それがびっくりするほど美味しくて、にこにこ食べる私たちを見て大人たちは「喜ぶな!」とさらに怒りました。

脱出などしないで済むに越したことはありません。
たいていは黒歴史になってnoteのネタにする以外なんの役にも立ちません。
それでもあのときのおにぎりをもう一度味わえるならあと一回くらいやってみたいなと思うことがあります。




























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