こころざし (ひねくれ者の、呟き)

「こころざし」の意味をスマホで開くと、こうしようと心に決めたこと、目標、ある方向を目指す気持ち、心の持ち方、信念などと出てくる。
 この言葉、60オーバーの自分の中では、もはや忘れ去ってしまっていた。
 昔、30歳を過ぎると、生活の糧を得るために仕事に追われていた。仕事において信念はあったものの、こころざしというものとは違う。
 なぜ、今この言葉に拘るのか。
 不思議なことだけれど、懐かしいのかもしれない。
 幼少のころや青年期には、夢や希望はあった気がする。でも、それらはことごとく成しえずに、いつもボロボロだった。
 経済的に裕福ではなかったので、その分努力もしてきたつもりだ。
 親に車を買ってもらえる知人を眺めていると、羨ましさがこみあげてきたものだ。
 ただ、ひたすらに、懸命に、生きてきたということだけが残ってきた。
 世の中には、努力を重ねて栄光の道を歩むことが出来る人がいる。それはそれで、素晴らしいことと思う。

 若かりしとき、ヤクザな商売へ迷い込まずに済んだのは、「こころざし」が支えてくれた
こともあったかもしれない。結果が伴わなくても、明日という「生きる過程」を支えてくれていたかもしれない。
 しかし、正直者が馬鹿を見るという格言も正しいものだった。
 なぜ、真面目に生きる者は、後塵を拝し先んじられなければならないのかと、思う時期も多々あった。

「こころざし」が、心に決めたこと、目標、目指す気持ちであるならば、改めて自分の周りを見渡して、今の「こころざし」は何か確認すべきと感じる。
 心の芯となるだろう。


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