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サドンデス 第一章第二話

第二話

 すわ、熊か。
 深作は身をひるがえして、腰の刀に手をかける。
 だが、立ち並ぶ杉の幹の間から、うっそうと茂る熊笹《くまざさ》や、野草を踏みしだきながら現れたのは少年だ。

 両袖を外した単衣の着物は、だらしなく肌け、肩口から出た長い腕は、擦り傷だらけになっている。
 右手には弓を持ち、弓筒を背中に斜めに背負っていた。

 深作は、総髪を高々と括《くく》った少年の、黄色の組み紐に目がいった。
 あの色艶は絹だろう。

 粗末な身なりにそぐわない、高価な絹の組み紐で、髪を結わえる少年がいるとするなら、ただ一人。
 その推測が事実なら。
 いや、推測ではなく事実だと、自身の中で言い換えた。一気に鼓動が逸り出し、喉が詰まったようになる。

「き、……貴様、ここをどこだと思っている!」

 棒立ちになる深作の傍らから、進み出たのは市松だ。
 山奥から林道に、一人で出て来た少年に、圧倒されていたものの、市松の罵声で奇妙な静寂が破られる。
 市松以外の側近も、深作を背にして庇い立ち、刀や槍を向け始める。

「御神体の山だろう? 百も承知だ」

 それがどうした。
 そう言わんばかりの横柄さだ。

 武装した男達など眼中にないかのように、キジから弓矢を引き抜くと、自分の単衣の腰縄にキジの首をくぐらせる。腰縄には、ウサギや雀も同じように括りつけられ、揺れていた。

「承知の上で殺生した、だと?」

 市松は忌々しげに語尾を跳ねあげ、少年に顔を近づけた。うさん臭げに上から下まで視線でなぞり、下から顔を覗き込む。

「小僧。……分別のつかない齢でもなかろうが? それとも頭が弱いのか?」
「よせ、市松!」

 深作は凄む市松を叱責した。

 大の大人に刀や槍を突きつけられても怯むでもなし。少年は刃先に一瞥をくれただけ。草履を履いた足の裏が、地面に吸いつくように揺るぎなく、背筋もピンと伸びている。
 かといって片肘を張った力みもなく、佇まいには気品すらある。

 袖を切った粗末な単衣も縄帯も、埃まみれで百姓の子のようではあるが、整いすぎて見えるほど、面立ちは少女の如く秀麗だ。
 すっと通った鼻筋や、朱をひいたような赤い唇。白い肌。切れ込んだような目尻と三白眼は、一種異様な色香を醸している。

「もしや五十崎将衛様では、ござりませぬか?」

 深作は問いかけながら林道の脇に退いて、地面に右の膝をつく。
 いかにもという、凛とした応えがあった瞬間、毛穴が一気に開いた気がした。

「某、土豪の深作平兵衛と、申しまする。この御神山を含め、一帯を取り仕切っておりまするが故、不審な者が荒らしているとの報を受け、参った次第にございまする」

 腹の底から声を張りつつ、冷たい汗が珠のように、胸や背中を伝い流れていくのを感じた。
 腰縄に、ウサギやキジの死骸をぶら下げ、異形の形をしていても、国主の跡継ぎ。
 
 土豪といえども、百姓に毛が生えた程度の身分では、面識を得られるはずもないのだが、刃を向けた咎は大きい。
 将衛の一存次第で全員が、首を跳ねられかねない状勢だ。
 深作は、側近達に刀と槍を収めさせ、地べたに額をつけさせた。
 そして、その先頭で平伏する。
 
 自分が早く気づいていたのなら、防げたはずの顛末に歯噛みをしながら沙汰を待つ。
 
 すると程なく「大義である」との労いが、頭の上から降ってきた。

 下々の者を尊大な態度で脅すでもなく、むしろ典雅な知性さえをも匂わせる。そんな威厳と風格がある。
 姿形を見なければ、国主の末頼もしい若君だ。
 
 何の咎めもないままで、深作達の伏した頭の前方で砂利を踏みしめ、背中を向けた将衛は、淡々とした足取りで遠ざかり、やがて気配を消し去った。

「……旦那、いったい誰なんですか? 今のは」

 と、市松に恐る恐る訊ねられ、土下座していた深作も、ふらつく頭を持ち上げた。上げると同時に空を仰ぎ、思わず肩で息を吐く。
         
「聞こえなかったか? 将衛様だ。大府城城主、博和公のご嫡男。みなも聞いているだろう。元服されたばかりだが、五十崎のキツネ憑きと評判の……」

 天空を仰ぎ見ながら諭して聞かせる深作が、言い切る前に側近達がざわめいた。

「将衛様?」
「今のが……? まさか」
「まったく、まさかだ……。馬鹿者め」
 
 馬鹿者と罵ったのは市松ではなく、深作が自身に向けたりの言葉だ。
 どうして一目見ただけで、気づけなかったのだろうと、呵責の念がこみあげる。

「あれが噂の狐憑き……」

 市松は渦中の人物、将衛に出会った驚きと畏怖と興奮の、すべてが混ざった声音で呟く。

 国主の嫡男、幼名紫学は、傅役の平井雅也の指南のもと、兵法、茶の湯などの学術にも芸事にも長け、励んでいたと聞いていた。

 朝夕は馬術。
 夏になれば川で泳いで体を鍛え、弓や鉄砲、鷹狩もこなし、武家の頭領としての研鑽を積んでいたとも言われている。

 それが、どうした訳か人が変わったようになり、先刻の身なりで領内に出没するから胆を冷やすと、巷で恐れられていた。

 そもそも国主の跡継ぎが従者の一人も伴わず、野歩きすること自体が既に、常軌を逸している。

「あれが、五十崎公のキツネ憑き……」

 深作は、林道の地べたであぐらを組み、低く唸って黙り込む。

 百姓の小せがれのような粗末な身形。
 擦り傷だらけの華奢な手足。
 御神体の聖なる山で、腰縄に獣の死骸をぶら下げながら歩くなど、正気の沙汰とは思えない。

 その反面、自分達を見据えた瞳は清しい輝きに満ちていた。決して狂人のそれではなく、むしろと考えあぐねていた。

サドンデス | 記事編集 | note


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