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軽トラの助手席は、私の特等席だった

 私がまだ小さい子どもだったころの話。うちは自営業だったので、家に帰るといつも両親がいた。私の小さい頃の楽しみのひとつは、父の配達についていくことだった。幼稚園から帰ると、父の軽トラの助手席に座り、父の配達のお供をしていた。一般家庭から、喫茶店、スナック、いろいろなところをまわっていた。

 父は、時折配達先の喫茶店でクリームソーダを食べさせてくれた。

「お姉ちゃんたちには内緒な。」 

 そう言って笑う父の横で、カウンター席に並んで座り、私はクリームソーダを食べた。緑色のソーダと白いアイスクリーム。アイスクリームの縁についた、ソーダとアイスクリームの混ざったシャリシャリのところが好きだった。ズズズ、と音をたてながら、ストローで最後まで飲み切った。


 
 軽トラの助手席は、私の特等席だった。山の方から海の方まで、父と走った。父はキビキビとよく動き、テキパキと仕事をこなしていた。

 山に行った時は、アケビの実を見つけてとってくれたこともあった。父のとってくれたアケビは、ぬるくて、ほのかに甘かった。種がたくさんあって、食べるのが大変だった。とりたてておいしいというものではなかったけれど、うれしかった。
 道の端に、母の好きな花が咲いていると、路肩に車を停めて摘んできて、

「お母さんの好きな花があった。おみやげができた。」

と、子どものように嬉しそうに笑った。


 海に行った時は、磯の近くで車を停めて、潮溜りに連れて行ってくれた。イソギンチャクや、小さな魚たちがいて、見ていて飽きなかった。


 私の小さい頃は、驚きと発見に溢れていた。父は、私に色々と体験させてくれた。配達の合間、私に色々なものを見せてくれた。家でも、よく飛ぶ紙ヒコーキの作り方、コマの回し方、竹馬の乗り方、逆上がりのしかた、カラフルなミノムシの作り方など、たくさんのことを教えてくれた。

 両親は仕事が忙しく、家族そろって外食をしたことは一度きりだ。しかも、うどん。家族で旅行に行ったこともない。小さい頃は、それを不満に思っていた。家族みんなでご飯を食べに行きたかったし、家族で旅行に行ってみたかった。
 けれど、大きくなって、私の育った環境がどれほど贅沢だったのか、私は理解した。家に帰れば両親がいて、働く姿を見ながら大きくなった。いかにしあわせなことだったか、今ならわかる。両親に心からありがとうと言いたい。言葉にしないと伝わらないこともある。父はもういないけれど、母だけにでも、父との思い出話とともに、機会をみて話してみたい。改まって話をするのは、とても照れるけれど…。

「お母さん、ありがとね。」

まずは最初の一言から。

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