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オダサクとボクと文章を書くことと

吾輩は小説が読めない。

何故なら、読むのがクソめんどくさいから、である。

でも、そんな吾輩にも、

小説を読んでいた時期があった。

17歳から18歳までのわずか2年間のことだけど。

当時はなぜ読めたのか、というと、

とにかくクソほど暇で、かつ無気力だったから、である。

ここで、そのとき吾輩が読んだ作家たちの名前を列挙してもいいけど、

間違えて教養のある人だと思われてしまうリスクがあるのと、そんなに立派な作家の作品を読んでて、おまえの作文はこれかよ!と思われるのが癪なので、

遠慮しておきたい。

代わりに結局、色々読んできた小説の中で、吾輩が一番、面白いと思った作品の名前だけあげておこう。

それはずばり、

織田作之助(通称オダサク)の

「猿飛佐助」

「競馬」

である。

当時、ちくま文学の森という安野光雅氏のイラストが表紙で、厚紙を使った豪華な装丁の文庫版の文学全集が発売されていて、両作ともその文庫本に収録されていた。

ちなみに、皆さんご存じかもしれないが、織田作之助とは、戦中、戦後に活躍した作家で、そのデカダンスな生き様や作風から、太宰治、坂口安吾と並んで無頼派と称されていた人物である。

ちなみに、吾輩がなぜオダサクが好きかというと、

なんか性格が良さそうなヤツだから

という我ながらとても雑な理由である。

というのも、とかく文学者というのは、その芸術的使命感?のせいで、

性格が悪そうな人が多い

いや

性格が悪い、というのは我ながらさすがに酷いから言い直すと、

なんか付き合うと色々とめんどくさそうな人

が多そうだからだ
(あんまり変わってないか(笑))

そんな中で、オダサクなら文學的な才能が皆無なワカパイ、もとい吾輩みたいなズブの素人に対してもフツーにトモダチとして、例えば三丁目の池林坊あたりで、カキフライや揚げ出し豆腐をつまみに、くだらない話でゲラゲラ笑いながら、盛り上がってくれそうな気がする。

まあ、完全に勝手な吾輩の妄想だけど(苦笑)

そして、そんな大作家との交友を妄想していると、自然と自分みたいな、国語の成績が3で、文學的な才能やすんげー表現力とも無縁な小市民が、なぜ、このnoteで、ほとんど一銭にもならない駄文を毎日飽きもせずに書き続けているのか、その訳に思いを馳せざるを得なくなる。

で、その訳とは、どんづまり、いやとどのつまり

本当に吾輩はどうしようもなく取るに足らないくだらない文章しか綴れないけど、だからこそ、それを読んだ自分やみんなが、

ほんの少しだけ明るく前向きな気持ちになれたらいいなあ

なんていう素朴で幼稚で深みもなんもない祈りに収斂されるような気がする。

というわけで、僕は、もうないものねだりは止めて、キラキラした才能とは対極にある

無能の人

としての自らの個性をこのnoteでもちゃんと全うしたい、という気持ちを改めて強くした次第である。

もちろん哀しくなんてあるかいな。

なぜなら吾輩の本領(才能)は、文章を書くこと(表現)の外にあるってちゃんと分かってるからね。




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