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星よ知るなら、こちらまで (愛がH2OとO2ならば…)

愛に触れたとき、温度を感じる、と思っている。
相手の気持ちに触れて、自分の心が発するあたたかさ…

はっ!これは…
酸素や水と触れたなら、鉄が発熱する…
ホッカイロ。
 冷たい心があたたまる。
  私の体もあたたまる(CMになる…?)
使い捨てではないけれど。

親が子どもを愛すること。
親になり、どんなことがそれになるのか、わかった気がしたり、しなかったり。

私とじゃれあって大笑いしてる我が子を見ながら「こういう瞬間はこの子、愛を感じるかな?」心が冷静に問う。

自分があまりそういうことされなかったからかな?
楽しいからやっちゃえー!というか、こうしたら笑ってくれるしうれしく思ってくれるかな?と試すようにやっている。

うれしそうに笑ってくれる我が子を見て、泣いてしまいそうになる。

建前だけで育てられたら。
建前だけで「大事だ」と言われても。
本心を察してしまって、心は温度を感じない。

小さい頃は貧しいながら、わが家が大好きだった。(戦前に建てられて、親戚から借りていた。お化け屋敷に住んでるのって言ってたくらい古い笑)

私が3歳辺りの頃に両親が離婚したわが家では、母1人で2人の姉妹を育てることになった。
とてつもなく大変な苦労があっただろう。

母は自分の好きなことも、それが何なのかを考えることも、もうわからないことが当たり前だっただろう。
特にお金がないこと。とにかく母の関心はお金。当たり前のこと。

離婚するということは、何かしら心に傷も負っていて、それを誰かに手当てしてほしいと願っうこともあったかもしれない。
でも現実、そんなことを確信すれば気持ちは崩れ落ちていく。
後ろや下や周りを見ずに、まっすぐ前だけ向いてないと保てない。

子どもを愛するには、自分だって大事にされたいよね。

今はそんなことを考えたりもするけど、子どもの私は母の愛や関心が欲しくて欲しくて仕方なかった。
それが悲しくて、今も胸が苦しいアダチルだ。

愛されたいと同時に、母がかわいそうで、かわいそうに見えて、わたしが笑わせてあげなきゃ、何か楽しいことをしてあげなきゃと、無意識に念じていた。
そうしたらたぶん、自分を好きになってくれる、と思っていたからかな。

母は、夕方5時から飲み屋で働いていたものだから、朝学校へ行き帰ったら間もなく化粧をして出かける。夜ご飯はいつもおいしくて、手紙をつけて作っておいてくれた。
揚げ物もも茶碗蒸しも、一から作る。
あの頃はレンジもなくて、惣菜は高いし、それしかなかったかもしれない。

母がいない姉との食事はテレビがあれば全然寂しくない。そして、お風呂もなくて銭湯に行かなきゃないし、自分達ですることが多いから、時間も過ぎていく。

ねえ、どうして?
こんなにしてもらって、充分生活できたのに、どうして悲しくなったんだろう。

時々お腹が痛くなった。けっこう、痛くなる。
幼稚園でも痛くなって「薬飲むの~!」と職員室で床を這ったり、母が働く店へ電話したり。

母は「お金がもらえなくなるんだから帰れないの!しょうがないでしょ!」と言う。
昭和あるある?
私はこのしょうがないことをよくわかっていた。だから、傷ついたりなんかしない。母は必死だから。

私が母に寂しさを感じたこと。
「褒めてほしいこと」に全く関心をもたなかったこと。

100点のテストは見せてもいつもゴミ箱へポイ。
書道のメダルも見てくれず「…ふうん」

初めて部活のユニフォーム、持ち帰ったときはほんとにうれしくて、これは一緒に喜んでくれるかなと思ったんだけど…。
このときばかりは「ねえ、なんで褒めてくれないの?」と聞いてみた。
そしたら、「別に何も思わないから」と少し微笑みながら話した。

よく聞かされたこと。
「男の子が欲しかったのに」
父方の義父は、女とわかると1度も会わず抱っこもしなかったんだって。

昭和あるある?

私は小学校も終わる頃から、自分は女らしくしない方がいい、と思い込むことを始めた。




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