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夢見るサナギマン

「僕は、希望をひとりの成功者に見るのではなく、無数の失敗者が生き続けているこの現実にこそ見出す。」

今朝、通勤中の千代田線の車内で、こんなフレーズがふと思い浮かんだのは、もちろん僕が成功者じゃないからなのは間違いない。

ただ、かといって自分が失敗者かというと、あくまで世間的に見たらそうなんだろうなぁ、というくらいで、実際に自分のことを失敗者だと思っているわけでもない。

そもそも成功も失敗もどちらも結果なのだから、僕みたいにまだ結果までたどり着いてなくて結果を出すためのプロセスを生きているという感覚の人間にとっては成功と失敗というのは割とどうでもいい仕分け作業だと思っている。

以上を踏まえて、冒頭のフレーズをより正確に書くとすれば、

「僕は、希望をひとりの成功者だと思っている人に対してではなく、無数の失敗者だと思われている人々が生きているこの現実にこそ見出す。」

になるのかもしれない。

それはともかく・・。

話は突然変わるけど、そう言えば、3年くらい前に、日曜の朝、息子と二人、布団にくるまりながらなかなか出ずにだらだらと過ごしていたときに、彼から

「お父さんは今、ようやくサナギになったところだよ。」

と言われて、

「確かにそうかもしれないな・・。」

と妙に納得したことをふと思い出した。

というのもサナギの中では、今まで(の幼虫として)の身体を構成していた細胞やら何やらが一端ぐちゃぐちゃに溶かされて、それが再び混ざり合ってまた新しい生命体に生まれ変わる、というイメージが僕にはあって、そのイメージが、確かにそのときの自分の置かれている状況や心情にとてもしっくり来ると感じたからだ。

ちなみに当時、自分がどういう状況だったかというと、

それまで割とのんびりと惰性的かつ受動的に過ごしていた、まさに幼虫みたいに生きていた僕が、おそらく自分はこーゆー虫だということに初めて気づいて、その虫の能力を発揮しようとした途端に、そんな僕をハエ叩きで叩き潰そうとする人たちがたくさん現れた、という感じだった(このニュアンス分かるかしら?)。

で、実際、叩き潰されてぐちゃぐちゃになってしまったのだろう。

なぜなら、僕の目に映る世界は、この時を境に、ガラッと変わってしまったからだ。

だから、もうこれまでの幼虫のようにヤワなカラダではやっていけんな、と考えて、ぐちゃぐちゃになった細胞を再構築して、必死にメタモルフォーゼしようとしている最中である。

最中?

そう、あれから3年も経つのに、僕はまだサナギのままである。

というか、このままサナギとして一生を終える可能性だって充分ありうる。

何しろ息子に言わせれば、ちゃんと成虫になって自分の羽根で羽ばたけるようになる人の確率ってめちゃくちゃ低くて、その辺で偉そうにしてたり威嚇している人たちも実はそのほとんどは幼虫らしいからだ。

まぁ、確かにあの人の苦虫を噛み潰した顔とかまるでモンシロドクガの幼虫みたいだしなぁ・・。

だから、サナギになれただけまだマシなのかもしれない。

けど、僕としては、サナギのままで一生終えることだけはごめん被りたい。

それじゃあ、やはりあまりにも救いがなさすぎると思うからだ。

一方で、自分が成虫になるために必要なものが何なのかにもちゃんと気づいてはいて、そろそろその時が来たのではと感じてもいるんだよね。

そう、なけなしの勇気を振り絞って、この硬いサナギの殻をぶち破るときが

来た、んだよな。

で、正直に告白すると、ここ数日、僕はちょっと怯んで逡巡していたのだけれど、ようやく腹が括れてきたので、この記事を書いているというわけ。

まあ、おそらく実際に殻を破って跳び立つのは今から数か月後になりそうだけど、そのときのための準備を今まさに着々と進めようとしているところである。

かつて大江健三郎氏は、

「見る前に跳べ」

と言ってて、僕はそれ超カッチョイイネェ~ってずっと思っていたんだけど、

今回ばかりは、ちゃんと見てから跳ぶつもりである。

だって、どうせ跳ぶなら最長不倒を目指したいもんね。

イカロスに憧れるには僕も少し歳を取り過ぎたようだ。

だから、僕は、自分のため、そして何より愛する家族のために、

あのリンドバーグみたいな蛾

になってみせるよ。








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