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永遠のチョコレートバーとボク

考える練習をしよう。

ここに一枚のチョコレートバーがある

まずそれを慎重に均等に二等分にする

次にその二等分されたひとつをさらに二等分にする

そして、その二等分の二等分の一をさらに二等分にする

このやり方をひたすら繰り返せば、チョコレートバーは永遠になくならない

そう、理論的には、ね。

なるほど、永遠のチョコレートバーか…。

翻って僕の永遠って何だろう?

引きこもりという言葉がまだこの世界に存在しなかった時代に、先駆けて引きこもりだった高校2年の僕はわずか三畳一間の自室のベッドの上で仰向けに寝転びながら、そんなことをぼんやり考えていた。

そして、それから30年以上が経過した今、僕は自分に向かって改めてこう問いかける。

さあ、久しぶりに考える練習をしてみよう。

ここにひとりのしがない小太りの中年男がいる

まず彼はなんとなく感じの良さそうな人と出会い、仲良くなる

気づいたら、二人にはたくさんのかけがえのない思い出ができていた

次に、彼はその人と別れて、また別のなんだかウマが合いそうな人と知り合い、仲良くなる

今回も気づいたら、二人には思い出すと思わず吹き出すような思い出がたくさんできていた

そして、彼はまたその人とも別れて、他の面白そうなヤツと出会って、またまた仲良くなる

ふと目を瞑ると思わず眼球の表面がジワって湿るような切なくも美しいあのときの景色が蘇えってくる

そして、そんな出会いと別れを繰り返している間に、ぼんやりとながらも彼は大事な真実に辿り着く

そんなふうに出会ったかけがえのない人たちの心の中には、たとえ別れてもう二度と会えなくなったとしても、ボクというチョコレートバーのカケラはずっと残り続けているだろうという真実に

そして、その人たちの心に残ったボクのカケラは、何等分かされて、さらにその人たちの大切な人たちにも分け与えられる

同じように、その大切な人たちにとっての大切な人たちにもどんどん大きさは小さくはなるけれど、きっとボクのカケラは渡されていくのだろう

この理屈が成り立つとすれば、たとえいつの日かボクの肉体が消滅したとしても、ボクは永遠にみんなの心の中に生き続けることになる。

そんなふうに考えると、自然と、これから出会うすべての人たちに対して、できるだけ親切に、そして、出来る限り礼儀正しく振る舞おうと思えるから不思議だ。

そして、その中でも、この人素敵だなあ、とか、カッコいいなあ、できれば仲良くなりたいなあ、と思った人たちに対しては、ちゃんとそんな自分の気持ちを伝えて、それと一緒にとびきりの笑顔をプレゼントしたいっていう風にも思っている。

まあ、ボクは別に何もあの星野鉄郎みたいに永遠の命が欲しいわけじゃないんだけどね。

そして、実はこれは何もボクだけに限った話でもなくて、これまでボクにたくさんのかけがえのないキラキラとした思い出を与えてくれた人たちのカケラもまた、もう会えなくなった今でもちゃんとボクの中に残っていて、じんわりとボクのハートを温め続けてくれていることにだってちゃんと気づいている。

あの斬新すぎる見た目のホワイト餃子をカウンターで横並びになって食べた昔の会社の後輩も含めてね。

だから、もうこれ以上、誰もさみしがる必要なんてどこにもないのかもしれない。

だって、ボクはキミのそばに、キミはボクのそばにい続けているのだから。

そう、いつだって

そして、

永遠に、ね。

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