「こころざし」の意味をスマホで開くと、こうしようと心に決めたこと、目標、ある方向を目指す気持ち、心の持ち方、信念などと出てくる。 この言葉、60オーバーの自分の中では、もはや忘れ去ってしまっていた。 昔、30歳を過ぎると、生活の糧を得るために仕事に追われていた。仕事において信念はあったものの、こころざしというものとは違う。 なぜ、今この言葉に拘るのか。 不思議なことだけれど、懐かしいのかもしれない。 幼少のころや青年期には、夢や希望はあった気がする。でも、それらはこ
誰かが自分に対して発する言葉、うめきや落胆のため息。 昔、妙に気になり、不快になる時があった。直接、攻撃されていないけれど、人を見下すのは言葉でなくてもできるのだと感じた。 もちろん、そのような場にいなければ良いだけなのだ。しかし、想定していない事象に不意をつかれると、避けようもない。 文章となると、話し言葉より、不快にさせる破壊力がある。話し言葉ならいつか記憶から消えていくこともあるけれど、文章は、そうはいかない。 そんな時、「慈しみ」という言葉と改めて出会った
昔、「鬼平犯科帳」というテレビ番組を好んで見ていた時期があった。 秀逸な作品であり、内容にも傾聴すべきところが多々あった。 そのエンディングテーマが「インスピレーション」であり、物語を見終わった後に、エンディングを聞いてもう一度物語の中に戻っていったのを覚えている。 グループの名前はジプシー・キングス。フランスのバンドなれど、全曲をスペイン語で歌っているらしい。南フランス出身のジプシーだった人のバンドメンバーがジプシー・キングスの母体とのこと。テレビCMでも、多数の
ぼくにとって言葉を紡ぐということは、誰かに手紙を書くようなものだ。誰かの一番身近にいるのは自分である。 自分に対して手紙を書くとは妙かもしれないけれど、書くことの原点と思っている。 良いところ悪いところを何気なく書き連ねて、自分は何者かという迷路の森に迷い。森にじっと身を潜める。それも悪くないじゃないかと開き直る。 エッセイは、楽しいことや面白いことが必然と考える方もいるかもしれない。そうゆう方々には、自分への手紙は理解が得られないだろう。否定はしないけれど、了見が
とある街に一人で住む三十過ぎの独身男性。彼の母親は早くに亡くなり、父親は幼いころに行方不明となっていた。この男性、仕事で行き詰まり会社をやめて部屋を片付けていたら古いメモを発見した。そのメモには海岸の名前が記されており、父親の消息につながるかもしれないと思い、これまで気になりながら生きてきた父親の消息探しを始めたのだった。 確かこうゆう始まりの新聞連載をふと思い出した。 物語は新聞社の女性記者が仲間に加わり、海辺で亀と遭遇し、竜宮城へたどり着く。竜宮城にはタイムマシンが
昔、ライターに火が着かなくて悲しい思いをした。 知人の誘いを受けてバスツアーに参加した時のことである。バスは観光地を巡りながら時々停まり、土産物の購入やトイレに行くための休憩がある。その日のバスは座席の前後に余裕が無く窮屈で、座っているのは大変だった。気分転換と足の関節をほぐすために休憩時間に車外に出て煙草を吸おうとした。しかし、その日は風が強くてライターに火が着かない。結局、煙草を吸わないままに休憩時間が終わってしまった。その時のライターは使い捨ての百円ガスライターだっ
いつだったろう NHK SONGSの録画を見た後に、 妻から「泣きそうな顔になってる」と言われた。 その番組は、60歳になる芸能人が主人公だった。 60歳になり、歌う歌が心に響く人になっていた。 自分は64歳。 60歳の時に、こんな歌は歌えなかったなぁと呟いたら、 これからでしょ?と言ってくれた。 そうか・・・・。 70歳が目標でもいいか・・・・。 そんなことを自分に言い聞かせていた。 歌はなぜ、涙を導くのか。 そんな、他愛もない質問を思い浮かべたり。 その人の歌の中には
ぼくの家には小さな冷凍庫がある。 この冷凍庫には、長期保存が可能な冷凍パッケージのおかず弁当が入っている。弁当は塩分が調整されていて、体に良いとのこと。最近は弁当のグレードも上がり、味付けも濃く、コンビニ弁当と大差ない味になってきている。 ぼくは、気まぐれな食事が多いので、こうゆう弁当を食べていかないと栄養配分などめちゃくちゃになり、体調も不調になっていくのだろう。さらに冷凍庫を開ければいつでも食べられる。近年の隠れたヒット商品ではないだろうか。 幼少の記憶に氷の
