「行くな」の衝撃。受け入れは一方通行でなく。
韓国ドラマを観るようになって20年になるけれど、もっともインパクトがあったセリフは、ダントツで「行くな」だ。
2人の男たちがヒロインをめぐり火花を散らすスリリングなそのドラマで、一方の男とともに去ろうとしたヒロインに、もう一方の男が叫ぶように言い放ったのだ。
「行くな」と。
行くな、行かないで、行かないでほしい、行かないでくれるとうれしい、行くんだ、行くなら行くでかまわないよ、行きたいのであればそうしなよ……。
状況や相手の事情をかえりみて、行かれるのは嫌でも、「行くな」を飲み込んでしまいがちな自分としては、衝撃だった。そして、ときめいた。
それ、抑え込まず、言えちゃえるんだ……と。
先日、従姉と話していて、「嫌だ」と言えない問題で喧々諤々した。
やりたいことを応援してくれる人がいるのだけれど、その人が望むやり方を、彼女的には受け入れられないらしい。
でも、受け入れられないということを、どうしても言えない。
行かないでほしいのに、「行きたいならそうしたらいいよ」と言ってしまう私と相違ない。
相手のことを理解して受け入れようと頑張ってしまうのだ。いい人でいたいので。なにより、受け入れる姿勢が大事だと思っているので。
が、そうなのかな……とも思う。
そんなことを考えているなか、こんなセリフに出会った。
「俺はおまえにお願いがある。
もう我慢したり、人に譲ったりしないでほしい。
おまえは何でも理解して、受け入れようとしすぎだ」
Netflixで配信中のドラマ『ドクタースランプ』で、主人公のジョンウ(パク・ヒョンシク)が、うつ病で苦しむヒロイン、ハヌル(パク・シネ)に語る言葉だ。
うつ病でないにしても、ハヌルのように言葉を飲み込んだり、人に譲ったり、我慢することは日常多々あると思う。
従姉もそうだ。私もそうだ。
たとえば、うちの母親の行動で、ずっと我慢して受け入れていることがある。
塩を掴んだ手で、そのままマヨネーズの容器に触らないでほしい、ということだ。
マヨネーズを使おうとするとき、ざらざらを感じるたび、黙って洗っているのだけれど、これがどうしても言えない。
「また、神経質なことを」と言われるだろうと思って、いろいろと大雑把な母親を理解しようとする。
料理をしていると、つい手を拭くのが面倒で、そのまま触っちゃうんだろう。そんなふうに理解して受け入れようとする。
でも、受け入れたはずなのに、毎回ムッとしてしまうのだ。
そんなことを?と言われそうだけれど、実際これがもっとも我慢していることなのだから仕方がない。
なんだか話が愚痴のようになってきたけれど。
そんな些細なことでも、相手を理解しようと日々努力している。
だからこその「行くな」が衝撃だったのだ。
そんななかでの、ジョンウの言葉である。
相手を、周囲の人たちを理解しようとすることは、きっと悪いことじゃない。
でも、自分だけが受け入れて終わりだと、一方通行だ。
相手を理解して受け入れたら、自分のことをわかってもらう努力もしないと、一方だけが抱え込む形になる。
コミュニケーションは、相互フォローで成り立つものだもの。
理解したら、理解してもらわないと。
この「理解してもらう」努力が、私たちは足りていないんじゃないか……。
マヨネーズ問題は、いまここで打ち明けた。
あとは母親がこれを読んでくれることを祈ろう。
きっと彼女にも私に言いたいけど、飲み込んでいることがあるはずだ。
というわけで、最後に、今日のテーマとずれるかもしれないけれど、Xで見かけて、今の気持ちにカチッと来たので、あげておきたい。
「行かないで」も、そのときに言わないとね。
ちなみに、衝撃の「行くな」は、『バリでの出来事』という名作に出てくるジェミン(チョ・インソン)のセリフです。はい。
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