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センスとはなにか?問題について。

春用パンツを仕立ててもらうため、母親と生地を買いに行った。
うちの母親の趣味は、裁縫なのだ。
デニムやネル、帆布パステルカラーの無地やらチェック柄やら、色、柄、素材、実に多種多様な生地が並び、どれが自分に似合うのか、わからない。
好みの色や柄に目がとまるが、鏡の前であててみると、どうもピンと来ない。
加えて、肌触りがどうこう言い始めたら、全くもって選べず、最終的に母親に決めてもらった。
これまでも、自分で選んだ生地で上手くハマった試しがない。
スカートにしたものの、この生地、むしろシャツ向きだったんじゃない?
そんなことばかりで、つくづく自分にはオシャレのセンスがないのだと思う。

生地選びだけじゃない。
服を素敵にコーディネイトするセンスも、ないほうだと思う。
親しい仕事仲間で、上手に服や小物を着こなす子がいるが、そのセンスがない自分には、帽子やアクセサリーをワンポイントで身につけるとか、洒落た感じに重ね着をするとか、そういうことをしない人生を歩んできた。

お洒落が嫌いなわけじゃない。
自分に似合うお洒落なら大いにしたい。
が、この色と、あの色を組み合わせると素敵に見えるよね、みたいな勘が働かないのだ。

洋服好きで有名な元サッカー選手の中田英寿さんが、お洒落にこだわりについて訊かれたとき、こんなふうに答えていた。
「服選びでこだわっていることは、サイジング。
どんなにカッコいい服でも、自分の体型に合っていない限り、その良さは出ないからね」

確かに。
色や柄、デザインより、サイズが大事というのは、わかる気がする。
襟元がゆるゆるだと、カッコ悪いもんなぁ。
試着もせずに、買ってしまう私は、センスがないの典型だろう。

センスでいえば、私は絵や写真のセンスもない。
要は、美的センスがないのだ。
初詣に友達と行って、空がきれいだねと2人して写真を撮ったのに、どうみても同じ空を撮ったと思えない。
先日も、誕生日を祝ってもらったとき、ケーキの写真を撮ったのだけど、自分で撮ったものがあまりにも「ケーキ、どん、どん、どん」だったので、その場にいたYou Tubeチームメンバーの撮ってもらった。
比較すると、

これか、
これか、

さて、どちらが私が撮ったものか……
恥を偲んで並べてみたが、これほどに違うのだ。

noteを始めて以来、サムネイルのイメージ画像に毎回悩んでいる。
やはり、美的センスがないのか……
これは、ここ最近の私を悩ませる大きな問題になっていた。

そんなとき、こんな言葉に出会った。

「センスとは、圧倒的知識の量だ」

センスは生まれ持ったものだとばかりだと思っていたが、知識量、経験値の量の問題だったか!
これには衝撃を受けたし、同時に感動さえした。
ちなみに、先日受けたセミナー「T2S」で講師の高橋氏が語っていた言葉だ。

確かに、素敵な写真を撮る友人は、日々インスタにあげる写真を撮っている。
私が人生で撮ってきた写真の量と圧倒的に違うのだ。
幼なじみで絵の上手い子がいたけれど、彼は授業中も休み時間も、ノートの端にひたすら絵を描いていた。
私は人生で、どれだけ絵を描いてきただろう。

車の運転のセンス、整理整頓のセンス、トークのセンスに、笑いのセンス。
お笑い好きの友人のひとりは、笑いのセンスを磨きたいといって、ひたすら漫才やコントの文字起こしと真似をしていた。新聞を読んでいても、TVを観ていても、笑いのネタがあれば、手帳のメモをしていた。

料理のセンスもそうかも。
センスがある人は、何度も何度も作ってきた人だ。
たくさん学んで、経験して、
卵焼きは、マヨネーズを入れるとふんわりできるとか、
そういうコツや知識を膨大に蓄えてきた人だ。
もちろん、そこには、料理が「好き」というのも大きく影響しているとは思うけれど。

自分の場合、洋服選びにしてもなんにしても、「センスがない」の一言で片付けて、あれこれ試したことがない。
はじめから諦めて、はじめから敬遠して、
服に関する情報を得ようとか、知識を増やそうとか、そういう気持ちがなかった。これは、「センス」が育たなくて当然なのだ。

自撮りセンスもないのだけれど、単に自撮りの経験値が少ないだけなのだ!
そんなわけで、今更ながら、もう少し素敵な写真を撮ってみたいなと思い始めている今日このごろ。
これぞ!と思うオンラインのワークショップがあったので、申し込んでみた。
楽しみだなぁ!


ちなみに、トップのイメージ写真は、私が撮ったもの(苦笑)。
ケーキの素敵な写真は、photo by 原 国広。
私と、韓流エンタメナビゲーター、田代親世さんがやっているYou Tubeチャンネル「ちかちゃんねる☆韓流本舗」のディレクター兼編集担当さんです♡





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