見出し画像

N先生のおもひで

(これは、僕がまだ前の会社に勤めていたころのお話です・・・。)

200X年 初夏

その日、僕は生まれて初めて福岡市を訪れた。

残念ながらsight seeing(観光)ではなく、あくまでon business(お仕事)で・・。

しかも、某大学の薬学部の教授、兼附属病院の薬剤部長というとても偉い人=N先生に、あるお願いをするために。

「大学病院の薬剤部長はえげつない人が多いから、くれぐれも粗相がないように気をつけなよ・・。」

という元MRの上司からのありがたいアドバイスもあり、緊張し過ぎて約束の時間から1時間ほど早めに大学に到着した僕は、だだっ広いキャンパスをまるで夢遊病者のようにふらふらとさまよっていた。

しかし、人気が少なく、ぴかぴかだけど、ただまっ白いだけで面白みのかけらもない殺風景な校舎の廊下や壁の様子を眺めているうちに、それとよく似た見た目の自分の母校のことを思い出して、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。

そして、いよいよ先生との約束の時間

「失礼いたします!」

と僕は意を決して、N先生のいる大きな茶色の教授室の扉を開けた。

しかし、結論から言うと、それまでの僕の緊張や不安は全くの杞憂に終わってしまった。

本当に僕の想像とは全く異なり、N先生は薬学の知識のカケラもない単なる消費財メーカーのいち営業マンに過ぎない僕に対しても、決して偉ぶることも横柄な態度をとることもなく、終始気さくにフラットに接してくれて、僕からのお願い事も二つ返事でOKしてくれたのだ。

その後も依頼した仕事の進捗状況の確認のためにN先生の元を何度か訪れたのだけど、今ではすっかり肝心の仕事の話は忘れてしまっていて(もちろんちゃんと仕事はしていたのだけどね)、いつだって思い出すのは、饒舌なN先生から語られる彼の身の上話(エピソードトーク)ばかりだったりする。

というわけで、ここではそのうちのいくつかを紹介したいと思う。

N先生は福岡市H区の商店街にある薬局の長男として生まれた。

僕らのHっ子に対するイメージの通り、その商店街の人たちは大のお祭り好きで、彼の父を初めとする男たちは祭りの季節になると途端にソワソワしは始めて、肝心の仕事もうわの空になるので、亭主関白な九州男児のイメージとは裏腹に、実はみんな奥さんにはからっきし頭が上がらなかったらしい。

実際、お祭りの準備期間は奥さんがずっと店の留守を預かってたし、お祭り当日も奥さん総出で、晴れ舞台に立つ男たちのために大量のおにぎりを作ってくれたそうだ。

そんな昔ながらの庶民的な町の薬局の跡取り息子だったN青年は、家業を引き継ぐ代わりに、新薬を開発する研究者の道を目指すことを決意する。

彼にそう決意させたのは、学生時代に大好きだった父を若くしてガンで亡くしてしまったからだった。

「(父を死なせた)ガンの特効薬を開発する!」

その夢を叶えるために、日々、昼夜問わず研究に励み実績を積み重ねていったN先生は、その努力が認められて若くしてあの名門I大学への海外留学を果たし、帰国後も学内で順調に出世を重ねていった。

しかし、学部長選挙に何度か敗れたN先生は、薬剤部長という肩書はあるものの、僕が会った頃には、エネルギー溢れる現役研究者というよりは、ちょっと窓際族っぽい寂しい雰囲気を醸し出していた。もはや限られた研究費では、彼が長年温めていた新薬のアイデアを具現化する目途もなさそうだった。

あと、そんな仕事にまつわる話とは別にN先生が話してくれたことで僕が鮮明に覚えているのは、一緒に暮らしている先生の娘さんのことだった。

若くして奥さんを亡くしたN先生と娘さんはずっと父娘水入らずの二人暮らしだった。

現在、その娘さんは、地元福岡のテレビ局に勤めているとのことだった。でも、やはり超激務なギョーカイだから、毎日昼夜逆転するような生活を続けていて、気づいたら独身のまま30代も半ばを過ぎていた娘さんのことをN先生はとても気にかけていた。でも、最近はすれ違いが多くて、昔みたいに気軽に話しかけることも出来なくなってしまっていて、

「こんなとき家内だったら、なんて声をかけてたんだろうな・・・。」

とさみしそうにぽつりと呟いていたN先生の横顔がいまだに忘れられない。

こんな風に書くと、出世争いにも負けて、自分の長年の夢も叶えられず、唯一の家族である一人娘にもシカトされる、ちょっと情けなくてダメな人のように思われるかもしれない。

ちなみに、見た目も昔はとても恰幅が良かったという話だったけど、その後、糖尿病を患ってしまったN先生は、僕が会った頃には、上背はあったけれどガリガリに痩せてまるでガイコツみたいな風貌のおじいさんだったしね。

けど、N先生に対して僕は一度もダメな人ともキン骨マンとも死神博士とも思ったことはなかった。

むしろ、N先生と会うたびに僕はいつも勝手に励まされていた。

だって、

どんなに歳を取っても、たとえ病気を患って体が不自由になっても、世間から何度も痛い目にあっても、そして、もしかしたらもう叶わない夢だってことに自分自身が気付いてしまっていたとしても、人は永遠に夢を見続けられる生き物なのだ

という大事なことを僕はそんなN先生から教わったからだ。

まぁそれも今になってそう思えるようになったという話であり、当時の僕は理由などよく分からないままN先生のことがただ好きなだけだったのだけど。

そして、その事実を証明する一枚の写真が今も僕の手元に残っている。

その写真はN先生行きつけのN洲のバーのマスターがこっそり隠し撮りしていたもので、そこには、カウンターに横並びに座った僕ら二人が本当に楽しそうに「ガハハ・・!」と笑い合っている姿が映っていた。

そして、あっという間に、初めて二人が出会ってから2年の時が経過した。

N先生は約束通り僕が依頼した仕事を完璧にこなして、その成果物を期限前にきちんと提出してくれた(彼にしてみればきっとこんな仕事、お茶の子さいさいだったのかもしれない)

そして、その日以来、僕はN先生とは一度もお会いしていない(その後、ほどなくして僕が転職してしまったこともあって・・)。

だから、N先生のあの夢の行く末を僕は知らないままである。

しかし、そんな僕が一言だけ自信を持って言えるのは、あのときのN先生の仕事のおかげで、それまで日本には存在しなかったある新しい商品ジャンルがまさに飛ぶ鳥を落とす勢いで瞬く間に世間に普及していったという厳然たる事実があるということだ(もちろんその商品は今だに健在である)。

無論、そんなことN先生が望んでいたわけじゃなかったけれど、その事実こそが、そのある種の人生のままならなさこそが、人間の面白さだし、可能性だと僕は確信している。

だから、これからも僕は決して自分の夢を諦めることはないだろう。

何故なら、ずっと諦めずに夢を追い続けた人間は、

どんな形であれ、

世界を変えることができる

という事実もまた

N先生が僕に身を持って教えてくれたことだからだ。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?