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「RE」こそカッコいいのかもしれない説。

うちの母親は裁縫の仕事をしている。
バッグや小物入れなど、新しいアイデアが浮かぶと、喜々として製図し、出来上がったものを何度も改良するなど、楽しそうにやっている。
そんな母親が苦手とするものが、「リメイク」だ。
まっさらな生地を裁断して、ゼロから新しいものを生み出すのは、失敗を含めて面白いらしい。が、すでに出来上がっている服や小物をもとに「リメイク」するのは、母曰く「面倒くさい」そうだ。
そう、「RE」って、意外に厄介なものだと思う。

古びれた旅館を「リノベーション」して再興させた!といったドキュメンタリーを観たことがあるけれど、最初に手掛けた人の思いやクセが入ったものを、いい部分は活用して、新しく生まれ変わらせるって、なかなかにテクニックがいるものだ。

誰かが途中まで作ったものを引き継いで、「再」スタートさせることも面倒だ。最初から自分でやりたかった! そんなふうに思ってしまう。

誰かのあとを引き継ぐ「RE」はもちろん、自分自身の「RE」も、思っている以上に難しいことだなと思う。
例えば、長年築き上げた仕事を、出産や何らかの理由でしばらくお休みしたあとの復職。せっかく慣れてきたコミュニティ活動を何らかの理由で何回か出られなくなってしまい、久々に再開するとき。初めてのとき以上に、緊張するし、なんごなく居心地が悪い。
私も好んで参加していたコミュニティがあるのだけれど、忙しさにかまけて出られなくなって久しい。もう一度再開したいと思いつつ、一歩踏み出せていないのは、すでにその場の空気や人間関係ができあがってしまっているところに踏み込む勇気がないためだと思う。

それで思い出したのが、『ロマンスは別冊付録』という韓国ドラマだ。
主人公は、有名大学を卒業した後、大手広告会社に就職、売れっ子コピーライターとして活躍するも、結婚・出産により家庭に入り、仕事人としては10年以上のブランクがある。
そんな彼女が、離婚を機に再び社会復帰をめざす物語だ。
どんなに有能な彼女でも、それは昔の話。業界は大きく変わっており、トレンドも知らなければ、仕事で使うツールもわからない。
新しく何かを始めるときの勇気と、再びスタートさせる勇気は、大きく違うことをこのドラマを観ていて痛感した。
そして、実はこの「RE」のほうが難易度が高い気がしている。
なぜなら、かつての「私自身のやり方」や「私自身の立ち位置」は、そのままでは使えないためだ。プライドが顔を出してきたり、こだわりが茶々を入れてきたり、かつての自分が「RE」をややこしくしてしまうのだ。

そんなわけで、いま久々にnoteを書いている。
毎日続けてきたnoteを11日間、お休みした。
仕事が佳境だったためなのだけれど、再開は、最初に始めたときより、少しだけ勇気とエネルギーが必要だった。
書き方を忘れちゃったかもしれない、前のように書きたいことが浮かばないかもしれない、ネガティブなことばかり思い浮かぶ。
ある程度、自分のスタイルができていたときに、お休みしてしまったものだから、勢いが止まってしまった気もした。
でも……これ、たぶん「やってみる」のがいいんだと思う。たとえ自分が思うように書けなくても。

何かを新しく始めること、新しい場所に飛び込むこと、新しく何かを生み出すことは、なんとなくカッコいい。
だから、勇気は必要だけれど、それをめざしたくなる。
でも、それに比べて「RE」は、少しだけ落ちる気がする。そんなことはないんだけど。
リフォームもリメイクも、土台があるぶん簡単に見えるかもしれない。が、ドラマや映画のリメイクを観ていると痛感する。新しく生まれ変わらせるって、難しいことだし、優れた技術と知識が要ることだ。

noteをリスタートするにあたって、新しく生み出すことばかりに気を取られて、「RE」の重要性を忘れていないか、とちょっと思ったりした。
新しく始めて、途中で中断して、そのままというケースって多いと思う。
新しく始めて、途中で中断して、でもまた「RE」できる人こそがカッコいいんじゃやないかなと。

ちなみに、占いで運気を見る場合、「新しく始める」運気より、「再び挑戦する」運気のほうが困難が多く、これを乗り越えた人こそが本当の成功をつかむ、とされている。
途中でやめちゃってること、「RE」してみることに、ときにはエネルギーを注ぎたいなぁ。


というわけで、note、再開しました。




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