静かな時間や空間は近頃の好みである。 人混みは嫌いになり、喧噪が溢れる街の中は苦手なエリアとなった。 昔はそうではなかった。 わざわざ、一人で人混みを求めて街中を彷徨っていたのだけれど、 喧噪の人混みの中に一人身を置くと、 孤独ともいえる空間との触れ合いが心地よかった。 ひねくれた反動が孤独を心地よく感じていたのかもしれないし、社会からはみ出した者だったとも思う。 最近、ある時ふと「表現者」という文字を目にした。 表現者と聞くと、歌うたいや画家、小説家、舞台の役者などが思い
40代半ばから、外出するときはスーツではなく気軽にはけるスラックスを履いていた。 その前は、仕事は作業服の上下を着て、通勤にはジーパンをはいていた。40代という年になり、スーツで通勤していた時期もあったけれど、40代半ばからは、四六時中気を使ってスーツを着ることも無いだろうと開き直ってしまったのか、会議でもない限り、いつのまにか一日中スラックスを履いているようになった。 スラックスは毎日替えるほどの本数を持っていたわけでは無いけれど、週末に洗濯して履きまわすという状
長年、使い続けてきたメガネの話。 メガネを掛け始めたのは小学生の頃で、ある日急に視力が落ちた。 今思えばそうゆう体質だったのだろう。おかげでサッカーなど本気で出来ないスポーツもあった。高校生になるとコンタクトレンズが世の中に出始めたけれど、手入れがおろそかだったこともあり、目に深い傷が出来てコンタクトレンズは使用不可となってしまった。そこからは、また、メガネの生活である。もう40年が経つ。 老眼は10数年前に陥り、近くを見るメガネと遠くを見るメガネを使い分けることとなっ
今年の夏は蚊と遭遇した記憶がない。 暑くてたまらない夏だったし、蚊も動き回るには暑すぎたのだろう。 テレビからは「とりあえずポップなビートで逃げ出したい・・」とハマいくコンビが歌う「ビートDEトーヒ」が流れてきて、まさにとりあえず暑さから逃げ出したいという気分の夏だった。 蚊は気温が二十五度から三十度くらいに活発な活動をするらしいが、今年は夜中も三十度を超えていたためか、朝夕のみならず夜中も蚊と遭遇しなかった。蚊は昼間には葉陰にじっと身を潜めていて、涼しくなる夕方や朝
先日、とある女性歌手のヒストリー番組があった。 楽曲を担当していたディレクターが、彼女は負けず嫌いだったと回想していた。 プロとして歌う姿勢へ向けた称賛の言葉だった。 「負けず嫌い」という言葉は、向上心がある努力家、競争心が強い人、高い目標を持つ人、プライドが高い人、見栄っ張りな人など、良くも悪くも取れそうな言葉だ。 ぼくが日常で目にしてきた負けず嫌いの人たちは、虚栄心が強く、人の上に立つ願望があり、自分の間違いの指摘を嫌い、自分が見下すことが出来る人に対してだ
昨年の秋、キッシュというものを食(く)った。ほうれん草とベーコンのキッシュ。 『キッシュ』とはフランスの郷土料理だが、店のショーウインドーケースに並んでいるこの『キッシュ』は、三角で小さくて、なんでこんなに値段が高いのだ?これが最初の印象だった。 コーヒー屋のキッシュだが、味わいが深く、複雑に入り混じるヨーロッパの味。(ぼくはヨーロッパというか,外国には行ったことが無いのだけど・・・) ぼくには,「たべた」というよりも「くった」と言う表現がぴったりする。上品に食べ
ぼくが30歳の時に、パーソナルコンピューターというものが初めて発売され、一般の人が自分のパソコンを手に入れることが出来るようになった。 当時、携帯電話は無くて、昭和歌謡のように「ポケベルが鳴らなくて」が当たり前の時代だった。 その後、飲み屋でPHS電話を無料で貰った時期があり、だんだんとガラケーが世の中に溢れたのを覚えている。 インターネットが整備され、ブログやツイッターが世の中に定着するまでは、電話回線を使ったチャットが世の中の主流だったのかと思う。 パソコンも一
とある本に、「どこかで己と対峙し、自分を取り巻く世界と時間を見つめ、自分は何なのかを考えてみるべきだ」とあった。 この表現は厳しいかもしれないけれど、ぼくは言っていることに頷くしかない。 しかし、自分は何なのかなど、いったい、どこに答えがあるものか、とも思う。 答えは自分で作り出せと、作者は言っていたのだろうか。 「幸せ」という言葉も抽象的で、曖昧に感じる。ぼくが変人のせいかもしれない。 このnoteには、思うことを書くようにしている。書いている最中から、読まれた