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あなたは、たまたま美しい

あれは数年前のこと。

駅前の本屋に平積みされていた本のタイトルを見て、僕の心は瞬時にささくれだった。

それは「育ちのいい人だけが知っているホニャララ…」という名前の本だった。

ページをめくると、いわゆるありきたりな社会マナーがつらつらと書かれていた。

今の僕なら、こんな普通にどこにでもあるような内容の本をタイトルだけで、本屋に平積みされるくらいベストセラーにするなんて、すごいアイデアだよなあ

と関心してただけだろうけど、まだ血気盛んだった当時の僕は、ページをめくりながら、いろんなことに毒づいていた。

その一番の理由は、自分自身の育ちの悪さに僕はとても自覚的だったから、そのコンプレックスを思いっきり刺激されたからだろう。

なにしろ3歳まで丹波の山奥で野生のニホンオオカミに育てられていたから、ね。

で、それは抜きにして、この本の趣旨は、どうやら自分を育ちがいい人に見せることに成功すれば、いろいろと人生お得な思いが出来る(例.高スペックの男性と結婚できる等)ということらしいけど、そして、確かに実際にその通りかもしれないけど、

自分が得するために、必死に育ちがよい風に見せようとしている人たちの姿を想像したときに、真っ先に僕の頭の中に浮かんだのは、

滑稽

の一言だった。

少なくともその人達のことを、カッコいいとか、美しい、とは全然思えなかった(たとえどんなに美人でどんなに素敵に着飾っていたとしても)。

そもそも、俯瞰で見たとき、人間って地球上の他の動物と比べて、ダントツで間抜けで残虐であたおかで、そして、クソに等しい生命体だし。

でも、そんな人間のことをうかつにも美しいと思ってしまった

という経験が僕にもあなたにもきっとあったはずなのだ。

そして、このとき、育ちの良さ、見栄えの良さ、そして、肩書きや貯金残高などはいっさい関係なく

その人は、たまたま美しかった

だけではなかっただろうか?

そして、それ(美しさの本質のようなもの)に気づけるかどうか、で、目の前の世界はガラッと変わって見えるはずだと僕は考えている。

つまり、本当は僕やあなただって、自分がその気にさえなれば

"美しく生きる"

ことが出来るはずなのだ。

そう、あのミミズやオケラやアメンボやドブネズミたちのようにね。


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