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ある程度の再分配や、ある程度の競争の抑制を認めない硬直した自由主義に未来はない。

 昨今の経済自由主義者のほとんどは、富の再分配や市場競争の制限を、極端なまでに認めない。彼らはアメリカやフランスで保護主義がかなり台頭したことや、イギリスのEU離脱については批判的だ。というよりは、それらを見下しているのかもしれない。世界で経済自由主義にある意味逆行した動きが出てきた原因は、再分配の不足や行き過ぎた自由競争に対する不満があるからだろう。これは前者が充実していれば、つまり再分配がもっと多ければ、こうした逆行はもっと抑制できた可能性が高い。経済自由主義者の多くは原則的に再分配も嫌うが、自分たちの考え方に問題があると思うことはない。彼らの主張は、「俯瞰してみれば、自由貿易や規制緩和の方が正しい」というものだ。しかしそこでの「俯瞰」は、一体なにを意味するのか?それを明確にするなら、「貿易の自由化や規制緩和で不利益を被る人々の気持ちなどは、およそ共感にするに値しない」という意味だろう。グローバル資本主義に対する不満が明らかに膨れ上がっても、彼らはその認識は変えようとはしない。こんな有様で、排外主義を横行させるなというのはできない相談だ。

 人間は衣食住がそれなりに満たされていないと、礼儀も節度も持てない。現行のグローバル資本主義に取り残された人たちから、排外主義が発生したのなら、今の資本主義のシステムに致命的な欠陥があるということだ。その人たちに対して、「甘えるな!」と見下してふんぞり返る態度は間違っている。そうした他者を思いやらない経済自由主義者は本当に悪辣で、大衆の不満がピークになって危険な独裁者が現れても、自分たちが一つも悪くないと完全に盲信している。まるで、ジョジョの奇妙な冒険のプッチ神父のようだ。

 自由貿易にしろ規制緩和にしろ、そして緊縮財政にしろ、この30年間ほどの日本で実施されてきたものだ。ところが奇妙なことに、これらを肯定している経済自由主義者たちは、「このままでは日本はダメになる。いずれ全てが破綻して、我々が正しかったことが証明される」と主張している。彼らはようするに、上記の3つが未だに不十分だといいたいワケだ。しかしそれは、「ソ連が崩壊したのは、共産主義体制が不十分だったからだ!」という発想とあまり変わらない。非常に頑迷な状態ではあるが、それから決別するためには、むしろアダム・スミスの倫理学と経済哲学に立ち返る必要があるとよく思う。