何を書こうが (日記 Vol.3) 

 とある本に、「どこかで己と対峙し、自分を取り巻く世界と時間を見つめ、自分は何なのかを考えてみるべきだ」とあった。
 この表現は厳しいかもしれないけれど、ぼくは言っていることに頷くしかない。
 しかし、自分は何なのかなど、いったい、どこに答えがあるものか、とも思う。
 答えは自分で作り出せと、作者は言っていたのだろうか。
 「幸せ」という言葉も抽象的で、曖昧に感じる。ぼくが変人のせいかもしれない。
 このnoteには、思うことを書くようにしている。書いている最中から、読まれた方の中には、それは違うんじゃないかと思う方が多分にいるのではとも感じていたり。
 しかし、感性や思いをベールで覆わずに書くことが、今の自分にとって一番大切だと思う。
 それは、「己と向き合う」ということに通じるからだ。自分を探し続けることと思うからだ。安易に、これが自分だなどと決めてしまうのは愚の骨頂。
 自分探しは探検のようなものだ。
 知らない自分に、ふと気づいたりするものだ。
 noteにおいても、言葉の礼儀と言葉の身なりを正して書くことが、己と向き合う入り口だろう。
 自分をベールで覆ったり、本当の自分を陰に潜ませるのでは、言葉たちに生気が宿らない。
 世の中に存在する様々な暮らしの環境や気持ちの局面において、自分はここまで言ったら受け入れられないんじゃないかと思う人は、勘違いが甚だしい。世の中は変わった人の集合体である。
 常識を備え、まともな人と呼べるのはごく少数ではないのか。
 私は変わり者ですと言ったほうが、言われたほうも清々しく感じるのは、ぼくも変な人だからかもしれない。


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