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私の頭の中の消しゴムじゃないもの。

子どもの頃、頭のなかで考えていることは、皮膚を通じて触れた相手に伝わると思っていた。
体と体がずっとくっついたままだと、余計な考えが伝わってしまう。特に眠っているときは用心だ。母親や妹とくっついて寝てしまうと、夢が移ってしまうと思い、用心していた時期がある。
なぜそんなふうに思ったんだろう。

プールの排水溝の奥には、カッパの親子が住んでいて、近づくと足を引っ張られると思い、絶対に近づかなかった。
おばあちゃんの家の天井に、人の顔の形をしたシミがあって、目があったら飲み込まれると思っていた。
子どもの想像力は、はかりしれない。

そういえば、うちの妹は、赤茶色のたまごを「ニワトリが産んだから」という理由で決して食べようとしなかった。
白いたまごも同じくニワトリが産んだものなのだけれど、幼い彼女にとって、白いたまごは白いたまごとして世に発生したもので、赤茶色のたまごだけがニワトリが産み落としたたまごだったのだ。

ちなみに、うちの姪っ子は、東日本大震災で津波の映像を見て以来、魚の形をしたものが食べられなくなった。(いまはたぶん切り身なら大丈夫)
浜辺にうちあげられた魚が思い浮かんで、恐怖がよぎるようだ。

話は飛んで。
友だちでホラー好きの子がいる。なぜ彼女はホラーが好きなのかという話になり、「音」じゃないかと仮説をたてた。
ホラー映画で、なにが怖いかといえば、「見えない」ことと「音だけが聞こえる」ことだ。音だけで、そこにある見えないものの姿や真実を脳が判断し、勝手に怯える。もう音だけで怖い。彼女は耳がいいから、その研ぎ澄まされた音に反応してしまうのではないか。

ホラーに限らない。
目に見えなくても、音だけで感じる世界がある。
匂いだけで、思い出やイメージが浮かぶことがある。
見えているものでも、その背景を想像してしまう。
人の頭のなかは、いったいどうなっているんだろう。
なにかとなにかを結びつけて、イメージを作り上げるのだから。

にしても、人って思った以上に怖いことを想像できる。
むしろ怖いことのほうが想像できる。
防衛本能だろうか。怖い想像はいくらでも膨らむ。

怖いだけでもない。
メールや電話だけで長年やりとりをしている人がいる。
顔を見たことはないけれど、声や文章からこんな人だろうと勝手にイメージができあがっている。怖いイメージを抱くこともあるけれど、いいイメージを抱くことも多い。
実際会ったときに「思ったより若かった」とか、「思ったより大きかった」とか、イメージとのズレに驚くのだけど、よくぞこれまで勝手に想像できていたなと思う。
見えないものを勝手に映像として思い描く、知らないものにストーリーを思い浮かべる、あの想像力って、すごいなと思う。

『私の頭の中の消しゴム』という大ヒット映画があったけれど、このタイトルは見事だなと思う。
頭の中には鉛筆と消しゴムがあって、書いたり消したりを繰り返しているもの。消えていく記憶の話ではあるけれど、記憶を含めて、頭のなかって、ほんとうにいろんなものが思い描いているものだ。

想像力って、誰もが思った以上に持っているものだなと思う。
脳内で生まれたイメージって、面白くもあり、怖くもあり。
想像力が世界を広げることも、狭めることもあり。
イメージはイメージ。たかがイメージ、されどイメージ。
イメージしたものに引っ張られがちだけれども、がらりとイメージが塗り替えられることもあるから、想像の世界はおもしろがって、楽しんだものがちかもしれないなぁ。


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