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サドンデス 第一章第三話

第三話


 明宏は母と兄と姉達と、田んぼの 畔に腰を下ろし、握り飯と沢庵だけの昼飯を、大きな口で平らげる。
 日頃から忙ししないだの、落ち着きがないだの、明宏は家族から小言を食らっている。

 一族が食後の休息を取る中で、先に御神山の麓にある自分の田畑に戻って来た。
 動いていないと、尻の辺りがムズムズしてくる質なのだ。
 すると、苗を植えたばかりの田畑を見下ろすように、すらりとした少年が立っている。

 袖のない単衣の着物に、膝丈の半袴。

 遠目に見れば、百姓の小せがれのようでもあるのだが。
 歩幅を緩めた明宏は、ギョロ目を細くして凝視した。

 埃を被った総髪を、高々とくくり立てた元結に、明宏は最初に目がが行った。
 あんなに派手な黄色の紐を用いる者など、百姓ではない。

 明宏は踏み荒らされたでこぼこ道を、駆け出した。
 訳のわからない余所者に、手出しをされてなるものか。
 焦って走って近づくにつれ、我が目を疑う光景が、明宏を待ち受け、圧倒した。

 余所者は背中を向けている。
 頑丈そうな枝の先にウサギの首を縄で縛ってぶら下げる。そして明宏たちの田んぼの畦道に、ぶすりと深く突き立てた。

「てめえっ! 何やってんだ……っ!」

 叫んで明宏は走り出す。山麓に響いた怒号に反応し、おもむろに彼が振り向いた。
 齢の頃は十五、六。
 罵倒されても動じるような様子もなく、平然と明宏を眺めている。

「なんて事しやがる! こんなもの……っ」

 息せき切って駆けつけて、途切れ途切れに抗議した。そして、ウサギの死骸がぶら下げられた枝を畔から引き抜いて、面罵した。

「ここは御神山の御膝元だぞ、わかってんのか! こんな不浄で穢されたら、村が祟りに合っちまう!」

 明宏は枝ごとウサギをその場に投げつけた。と同時に、それでは土地が穢れると、慌てて枝を拾い上げ、おろおろしながら周囲を見回す。

「ここは、お前の畑なのか?」
「ああ、そうだ! そうだって言ってんだろうが、さっきから!」

 幸い昼飯時とあってなのか、周りに人はいなかった。
 明宏は気持ちが悪いと思いつつ、ウサギの死骸を枝ごと胸に抱き込んで、単衣の袖で隠し持つ。

「この山麓では民人が、獣の悪さに手を焼くと聞いている。お前のところは、どうなんだ」

 少年は、慌てる明宏に訊ねてきた。
 血糊や埃で汚れていても、間近で見れば目鼻立ちが涼やかな、眉目秀麗な顔立ちだ。

「……まあ、それは、そうだけど……」

 少年が落ち着き払っているせいか、拍子抜けして、明宏もうろんに返事をする。
 口のきき方からして百姓でも商人でもない。
 まるで、どこぞの殿様だ。

「お前のように祟りを恐れて、人が狩らずにいるからだ。これでは獣も人を舐めてかかるだろう」

 少年は肩を揺らして失笑した。
 そんな彼の足元には、獣の死骸をくくった枝が、他にも数本用意され、それらを全て山に面した畔へと深く突き入れる。

「見せしめで、獣に脅威を与えてやらねば、つけあがる。俺もまた山中で狩って狩って、狩りまくる」
「止めてくれ! これじゃあ、俺んところが殺生したと思われる!」

 この集落の守り神は、この山そのもの。
 殺生はもとより、女人禁制の戒めも、広く深く根づいている。
 そんな御神体の正面にあたる、東の畔に獣の躯を並べられたら、信心深い村民に、村八分どころか皆殺しにでもされかねない。
 
 明宏は絶叫に近い悲鳴を上げると、一歩前に踏み出した。
 急拵えの『見せしめ』を、取り除こうとしたのだが、胸の前にすっと腕を伸ばされた。
 遮る腕の持ち主を、思わず明宏は仰ぎ見た。

 目と目が合った瞬間に、身体が蝋燭のように固くなり、身じろぎひとつ出来なくなる。

 これこそ、まさしく龍眼だ。
 森閑とした静けさをたたえながらも、獰猛な圧を放っている。
 みぞおちが、ゾクリとするのを明宏は感じていた。
 呼吸が次第に荒くなり、男としての本能が疼いて血潮が騒ぎ出す。
 
 明宏が抗わなくなり、腕を下ろした少年は、山麓の杉に手綱を結わえた馬の前まで移動した。

「その馬は……」

 明宏は思わず呟いた。乗馬は武士の特権だ。
 毛並を整えられた、美馬の背には黒漆塗りに金箔で紋をすえた軍陣鞍 。
 あっけにとられる明弘に構わず、幹から綱を外した彼は、ひらりと飛び乗る。

「ならば、そなたがふれて歩け! 五十崎の気狂い息子が、こんな物を拵えた。勝手に除けば何をされるかわからない。だから放置するのだと!」

 馬上で不敵な笑みを浮かべ、将衛は手綱を引き絞る。
 前脚をあげて竿立ちになった馬に慄いて、明宏はしたたかに転倒した。

「……っ、痛ってえ!」

 尻の骨を固い地面に打ちつけて、七転八倒していると、馬は砂塵を撒き上げて、見る間に遠くなっていく。
 埃と砂でむせ返り、片手を顔の前で振る。
 咳も治まり、尻の痛みも引いた頃には、蹄の音も消えていた。

 それでも明宏は立ち上がろうとはしなかった。 
 消えた残像を追うように、無人になった道の果てだけ見つめ続ける。

 一体、今のは何だったのか。
 誰なのか。
 明宏は自分に問いかける。

 魔物でもあり、聖なる神のようでもあり、みすぼらしいのに華麗ですらある。

「……あれが、五十崎のキツネ憑き」

 自らの胸に刻み込もうとするように、あえて声に出して言う。
 まるで恋でもしたように。

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