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気づき(日々の切取りエッセイ)

いつもは、休日に一度noteに文章をのせていますが、
今日は、備忘録もかねて、木曜日の夜に書いてみたいと思います。

よろしければ、おつきあいください。


わたしが満員電車に乗れるようになったのは、
案外最近のことで、
以前は通勤時間帯の特急とか新快速とか、
ダダ混みの電車には乗れませんでした。

乗りこなすコツといえば、
電車が到着したら一瞬で空間を見つけ、
何の迷いもなく、
ドアが開いた瞬間その空間になだれ込む。

一瞬の迷いが他の猛者に空間をうばわれるので、迷いは禁物。

あとはもう一人のわたし、リトルカイトに一緒にがんばって、と
お願いをする。
一緒に乗り越えて、と。

一番危険なのは、入口付近で立ち止まること。
これはもう押し合いへし合いの地獄です。

そんな、満員電車にまつわる昨日のできごと。

早出で、いつもと違う時間帯に地下鉄に乗ったら、
入口付近で結構な人が乗っていました。

すっと見渡すと、真ん中の座席前は立つスペースがあります。
ドアが開く瞬間に、その場所になだれ込む決心はついていました。

すると、
なぜ入口付近に人が多く、
座席の真ん中にスペースがあるのがわかりました。

この二人が通路をせき止めていたのです。
(イラスト参照)

イラスト(絵)って描かないとほんとににぶるわぁ。へたくそでゴメンナサイ

左はぼーっとした、周囲がまったく見えていないおじさん。

右は、ダークブルーのぱりっとしたスーツを着こなした、
背筋ののびた清潔感あふれるサラリーマン(四十代)。
持っているスーツケースもピカピカで、
何もかもがピカピカしています。

関西では、背の高いすらっとした人を「しゅっとしている」と言いますが、まさにあか抜けたきれいな男性でした。

しかし、
わたしがふさいでいる二人のあいだを通って、
真ん中スペースに行こうとしたら、
よけなきゃいけないことが面倒なのか、
ものすごく威圧感のある目で、わたしをきっと睨みつけました。

いや、その「しゅっとした」ほうが。

「来んなや」的な睨みでしたが、
そんなのでひるむわたしではありません。

ぐいぐいドリルのように突っ込んでいき、
あげくピカピカのスーツケースにもわざと、
「がこっ」とぶつかっていきました。

真ん中の、エアポケット空間におさまって、
ふぅ、やれやれ、まったくなってないわね、あのサラリーマン。
見かけ良くてもあれじゃあね!
ふっふっふ!

と、思った次の瞬間、思いがけず「気づき」がきたのです。

「あのサラリーマンはわたし」


だと。


しゅっとしているところでありません。


何かにつけ、
特に電車でしょうか。
わたしはああいった表情を、ちょくちょくしている気がします。

当然、電車に限らず、どこでも、です。

それに気づいたとき、自分の顔はその瞬間見えないけれど、
相手はかなりイヤな気持ちになるんだ、、、。

実は相手側は、何も悪くなかったかもしれないのに。


「オーマイガ!」(古)

その当たり前のことに(頭ではわかっているつもり)、
腹の底まで納得ができたとき、

ずっとやってるわたしの「良くない」ところだなぁと、
次から次へ過去の事象が思い出されるのでした。

この土曜日、
以前記事で書いた「NESセラピー」に行くのですが、
不思議とだいたい水曜日に、何か「考える」べき現象が起こります。

ほんと、リトルカイト勢(わたしだけの神様)は、
曜日も特定して現象を起こしてくれるから、
ぼんやりしているわたしでもほんとに「あー!」と気づけるし、
これなんの課題だ!と考えることができます。

今回の反省、解釈が、リトルカイトに喜ばれているのかどうかわかりませんが、今日は普段接点のない複数の男性が、気さくに話しかけてきて少々驚きました。


普段はない、チームで和気あいあいと笑いあえたり。

とっても意外なできごとでした。

愛すべき、
ほんとに、愛すべき相棒です。
わかりやすい、突っ込み隊長のリトルカイトは。



余談ですが、
「あらがう」を手離したら、
ラクになること、わかっているけれど、

拒まず、受け入れることが普通にできたら最高だけれど、
「あらがう」は、
なかなか手放せませんねぇ。


いろんなことにおいて、です。

まだまだの人間力です。

昨日の昼休み、コスモス畑にわっせわっせと行ってみた

最後までお読みいただきありがとうございました。
良き週末をお過ごしください。







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