フリーズドライドコーヒーアンドミー
「今日は明日の昨日だから、だから怖くて仕方がないのです」
彼女は、いつも致死量の青酸カリが入った小さな筒状のガラス容器を首からぶら下げていた。
それは一見、洒落たペンダントにも見えたから、まさか誰もそんな物騒なものを彼女が身につけているなんて思いもしなかっだろう。
そして、彼女は、さりげなく任務を遂行するサイレントキラーやゼロゼロクノイチ
の類でもなかった。
その死に至る劇薬は他の誰のためのものでもなくて、紛れもなく彼女自身のためのものだったからだ。
「いよいよ完全に悪魔に自分の心を支配されそうになったら、その直前に、これを飲むつもりなの」
冬のとても寒い日だった。
薄暗い照明のカフェの中で、唐突にそんな告白をされた僕は、暗がりの中にぼんやりと浮かび上がる彼女の顔を見つめながら、初めて、彼女のことを美しいと思った。
そして、そんな自分のことを、とても不謹慎で薄情なヤツだと呆れてもいた。
「バラの茂みの方から、ありがとう、と言われるなんて思ってもみなかったわ」
頬を突き刺すような冷たい風が吹き荒ぶ中、はにかむような表情を浮かべながら、彼女はそう僕に語りかけた。
しかし、寒さに凍えた僕は、ただ眉間に皺を寄せてその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
今こそ僕は彼女を抱きしめるべきだ、と思いながら。
「僕は君のことが好きだよ、あの告白のときからずっとね」
今更ながら、どうして僕は、彼女にあの一言を言えなかったのだろう、とふと思うことがある。
いや、正直に言うと、今だって言える自信があるかと言えば、甚だ怪しいけれど。
知らない間に、ずいぶん美味しくなったフリーズドライドコーヒーを先日、買ったお気に入りのマグカップで飲むのが最近の僕のモーニングルーティンだ。
そして、今朝も濃いめに入れたコーヒーを口に含みながら、僕は思いきり苦虫を噛み潰す。
そして、その苦虫とはもちろん僕自身のことである。
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