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10 カンボジア乗り物記 (プノンペン←→シェムリアプ→→ベトナム国境)

 1997年のカンボジアにはまだポル・ポトが生きていて、クメール・ルージュがあって、何かと物騒で、タイとの陸路国境は通れなかった。でもアンコールワットは見たい。
ロイヤル・エア・カンボーディア
 バンコクで片道チケットを買ってプノンペンに飛んだ。離陸してすぐ朝食が出て、食べ終わったらもう着陸。帰りは陸路でベトナムへ抜ける予定だ。

スピード・ボート
 プノンペンからアンコールワットのあるシェムリアプまでは結構な距離がありローカルバスが走っているのだけど、バンコクの旅行代理店で「ゲリラが出るから陸路移動はやめたほうがいい」と言われていた。
 じゃあどうやって行くのかというと、水路。ボートである。町はずれにある舟着場から、トンレサップ川を北上するスピード・ボートが毎朝出ているのだった。

 プノンペンの Capitol Hotel は外国人旅行者の巣で、必要な手配を何でもやってくれる。シェムリアプ行きボートのチケットを頼んだ。舟着場までのピックアップ付きで安心だ。翌朝6時半、迎えのワゴンに数人の欧米人と乗り込み、ボート乗り場へ。ほどなく到着したけれど、ボートの中はすでに地元の人と大荷物と満杯だった。
 係員が、屋根に乗れ!屋根!と叫んでいる。屋根って・・・。

 欧米人たちが、しょうがねえな、みたいな顔で大きなバックパックを屋根に上げ、自分達も飛び乗った。えええ・・・しょうがない。わたしも乗る。が、屋根は屋根状に斜めになっているわけで、どこかにつかまっていないと滑り落ちる。たまたま伸びていた何かのポールにすがりついて座り、お尻を固定したと思ったらエンジンがかかって出発した。YAMAHAのエンジンだった。速いっ 怖いっ。

 猛スピードで川を遡っていく。最初は息苦しかったけど、慣れると風が気持ちよく、なんだこれ、だんだん楽しくなってきた。
 ときどき川幅が狭くなり、岸の茂みが近づく。こういうところでゲリラに襲われるのでは、と怯えながら、でもボート速いから大丈夫、と思っておく。

 3時間半飛ばしたところで、突然、目の前に一面、青が広がった。パーンと音がしたかのように。湖に出たのだった。びっくりした。
 湖上をさらに1時間半ブンブン飛ばす。水上集落がのんびり浮かんでいる。そこでトイレ休憩(しゃがみ式便器の下は湖)の後、小舟に乗り換えて、そこからは浅くて細い水路をゆるりゆるりと進んだ。
 スピードがないと陽射しがじりじり痛い。
 お昼過ぎ、ようやくシェムリアプの舟着場に到着したときは、顔と腕が真っ赤に日焼けしていた。

バイク・タクシー
 
アンコールワットへはバイクの後ろにまたがって行く。宿の前にたむろしてるの、市場で客待ちしているの、或いは流しの、など適当に、人の良さそうな兄ちゃんや爺ちゃんに声をかけ、値段交渉する。1日だと9ドル(US)、半日なら5ドル、遠い遺跡まで7ドル、とかそんな感じだった。どこへでも乗せて行ってもらえてすごく便利だった。
 どの遺跡も、朝も昼も夕方も、いつ訪れてもその時間の美しさがあった。ちょうどカンボジアのお正月で、賑やかで華やかで楽しかった・・・のだけど、この後ベトナムビザを取ったり国境越えの計画を立てるためにプノンペンに戻らないといけない。
 またボート(の屋根)に5時間か・・・。

 ちょっと面倒な気分になっていたところへ、
「明日、アーミーのヘリがプノンペンまで乗せてくれるよ」
 なんだかもう全然意味のわからぬ情報が。

軍用ヘリコプター
 事情通の旅行者によると、正月に帰省していた出稼人たちをプノンペンに送り届けるのに軍がヘリコプターを飛ばすのだけど、外国人ツーリストも数人、早い者勝ちで乗れるらしい。プノンペンまでおよそ1時間。ひとり50ドル(US)。
 同宿の4人が手を上げ、全員乗れることになった。50ドルは痛い。そしておそらく軍人たちの小遣いになるのだろうが、安全に1時間でプノンペンに帰れるなら払おう。

