見出し画像

落としたキャンディを拾う⑪

こうしてつらつらと書いてきたのは、これまでの、異性と自分に関係するエピソード。
とても恋愛といえたもんじゃない。
むしろ、異性と向き合うことから逃げてきた話しかない。

あまりにも臆病で、ただただ自分を好いてくれる人を求めるばかりだった。

自分が相手をどんな風に好きで、それを伝えようなんて思いもよらず。
自分の気持ちなんて、かえって迷惑と。
今ちょっとびっくりしてる。悲しい。

女友達にはたくさん言えるんだけど。

私にとっての精一杯は、一緒にいる時間にたくさん笑ってもらえる会話をすること。
一緒にいたら楽しいから好いて!って思ってもらおうとして。(芸人魂)

20代も暮れに迫り、急に参加しだしたある日の合コンは、弁護士や税理士や、そんなメンバーが揃う合コン。
私は1人の無口な弁護士をしゃべらせるのに一生懸命だった。
好意などないのに。

その人は次第に笑顔で自分のことを話し出した。内容は覚えてない。
次の日、また会いたいと言われたけど、とても疲れたので遠慮した。

私は沈黙が苦手なのだ。
沈黙になる=退屈 と定義してしまっていた。
そして沈黙になるのを自分のせいにしてしまう。
相手にも悪くて、そんなことにならないことだけを大事にしていた。

静かでも、無口な時間も穏やかに過ごせる感覚を知れればよかった。

そんな中、旦那はオーバーなくらい笑い、会話のキャッチボールも維持できた。
占い(好きだった人に関係あるよ=好きだった人の後輩、私が28歳で出会うよ)にも当てはまったから、もうこの人だろうと決めてしまった。

逃したら婚期42歳だし。(これも占い)

28歳、やっと付き合うということを経験した。
何もかも、5歳年下のこの人に教わって、体温の温かさも、キスの心地よさも知ることができた。
新しい家族はきっと、温度ある、ごく当たり前の家族になると思っていた。望んでしまった。

ーいつか書く。
案外よくある話かもしれないけど、私にとっては人生において多くが崩れ落ちていった話。

だから、もう愛することなどずいぶん前にやめた。子どもへも、愛することに苦労した。
(でも、今子どもは愛しい。愛しかたに戸惑う時もあるけれども)

死んでも、ほんとに今死んでも、何も後悔はない。それくらい頑張ったと思ってる。

何度も死のうとした。子どもだって、代わりに育ててくれる場所があるし。それ以上は考えれなくなって、今もどこかでうっすらそう思ってる。

さて、今回抱いた恋心はいったいどんなものなのか?

どす黒い色の、落ち込む味のキャンディは一旦土に埋めて。

夢見心地で考えてみる。
今度会えるはずの1週間後までに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?