哀愁のメガネフレーム

 長年、使い続けてきたメガネの話。
 メガネを掛け始めたのは小学生の頃で、ある日急に視力が落ちた。
今思えばそうゆう体質だったのだろう。おかげでサッカーなど本気で出来ないスポーツもあった。高校生になるとコンタクトレンズが世の中に出始めたけれど、手入れがおろそかだったこともあり、目に深い傷が出来てコンタクトレンズは使用不可となってしまった。そこからは、また、メガネの生活である。もう40年が経つ。
 老眼は10数年前に陥り、近くを見るメガネと遠くを見るメガネを使い分けることとなった。その時、これまで使ってきたフチなしフレームにレンズだけを交換して、近くを見るメガネにした。このフチなしフレームは20年前に買ったもので、耳掛けと鼻掛け部分がメッキされている。曲げても復元性があり、当時はかなり高価だったことを思い出した。
 手元を見る老眼鏡はレンズの度が弱いので、歩いているとすれ違う人の顔がぼんやりとしか見えない。すれ違う人の顔がはっきり見えない生活は、慣れてしまうと悪くないもので気が楽になる。でも、最近は人の顔もはっきり見えるし、車の運転も昼間なら難なくできてしまう。また、本来はっきり見えるはずの近くの文字が見えなくなってきた。老眼症状の悪化である。
 老眼が進行して、メガネの度数が合っていないと安全な生活に支障をきたすので、やむを得ず10数年ぶりにメガネを新しくする決心をした。
 今まで使ってきたフチなしフレームを見ると、メッキが剥げたり錆が出ていたり、腐食がひどくなっていて使い続けるには傷みが激しい状況である。
もう、メガネのレンズもフレームも、十分に頑張ってくれたのだろう。
 先日、眼科で新しいメガネレンズの度数合わせをした。その時、いままでのメガネは白くて小さなテーブルの上で待機状態。使い込んだことが一目でわかる。
 20年という一時期を共にしてきたこのメガネフレーム。
 一番苦労した時期を一緒に過ごしてきたのだなと眺めていた。

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