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季節を感じる感性を育てる

おはようございます。
今朝の朝日はとても柔らかい春の暖かい光です。でも、気温はスーッと寒いです。皆さんお住まいの地域ではいかがですか?

私が親のエゴで子ども達に求めた事の一つが
暑いは暑い、寒いは寒い、雨は雨、風は風
と空気感、空、情景を感じる人になって欲しい、だった。

そんなん、生きてて当たり前やん、と思っている人結構多いかも。でも、自戒の意味で問いかけます。

朝起きて、まずスマホで天気と気温をチェックしませんか?
自分の肌で、「う〜、さぶ。今日はヒートテックとセーター重ねの寒さだなあ。お布団から出たくないなあ。」と考える前に。

出かける前にスマホの雨の確率を見て慌てて折り畳み傘を持って出ませんか?そう言えば、最近、雨宿りしている人、あんまり見ないなあ、と思う。自分を差し置いて。

花粉情報が来て、慌ててアレルギー科に受診していませんか?
もう何日も前から自分の鼻がちゃんとむずむずしていたのに。自分の体の声をちゃんと聞いてないから。

何が言いたいか、というと
本来ならば自分の体からのサインで動くところ
スマホによって行動スイッチ、入れてるんじゃね?という事です。

良し悪しでは無いですよ。
その方が便利だし、情報が早くて正確だから。

大人はね、いいんですよ、それで。
ちゃんと不便で、泥くさい時代を幼少期に生きて来たから。

でもね、私たちの子ども達はデジタルネイティブで
それこそいい意味で「想定外」な考え方、思考の転がし方、組み合わせ方、がとても上手い。壁が無いというか、枠に囚われないというか。

そして、それは実体験に基づかない仮想思考に繋がり、諸刃の剣だと私は思っている。例えばオッペンハイマーのような。「仮説上はこうだ、でも、実験してみるまでは結果どうなるか誰にも分からない。」が沢山でて来る。

最終的に相手は人なのだ。

どんな科学実験も、株価の値上がりも、オレオレ詐欺も、素晴らしい文学やアート作品も、安全第一の交通網も、畑のトマト一個も。

だから、それを知って欲しくて雨の日も、風の日も、嵐の日も、猛暑の日も、雪の日も、子ども達と一緒に歩いて日本の幼稚園に通った。幼稚園選びも万が一災害が起こった時、子どもの足でも歩いて帰れる距離、が第一条件だった。あ、でもたまに曲芸乗り自転車でチート。

大変だったのはアメリカに来てから。
The 車社会だからだ。安全上の問題もある。

それでも地域の公立小学校なんだから、と出来るだけ歩かせた。
子ども達からは大ブーイング。うん、分かってる。
お母さんも車より30分早くお弁当作んなきゃならないだよ。

中学生の時、一子はハリケーンで傘と一緒に吹き飛ばされそうになっていた姿を車通勤中の先生に見られて「あなた、メアリー・ポピンズのようだったわよ〜。」と冗談を言われたそうだ。「こんなビショビショ通学、私と白人の男の子だけだよ。」と文句を言われた。白人の母 Nice!!

二子は小学生の時、通学路で大量発生していたカタツムリが未だにトラウマになっていて大嫌いだ。ガーデニングが好きなのに困っている。それはナメクジだわよ、塩かけておきな。

それでも、不足を知って足るを知るというか
「ウチの親は何を言ってもダメだ。アテにならん。」と見切りをつけると自分で何とかしようとするから面白い。

高校生になる頃には好き勝手にでき、親に「送って行ってあげてるんだから。」といちいち恩着せがましい事を言われない自分に実は自由を感じ始め、信号とパーキング待ちが長いお車通学の友達を横目に自転車でスーッと信号無視。

学校も常々、登下校時刻の周辺道路の混雑とご近所さんからの苦情に悩ませられ続けているので、徒歩・自転車通学はWelcome ! なのだ。

ただ、
ここはアメリカ。油断大敵。
どんなに安全と言われる地域であってもいつ何が起こってもおかしく無い。
その覚悟を持って、そして子ども達自身の力を信じて毎朝、祈るように送り出していた。今日も無事に帰って来ますように、と。

偉かったなあ、私。
そして、、、、怖かったなあ。


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