 翌日、ゲストハウスのオーナーの車で空港に送ってもらうと、もうヘリは到着していた。他の宿からも欧米人バックパッカーが三々五々集まってくる。乗り込むと、ああ・・・すでに出稼ぎ先に帰る地元民と大荷物でぎゅうぎゅう詰めだった。
 壁に定員30人と貼ってある。が、ぜったい60人以上乗ってる。大丈夫か、ヘリ。飛べるのか。っていうか、落ちないか?

 結果的に落ちなかったのでこうして思い出を語っているわけですが。
 どんなヘリにも2度と乗りたくない。尻尾の辺りになんとかスペースを見つけて(窓は遠い遠い前方)体育座り。ゆらりゆらり浮いたり沈んだりしながらどうにか離陸して、ふらふらと1時間半、空調などなくてサウナ状態、微かに入ってくる風に当たってなんとか正気を保ち、プノンペンの空港に着いたときは心底ほっとした。外に出ると、蒸し暑いはずの街が涼しかった。

 アーミーたちが「ホテルまで乗ってくか?ひとり1ドルな!ワハハ!(意訳)」とジープから声をかけてきたので、悔しいけど1ドル払って Capitol Hotelまで送ってもらった。ちなみに1ドルで屋台飯なら3回分ぐらい、中華屋台でご飯とおかず2品ぐらい並ぶ、そんな時代。

 白タク
 
白タクじゃないタクシーが当時あったのかどうかわからない。
  Capitol Hotelでベトナムビザの代理申請を頼み、無事取得したので、次は国境までの足だ。ローカルバスとタクシーのどちらが安全か尋ねたら、レセプションの青年は「どっちも同じ」と素気なく言った。
 ならば、明るいうちに確実に着くであろうタクシーだ。同じくベトナムを目指す日本人女子YRちゃんとシェアすることにして、ベトナム国境まで25ドルでタクシーを頼んだ。

 約束どおり朝6時にタクシーが来て、出発。運転手は穏やかな(カンボジアの人たちは皆穏やかだったけど、ひときわ)中年男性で、車は古い日本車だった。未舗装の道をぶっ飛ばすので時々お尻が浮いて天井に頭を打った。

 途中、地元のおじさんたちが「乗せてくれ」と手を上げたので運転手は停車した。後部座席のわたしたちに気を遣って、助手席に3人を押し込めようとしたけど、いやそれは無理やろ。可笑しくて、「ノープロブレム、後ろに乗ったら」とバックパックを膝に置いて、おじさん二人に座ってもらったのだけど、悪いね、ごめんねごめんねという感じで恐縮してて、本当にカンボジアの人っていい人だなあ。
 車は一本道をひたすら疾走した。緑の田んぼ、荒地、田んぼ、畑、荒地の繰り返し。ときどき地雷注意の看板が立っている。

 途中乗車の二人が目的地で降りると、運転手は「ミュージック?」とカセットテープを出してかけてくれた。洋楽だった。疎いので聞き流していたのだけど、映画「バグダッド・カフェ」のコーリング・ユーが流れてきたときは、はっとした。なんというか、まわりの、緑一色の何もない景色に奇妙に嵌っていたのだ。今でもコーリング・ユーを聞くと、カンボジアの一本道を思い出す。

 途中、メコン川をフェリーで渡り、さらに3時間ほど走ってベトナム国境に着いた。無事に連れてきてくれてありがとう。
 「サンキュー」握手して25ドルを渡す。「サンキュー、サンキュー」運転手はにこにこ受け取り、リュックを背負ってイミグレーション・オフィスに向かうわたしたちに手を振って見送ってくれた。
 運転手さん、プノンペンへの帰りにお客さん沢山拾えますように。


 

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