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あまり知らなかったVtuberが卒業して、私の何かが抜け落ちた

2022年4月30日、にじさんじ所属の童田明治というVtuberが事務所を卒業、Vtuberを引退した。

正直、私はこのVtuberについてはおすすめで少し見たことあるくらいであまり知らなかったのだが、最後だけでも見てみようと思い、卒業配信はリアルタイムで全部見てみることにした。

見てみた感想としては、卒業配信とは思わせないような明るくて笑えるトークと、合間で歌われるこちらを泣かせにくる綺麗な歌声とのギャップが最高で、ものすごく感動した。


ただ、それ以上に自分の中から何かが抜け落ちていくような感覚に陥った。

自分の中には、彼女の事などほとんど無いはずなのに。その無いはずの物が色々なものを引き連れて落ちていくようなそんな感覚になった。
感動したというのはもちろんなのだが、それ以上に日常の中の何かがなくなってしまったような。そんな日常はないはずなのに日常が消えてしまったようなそんな気がした。

自分の中の彼女に対する思いの量の何倍も抜け落ちていってしまった気がして、その時はものすごい喪失感と悲しみに襲われ、あまり知らなかった彼女を、まるでずっと推しとして追いかけていたかのような感覚になり、何だか上の空で落ち着かない日々が数日続いた。


そして、2週間くらいたった今、もう戻りつつあるその抜け落ちたものがなんなのか、この2週間で何度か考えてはみたものの、浮かんでくる答えは全てチープに思えてしまって、答えはまだ出せていない
多分、この先いつまでも答えはでないだろうし、これが答えだと言ってしまってはいけないような気がする。

一つ言えることは、私は彼女の卒業配信を見て、「今日も明日も生きててえらい」というお決まりの台詞を忘れぬように、童田明治としてはもう生きていない彼女のことを忘れないように、今日も明日も死なずに、頑張って生きていこうと思えたそれほどまでに素晴らしい卒業配信だったということだけだ。


私はこの喪失感をこれからも何度か経験することになり、その度に無いはずのものを奪われ続けるのだろう。それはそれで中々に楽しくていい物だと思う

まあ、要約してしまえば、無かったはずの物が抜け落ちて無くなってしまったという、あるようでないような、不思議なようで不思議でないような、そんな話だ。
もしくは、卒業配信で一目惚れしてしまったただのオタクの戯言なのかもしれない。

最後に、この記事を読んでくれている貴方にも、きっと似たような経験があると信じてる。あったならコメントで教えてほしい。


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